扶養

『日本は寒いですよ!』と聞かされて帰国したのですが、冬将軍の暴れ回る日本よりも、大陸華南の冬のほうが、寒いように感じています。昨日は、孫娘と近所の《きたの公園》に出かけて、滑り台や砂場で遊びました。おしゃまな彼女ですが、優しくて可愛い3歳なのです。公園の木はすっかり北風に葉を落とされて、枯れ枝から真っ青な空を見せてくれました。帰国して長男の家に落ち着いた家内と私を訪ねてシンガポールから出張できていた娘と、渋谷に住み始めて働く次男が、昨日、訪ねてきてくれました。次女は、オレゴンにおりますので、気持ちだけ、こちらの向けていることでしょうか。それで、子や孫たちとの久しぶりの夕食を、近くの「焼肉屋」でとりました。これまで支払いは父親である私の役割でしたが、昨晩は、長女がしてくれ、家内と私は、『ごちそうさま!』と言って、彼女の饗(もてな)しに預かったのです。もう最近は、常に、子供たちや嫁や婿に、その役割をとって変わられてしまっていますが。

さて今回は、私の人生で大きな変化のある帰国になりました。というのは、中部山岳の山村に生まれて、父の戸籍に入り、父の扶養家族とされて22年を過ごしました。学校を出て就職をしてからは、父の扶養から離れて、民法や税制上でしょうか自立しました。父に養われて成長して、社会人として収入を得る身になったからでした。生活の基盤は、なお父の家にあり、母の作ってくれる食事に養われていました。月給の中から父に、「食い扶持」を出すと、父はビールを買ってきては飲ませてくれました。それが嬉しかったのでしょう、たいへん喜んでいた顔を思い出します。それから4年ほどして結婚したとき、父の戸籍から離れて、世帯を持った街を本籍地に決めたのです。長男が東京で生まれ、その後に与えられた3人は、アメリカ人実業家と共に働いた中部の街で生まれ、そこで教育を受け育っていきました。

今では、彼らはそれぞれに生きる道を見つけて、その基盤をすえて、もう自立して生活しております。中国語に、「时间过了很快(シィジエン グオラ ヘン クアイ)、『時間はとても早く過ぎる!』」とありますが、もう世代交代の時代なのです。イスラエル民族の法律の中に、「人身価値」の規定があります。60歳を過ぎた私の価値は、15シェケルだとあります。父から独立し、世帯を持って社会でも家庭でも、力いっぱい活躍していた時期の価値は、50シェケルですから、今日では三分の一に目減りしていることになります。今、次女の長男が5歳で、彼の価値は20シェケルですから、外孫の彼の方が、この私の価値よりも、5シェケルも高いことになるのです。このことで決してもがくことはありません。『ジイジとバアバは、どうして頭が白いの?』と孫息子が不思議がっております。黒々と豊富だった髪の毛から、色素の艶も、今は抜けてしまっているということであります。

先週末、帰国した私は、長男の住む街に《転入届け》を出しました。長男夫妻の進言もあって、家内と私は、長男の「扶養家族」にしてもらいました。ということは、ついに家内と私は、『太郎兵衛さんのご家の・・・・!』と呼ばれることになったわけです。ちょっと寂しさは禁じえませんが、《世代交代》は、どの社会でもすみやかにした方がいいのかも知れません。いつまでも《頭》でいるのではなく、彼らの責任に委ね任せるべきなのでしょう。孫が不思議に思う白髪は、『もう次の番だよ!』というサインなのでしょうね。

イスラエルの社会のことですが、次のような掟もあります。「白髪の老人の前では起立せよ!」とあります。イスラエル人ではない私ですが、中国の街のバスの中では、吊革に手をかけるやいなや、髪の毛の白さと、顔のシワを認めた若者は、躊躇なく起立して席をゆずってくれるのです。今やそれを、喜んでうけております。

(写真上は、http://www.nisk.jp/search/digitalkanji.asp?code=91B7の字「孫」、下は、中国・済南市で医療活動を続けられた老医師・山崎宏さん(日本兵士でしたが、中国残留して医師となって奉仕)ですが、昨年末亡くなられました)

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