終わりの朝顔が

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 今季、きっと最後の朝顔の花かも知れません。もう溢れるほどに咲き、これまでも蚊と咲き続けたのですが、種を残して、朝顔劇場の幕が降りたようです。種を残そうと思っていますが、数年前から、「肥後朝顔」に魅せられた私は、これに挑戦してみたいのです。きっと、タネの入手も、育て方も難しそうですが、ちょい線に値するような、見事な、「肥後六花」の一つです。

 今年の夏は、異常な暑さに見舞われ、何もが焦げてしまいそうな感じがしていましたが、この朝顔の葉の緑と、三色が次々に咲き続けてくれた赤、紫、桃色の花びらの開花に慰められ、励まされました。

咲きあふれ 暑さ忘れし 朝顔ぞ

 華南の借家に咲いていた朝顔は、日本から持っていった種を植えたのですが、亜熱帯の暑さ、中国でも極めつけの暑さの地で咲き、正月まで、裏のベランダで咲き続けたのには驚きました。次女家族が来た時、そのベランダを箒で、水を流しては綺麗にしてくれたのです。そこから移り住んだ住宅で、ただ一軒だけ、向こうの棟の八階で、「喇叭花(朝顔の中国名です)」の咲いているのを認めましたが、小規模栽培でした。

 春に、家内が、シンクタンク(流し)の下の冷暗所で、発芽させたか細い苗を、私が苗床を作って、植えた朝顔でしたから、ちょっと寂しい思いがしてまいります。日本には、中国から、観賞用よりも「薬草」として伝わり、まさに、わが家では《精神安定薬》の役割を担ったと言えるのです。孫たちが近くにいないので、もっぱらの関心は、この《薬》だったかも知れません。

 最後に、「朝顔の花言葉」は、愛情、愛情の絆、結束、結びつき、平静、明日もさわやかに、私はあなたにからみつく、などがあるそうです。まあよくからみついて咲いていた朝顔でした。《創造の美》、神の創造の世界でありました。

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