辞世の句

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 これは、テニスンの辞世の句の「砂洲を超えて」です。

夕暮れ そして夕べの星
そして澄んだ呼び声 私への!
もはや呻きはなきことを願う この砂州に
私が出て行く時には 海へと

だがそんな潮は まるで眠っているような動きで
音も泡も立てることなく
無限の深みより寄せてきて
再び元のところに帰るのだ!

黄昏と夕べの鐘
そしてその後には暗闇!
だが別れの悲しみはなきことを願う
私が船に乗り込む時

なぜなら時間と空間の境界を超えて
潮が私を彼方に運ぼうとも
私には会える望みがあるのだから わが水先案内人と面と向かって
私がこの砂州を超えて行く

 テニスンは、イングランドの街の牧師の家庭に生まれています。ヴィクトリア朝の人で、多くの人に愛された詩人として珠玉の作品を残しているのです。1892年に帰天し、ウエストミンスター寺院に埋葬されました。この詩は、主の元に帰る間近に詠んだ作品です。「砂洲」とは、大きな河や湾の入り口にある砂や岩でできた小 さな堤防のことを言い、この詩の中では、「生死の境界」を言っているようです。

 さて、今日日、大きな関心を寄せている徳川家康ですが、戦国の武将たちが、「辞世の句」を詠んで残しています。名だたる戦国人の句を取り上げてみましょう。

四十九年一睡の夢 一期の栄華一盃の酒  上杉謙信

大ていは 地に任せて肌骨好し紅粉を塗らず自ら風流  武田信玄

露と落ち露と消えにしわが身かななにはのことも夢のまた夢  豊臣秀吉

筑摩江や 芦間に灯す かがり火とともに消えゆく 我が身なりけり  石田三成

うれしやと二度(ふたたび)さめてひとねむり浮世の夢は 暁の空  徳川家康

 来世への希望を詠み得ない、〈不安〉、〈戸惑い〉、〈恐れ〉、〈漠然〉とした思いがが謳われていて、テニスンにような死生観とは大きく違っています。 

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 讃美歌にも、「闇を行くものは」と言う詩歌があります。

1 闇を行くものは 光を見た。
  死の陰行くもの 夜明けを見た。
2 命の太陽、主のみ前に、
  刈り入れを祝う、喜びあり。
3 ひとりの子どもが 与えられた、
  約束のとおり 私たちに。
4 「偉大な指導者、平和の君
  力ある神」と噌えられる。
5 主の与えられる 地の平和と
  正義と恵みは 水遠に続く。

 「聖歌」にも、「やがて天にて(468番)」があります。

御国に住まいを 備えたまえる
  主イエスの恵みを ほめよたたえよ
  やがて天にて 喜び楽しまん
  君にまみえて 勝ち歌を歌わん

2. 浮世のさすらい やがて終えなば
  輝く常世(とこよ) 御国に移らん
  やがて天にて 喜び楽しまん
  君にまみえて 勝ち歌を歌わん

3. もろとも勤しみ 励み戦かえ
  栄えの主イエスに まみゆる日まで
  やがて天にて 喜び楽しまん
  君にまみえて 勝ち歌を歌わん

4. 目標(めあて)に向かいて 馳せ場を走り
  輝く冠を 御殿(みとの)にて受けん
  やがて天にて 喜び楽しまん
  君にまみえて 勝ち歌を歌わん

 これも、キリストのものとされた人たちが、愛唱してきている賛美です。もう、われわれの世代は、終活をする人たちが多いのですが、私は、以前は「収活」をと思いましたが、今は「修活」にしようと思うのです。「修める活動」の意味でですが、その時が近いているのを、身をもって感じますが、《永遠のいのち》に預かれる思いで、心は満ちている今であります。

(「砂州(沙洲)」の一例です)
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