隠されたものの露見が

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 『おおいかぶされているもので、現されないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。 ですから、あなたがたが暗やみで言ったことが、明るみで聞かれ、家の中でささやいたことが、屋上で言い広められます。(ルカ1223節)』

 子どもの頃に、〈炙り出し(あぶりだし)〉という不思議な遊びだか化学実験だかがあったのです。なぜそうなるのかが、子どもの私には理解できなかったので、不思議でならなかったのです。種明かしは、特殊なインクで紙の上に書いてあっただけで、魔法などではなかったわけです。

 身近にあった食べ残しのみかんの皮を絞った汁で、紙に描くと、乾くと描き跡が消えてしまうのですが、それを火にかざすと、描いた文字や絵が浮かんでくるのです。みかんの出回る季節にやってみたのですが、原理が分かると、どうってことはないのですが、最初にやった人は、やはりすごいなあと思ったのです。

 闇の中で行われている物事を、灯をかざすことによって、見えるようになるのも、〈あぶり出し〉になるのでしょうか。犯罪など、世の中に起こっている事件や出来事の原因などについても、それを究明するために、警察や税務捜査官や特捜が活躍しています。この方たちは、〈あぶり出し〉の専門官かも知れません。

 戦後政治に「闇」の部分があって、国民には、長く隠されていました。知る由のなかった、その闇が暴かれた事件が、先ごろあったのです。私たちが学校に行っていた頃からでしょうか、キャンパスで、ある団体が、熱心に活動していたのです。共産主義運動と創価学会と統一教会などでした。巧みに口車に乗せて、信者やシンパ(共鳴者)を獲得していたのです。

 五月になると、後に「さつき病」と言われるようになる病が、学生の間に蔓延していきました。夢を持って入学したにも関わらず、授業につまらなさ、教師陣の熱のなさなどで、期待が裏切られて、戸惑った学生が、虚な目をして、心理的に不安になっていたのです。同級生には自殺者もいました。大阪医師会が、次にように知らせています。

 『入学や就職にともない学校や職場で新たな生活がスタートします。新生活は、慣れないことも多く知らず知らずのうちにストレスがたまるものです。気づかないうちに無理をしてしまうことも少なくありません。また、仕事の内容や環境が自分に合っていないために、「適応障害」を起こしていることもあります。こうして1カ月が過ぎ5月になる頃に、身体のだるさ、疲れやすさ、意欲がわかない、物事を悲観的に考えてしまう、よく眠れない、食欲がないなどの心身の症状が現れることがあります。これを「五月病」といいます。五月病は、正式な医学用語ではありませんが、一般に、この季節に学生や新入社員に起こりやすいため、こう呼ばれています。』
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 さめていた自分は、時間のある時には、アルバイトなどしたり、出会った級友たちと、駅前のルノアールで、苦いコーヒーをすすってのお喋りで、自分の経歴や夢や恋心を、けっこう熱っぽく語って、自己顕示、自己主張をしていたので、罹患しないですみました。夢なんか、破られて丁度のものと思っていたこともあってです。それにしても濃くて苦い印象が、最初の頃のコーヒーの味だったなあ。

 昨年の前の首相へのテロ事件は、単なるテロリストによる、政治的な犯罪なのだと思っていましたが、隠れたことがあったようです。安倍一族と、お父さんの義父に当たる岸信介元首相と、〈勝共連合(反共産主義運動を縹渺した統一教会)〉との強固な繋がりを継いできた勢力への反動、〈NO!〉でもあったのだそうです。宗教被害、二世代被害だけの不満爆発だけではなく、事件の結果が、そのようなことが暴露されたこと、隠れたものが〈炙り出し〉になってしまったのでしょう。

 隠れたところで行われた出来事は、隠れたところで見ておられる方によって、お見通しで、それが必ず露見してしまうのです。善も悪も、人を造られた神さまは、漏れなくご存知なのです。だからでしょうか、疑心暗鬼になって、政治不信が蔓延してきてるのです。かつて、それが亢進してしまって、侵略戦争を起こし、敗戦によって、国が破綻してしまったのが、歴史の事実なのです。

 一人一人は良くても、組織に組み込まれた人、組織に動かされる人は、思ってもみなかった結果を、いつの間にか生んでしまうのでしょう。初めは、全く意図したり、計画したことにないことが、闇の勢力に inspire されてしまうと、もう訂正できないようなうねりや、激流になって飲み込まれ、あれよあれよと思っているうちに、悲惨な結果を生んでしまうのです。

 まさか、あのピラトだって、イエスさまを十字架につける最終決定者になろうなどとは思いもしなかったのでしょう。でも、歴史の激流に中に呑み込まれて、末代まで、その恥な罪深い執政官というレッテルをもらったのです。そのキリストであるイエスさまによって、自分の人生の方向が変えられて、満足で今を過ごしております。ピラトになるまじく、主なる神さまを畏れ、今を生きたいものです。

(「喫茶店とコーヒー」のイラストです)

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