切望

 昨年の3月11日に、大地震が、この日本列島を揺り動かし、だれも想像しえなかった大津波が、東北太平洋沿岸を突然に襲い、実に甚大な被害をもたらせました。亡くなられた方々、行方がまだ判らないでおられる多くの方々のことを思って、心が震えてまいります。またご遺族のみなさまのお気持ちを考えますと、どう気持ちを言い表してよいのか、見当が尽きません。ただ、衷心から同情とお慰めを申し上げます。この辛い経験を超えて、亡くなられたみなさまとの懐かしい思い出をもって、美しい郷土が、もとの「たたずまい」を取り戻し、その地で連綿と続けられてきた営みが、また引き続けられていかれますよう、切に願っております。

 震災をまぬがれた私たちは、犠牲になられた方々のことを忘れず、また、人の力では抗しがたい自然の力の前に、驕りを捨てて謙虚になるべき時なのかも知れません。人間の飽くことのない欲望が、自然界の均衡を崩してきたことを顧みて、その摂理を侵さない努力も必要かと思われます。災害の死をまぬがれた私たちには、なにか、重大な使命が託されているように感じてなりません。

 ドイツでは、この日本の大震災を「教訓」にして、2020年の「脱原発」を、政府決定したと聞きました。私は、日本経済を支えていくために、『工場の稼働を、是が非でも続けなければならない。そのためには、どうしても原発は必要!』と考えていましたが、もう1つの重大な問題を見落としていたのに気付かされたのです。 

 「原子力発電所」で、使い終わった燃料ウランの処理問題です。これは、再利用できませんし、処理することもできない、これが現状です。「ゴミ」として、人里離れた「格納庫」に貯蔵する以外ないのです。人類が滅亡しない限り、地球の何処かに、置かれているだけで、その量が増せば増すほど、その危険度は増し続けていくことになります。電気の恩恵をうけて、快適な生活を営んでいる今の私たちは、プラスの面を享受しています。しかし、マイナスの面は、私たちの子や孫の世代に先送りしていることになります。

 先進工業国の電気消費量も、年々増えていきますし、今や後進国と呼ばれていたアフリカやアジア諸国の工業化が進み、先進国の生活水準に近づいてきております。本来、空調設備を、最も必要とするのは、赤道直下の諸国でしたのに、経済力が乏しかっために、その恩恵に浴すことが、長くありませんでした。しかし、今や経済力を高め、欧米並みの生活をし始めている、これらの国々では、おびただしいほどの電力生産が必要とされています。これが世界の今であり、将来であります。

 私たちの父母や祖父母、先人たちは、私たちの幸福を切々と願って、貧しさや不自由の中を辛抱し、明日の光明を信じて励んでくれました。それによって、様々なよきことを受け継がせてくれたのであります。こんな素晴らしい国を形作る「特権」に預かっているのは、私たちの世代の業績ではありません。その役をになわされただけであります。今度は、次の時代の幸せを、私たちが願わなければなりません。多くの「つけ」を、孫子の世代に残してはいけません。多くの教訓、金言、そして「美しい日本」を、さらに、この掛け替えのない「地球」を、造物主と先人から受けたのですから、孫子の世代に残してあげなければと切望しております。

(写真上は、鈴木康夫氏の撮影された「霞ヶ浦の自然~夕日~」、下は、「鉄道情景への旅」から岩手県・岩泉線の駅舎の雨上がりの美しい光景です)

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