研ぎ手

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 箴言に、「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる(2717節)」とあります。エッサイの8番目の子として生まれたダビデは、まさか自分が神に選ばれた民の王となることも、救い主の家系となることも、そのキリストであるイエスさまご自身が「ダビデの子」と認められたことも、まったく考えたことなどなかったに違いありません。

 ある人の人生は、自分が考え願ったように展開し、思いのままに生きられるかも知れません。みなさんはいかがでしょうか。『したい!』と願ったような仕事についておいででしょうか。結婚も、『この人』と願った通りだったでしょうか。老後だって、『あんな風に生きていこう!』と計画しておいででしょうか。ところが私たちの現実は、ほとんどの場合、願ったこととはかなりの差のある所にあります。その差を受け入れ認めて、私たちは今日まで生きて来ているわけです。

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 ダビデも、父の羊を分けてもらって、一家を成し、平凡に牧羊業を生業として、一生涯をベツレヘムの周辺で生きて行く以外の可能性を、考えることがなど出来なかったのでしょう。そんな彼が、牧場から連れて来られて、預言者サムエルの前に立ちますと、万物の創造者でいらっしゃる神である主が、「この者がそれだ(12節)」と言われたのです。

 としますと、主なる神さまには、ダビデの人生に特別で明確な計画をお持ちであったことになります。エレミヤ書に、「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ~主のみ告げ~それはわざわいではなく、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるものだ(2911節)」とあります。

 これはバビロンに捕囚として引かれて行った民の残りの者たちへの主のことばです。主なる神さまは、一人の人の人生だけではなく、民族や国家にも計画をお持ちなのです。この「計画」とは、目的や意味のことであります。

 ダビデの71年余りの生涯にも、主は「計画」をお持ちだったのです。私はこれまでの年月、1つの願いを持って生きてまいりました。私が牧師として任職される直前に、アメリカからパスター・トムが訪ねて来られたのです。彼は、『私の牧会上の節目となったのは、一人の忠実な若い兄弟が救われてきて、彼と彼の家族が私と共に立ち、私を支えてくれたことだった!』と分かち合ってくれたのです。

 その日から、彼の言葉が私の心の中に1つの願いを生み出し、その願いを持ち続けて今日まで生きてまいりました。自分の弱さを知っても祈ってくれる友、他者の中傷や非難の言葉に同調しないで、共に立ってくれる友、互いに祈り合い、忠告し合い、赦し合える、《信仰の友》の出現を期待したのです。教会の外ではなく中にでした。

 私は、ダビデを語り続けてまいりまして、彼もまた一人の人として、弱さを持っていることを知って、大変に安心させられたのです。もちろん私が罪を犯すことの言い訳のためではありません。人の弱さや罪性が暴露されるのは、私たちの人生の計画書をお持ちの神さまが、私たちの安全と保護のためになさることだと分かったのです。その同じ罪を犯し続けることのないためにです。

 決して私たちを断ち滅ぼそうとされているのではありません。ダビデは、あのバテ・シェバとの破廉恥な罪の後、どのように生きたのでしょうか。それをうかがい知る事の出来る記事が、列王記第一にあります。「・・彼女を知ろうしなかった(1~4節)」と記されてあります。彼が老人であったから卓越し、達見していたからではありません。彼は、意思して、女に触れようとしなかったのです。
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 「人はその友によってとがれる」とありました。キング・ジェームス訳と原典とには、「・・友<の反対・怒り・顔つき・支持・賛成・受け入れetc..・・>によってとがれる」とあります。神さまはご自身の計画の実現のために、神さまの御心に適った者とするために、私たちを放っておかれません。生まれながらの感情や習慣のままに生きることの中から連れ出して、神さま好みの人造りをなさるためにです。そのために「友」を用いられます。一人の人を取り扱って、神の御心に適った人とするために「研ぐ(とぐ)」のです。

 そのような使命を担って私たちのそばに送られる人を「友」と言うのではないでしょうか。きっとみなさんにも、多くの友人がおいででしょうね。神さまに遣わされた人が、罪を犯しているなら、あなたの言葉や顔つきや反抗的な態度で、彼を傷つけて、研ぎ上げて上げられるでしょうか。それとも盲目的に友人のままで、彼の過ちを黙認してしまうでしょうか。

 聖書に、「愚かな者の友となる者は害を受ける(箴言1320節)」とあります。害を受けないために、『知恵のある者と共に歩みなさい!』と言うのです。そうすれば、「知恵を得る」のです。

 ダビデにとって、ヨナタンもナタンもフシャイもイタイもバルジライも彼の友でした。彼らはみなダビデの<研ぎ手>でした。とくにナタンの言葉は、鋭く彼に迫りました。ダビデの犯した罪を認めさせ告白させ悔い改めさせているのです。またヨナタンからの「女にも勝る愛」は、親切で温かな言葉と応対とで、絶望や悲観と言ったマイナスな思いを、ダビデから削り落として、生き延びる明日への希望、エレミヤの言葉によりますと「将来と希望」を与えることができたのです。

 もう一人、ダビデの近くに、神さまが人を置かれました。母違いの姉ツエルヤの子ヨアブです。この二人は、オジ甥にあたります。 彼は3人兄弟の次男でした。この3兄弟をダビデは、「私にとっては手ごわすぎる」と言いました。それは、反抗的な問題児、「トラブル・メーカー」と言う意味なのです。多分、ヨアブはダビデの近くで育ったようで、年令も近かったのです。また互いの背景を熟知していて、弱さも強さも知り抜いていた間柄だったと思われます。そんな問題児で心配の種だったヨアブは、ダビデが死ぬまで終生離れないで、まったく反逆心を持たなかったのです。軍事的には有能な戦士として、ダビデよりも優れていただろうと言われてます。ただ政治的な手腕や才覚についてはダビデに劣っていたのですが、決定的な違いは、神からの「祝福」のあるなしでした。

 ヨアブについて次のような記事があります。「この知らせがヨアブところに伝わると~ヨアブはアドニヤにはついたが、アブシャロムにはつかなかった~(列王記第一228節)」、ダビデの軍の総指揮官だった彼は、ダビデの三男のアブシャロムが、父に反逆して謀反を起こしたとき、アブシャロムに加担しなかったと言うのです。もし彼がアブシャロムに加担していたら、ダビデは殺されて滅んでいた事でしょう。でも彼は落ち目のダビデを選び、日の昇る勢いのアブシャロムを切って捨てたのです。

 この記事を読むときに、どうしても思い出すのが、イエスさまを裏切ったイスカリオテ・ユダです。エルサレムの宗教界と政治界から律法の違反者で神を汚す者として大反対を受けたとき、ユダは、イエスさまを捨てたのです。そして銀貨30枚で売ってしまいます。イエスさまについて行けば、仲間として断罪されかねなかったからです。

 日本中が、天皇を選び、イエスを捨てた時期がありました。教会は天皇かイエスの二者択一の岐路に立たされたのです。日本人であり続けるか、イエスさまの共同体にとどまるかを迫られます。太平洋戦争の渦中の事でした。多くの教会が、天皇皇后の写真を講壇の上に掲げてしまいました。教団の指導者たちは、伊勢神宮に、戦勝祈願のために参拝もしてしまいました。多くの教会は天皇を選んでしまったわけです。

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 岐阜県下で伝道し、現在もいくつかの教会を持つ「美濃ミッション」というグループがあります。戦時下のこと、その教会の小学生が、修学旅行に伊勢神宮詣でをする事になっていたのですが、それを拒否して参加しなかったのです。教会の教えに従って、イエスを選んだわけです。『非国民!』との轟々の非難が湧き上がりました。戦争が終った時、現人神と祀り上げられた天皇は、「人間宣言」をしました。<恐れ>は誰にもあります。みんなの中からの孤立は命取りです。でもあの小学生たちは、みことばに従ったのです。小学生が、そのような信仰の立場を、教会と家庭とで学び継承していた事に、実に驚かされます。

 さて時を読む人は、あのアヒトヘルのようにアブシャロムを選ぶのですが、ヨアブは、この大きな試練に勝ったのです。そう言った人物をダビデは近くに持っていたのです。ところがヨアブは、アブシャロムよりもはるかに小さな人物のアドニヤに加担してしまいます。アドニヤは、ダビデの子でしたが、ソロモンが王となることに反対して立ったのです。そんな人物に、このヨアブはついてしまったわけです。

 大きな試練に勝った彼が、小さな試練に負けてしまったことになります。そんなヨアブを、ダビデは嫌わないで、「研ぎ手」としてそばに置き続けたのです。でもソロモンが王位を継承する時には、息子には不用な人物だと決めていたのです。それでヨアブを、「・・安らかによみに下らせてはならない(2王2章6節)」と言い含めたのです。みなさんには、「研ぎ手」がおいででしょうか。

(「大垣城」です)

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