今季のアサガオの咲く様子は、ちょっと遠慮がちのように思われます。例年、これまでもかこれまでもかと咲き争うかのように咲き続けていたのに、ちょっと様子が、この夏は違うのです。昨年、咲き残った種が、flower pot の中で自然発生的に芽を出して、いつもより遅く芽が出て、2株ほどはひ弱くて伸びずに終わってしまいました。それでも、隅の2株が生き延びて、咲き始め、ご覧のような咲きっぷりになっています。
華南の街のベランダに咲き始めた、日本から持っていた種から発芽した朝顔が、咲き出した「喇叭花labahua」は、あたりを圧倒するほどの咲っぷりでした。幼い日の朝顔の印象が、すこぶる良かったのか、花などに鼻をかけなかった自分が、家内が種を蒔いて、鉢に咲かせた朝顔に心が癒されるのを楽しむようになって、毎年、この花を楽しんできています。難しい顔も素振りもしない、幼子のような花の姿が好きなのです。
夏目漱石は、旧制五高、現在の熊本大学で英語を教えていたことがあります。肥後熊本に、29歳で赴任し、1896年(明治29年)から4年間いました。その熊本にいる間、朝顔を詠んだ句が多くあるのです。
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朝顔の黄なるが咲くと申しきぬ
熊本には、「肥後六花」と言って、椿、芍薬、花菖蒲、菊、山茶花、そして「肥後朝顔」があります。明治二十年代に、朝顔の栽培が流行したそうで、淡青色の花が主流だったのですが、「黄色」の朝顔が、品種改良で誕生し、その驚きを漱石が作句した次第です。
奈良時代に、遣唐使が、帰り船で持ち帰った朝顔が気に入って栽培がなされていったようです。二十一世紀に入って、華南の街に帰る時に、わたしは、種苗店で買った「朝顔の種」を、荷の中に忍ばせて持ち出したのです。そして、当時住んでいた集合住宅の7階の台所の流しの下で、家内が芽を出させた小さな苗を、flower pot に植え替えて、ベランダに置いたのです。
里帰りの朝顔は、ふるさと回帰を喜んだのか、旺盛に咲き、ベランダいっぱいで咲き続けたのです。その咲き終わった種を持ち帰って、栃木市の沼和田の軒先に植えたのです。行ったり帰ったり、子や孫の代の朝顔は、綺麗に咲いてくれました。残念なことに、十九年の秋の洪水で種を失ってしまいました。
大型薬販売店の店頭にあった、袋に入った種を買って蒔いた種の子種が、この上の写真の朝顔の花なのです。
今年もと 咲くを楽しむ 喇叭花
(昨日の朝顔、肥後朝顔、華南の町に咲いた時の喇叭です)
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