多恵子

日本の代表的な企業の一つである「ソニー」の創業者、井深大氏は、『多恵子は、負わなければならない重荷であると共に、生涯の光です!』と言われました。彼は、お嬢さんの多恵子さんが障碍を負っていることを恥じたり隠したりしませんでした。そのことで、父として大変な責任を負っているという現実も否定しなかったのです。多恵子さんがいることは、困難なことだと正直に告白したのだと思います。『天が私に下さった素晴らしい機会なのですから、喜びなのです!』と言って、美化したり強がりもしませんでした。科学者として、実に現実をありのままの《事実》として認め、現実から来る感情も誤魔化しませんでした。でも、多恵子さんと多恵子さんに付随していることのすべてを、認めることができた時から、彼自身と彼の家族にとって、そして彼が創業した企業にとっても、『多恵子は・・生涯の光である!』と言い切ることができたのです。

何時でしたか、NHK教育テレビの「福祉の時間」だったと思いますが、多恵子さんが取り上げられているのを見ました。授産所で働いている多恵子さんの表情が大写しになっていました。喜びに輝いていたのです。経済的に豊かな父親に育てられている物質的な満足さから来たものではなく、父の娘として、十分な愛を受けた感情的・家族的な満足感からくる笑みだったように見うけられました。

彼女のことを知ったときに、思い出したのが、アメリカ大統領であったジョン・F・ケネディー氏の妹さんのことでした。彼女も、何かの障碍を負われていたのですが、大富豪であった父親によって、彼女とその生涯も隠蔽されたのです。まるで、『我が家には、障害を負った娘などいようはずがない!』とでも言うような形で、覆い隠されたことになります。この家族が出くわすいくつもの悲劇の背後には,こう言った家族観・人間観・障害者観があったことは無関係とは言い切れないなと思ってしまうのです。

その「ソニー」は、障碍を負われた方が働くことができるように、厚木市だったでしょうか、授産施設としてのかなり大規模の「工場」を持っています。テレビの放映が始まったころから、『エス、オウ、エヌ、ワイ・・SONY!』とのコマーシャル・ソングを聴いて育った私は、この会社の開発製品の「カセット・テープ・レコーダー」が初めて売り出された時、一月ほどの給料で一台を買いました。そのレコーダーで録音したテープの声を、今でも聞くことができます。こういった新機種を産み出した企業の創業者のご家族に、多恵子さんがいたことを知らなかったときのことでした。

社会の弱者に対して、どのように振る舞いどう感じるかは、私たち五体満足な者にとって大きな責任があるのでしょう。ギリシャの都市国家、スパルタのように、障碍を負った者は人としての価値を認められなかったのとは違い、一人一人の人間的価値、人権が認められ、尊ばれる近代国家に生かされている私たちは、「優しさ」、「いたわり」、「愛」といったことを学び、また実践し、彼らと「共生」するようにと召されているのではないでしょうか。中国でも、「福祉」の問題が注目されてきて、豊かさの中から、弱者への還元が考慮され始めております。

(写真上は、SONYの「VAIO」、下は、 1960年に完成したSONY厚木工場です)

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