ノラ

野良猫が、自転車置き場の近くに出没していました。人影を察知すると、さっと逃げ去って行くのです。彼が安全圏に入り込むと、深く沈みこんで、おびえた目をこちらに向けてうかがうのが、いつものパターンでした。それは捨てられた猫が負った、逃れられない宿命なのでしょうか。彼は、人は信用できないことを知っているからです。彼にはえさを備えてくれる飼い主がいませんから、毎日、自分で調達しなければならないのです。大変な人生、いえ《猫生》を生きなければならないのです。父が犬好きでいつも我が家に、犬が飼われていましたので、犬は好きなのですが、猫は好きになれないままでした。泣き声も、鋭い視線も、エサにするために人様の食物を盗む習性も嫌いなのです。

ところが次女の家で猫を二匹飼い始めたのです。彼女の主人が、職場の高校からの帰りに、捨てられていた、生まれたばかりの猫を拾って来てから飼い始めたのです。この猫が黒毛で、大きくなって来ましたら、あの野良猫と実にそっくりになりました。南信・飯田にいるはずなのに、甲府に来ているはずがないし、区別がつきません。真そっくりです。もちろん黒毛の猫はみんな同じに見えるのですが。この二匹を比べてみて、ずいぶんと違った生を生きて来たのだと、つくづく思わされて仕方がなかったのです。二匹とも、野良猫が野良で生んだか、飼い主によって邪魔で捨てられるか、どちらかだからです。片方は誰にも拾われないで、自活しています。次女たちが飼い始めた猫は、愛情いっぱいに飼われていて、水もエサも供給され、お便所の砂も換えてもらい、首にはバンダナを巻いて、ちょっとイキな感じを見せていたのです。

この猫の名前が、タッカー(彼らはタッキーと呼んでいますが)で、しばしば我が家に連れて来るうちに、私は猫が好きになってしまいました。実に可愛いいのです。彼は尻尾で、私にタッチしてきたり、からかったりもして来るのです。ところが、彼らは、もう一匹、道端から拾って帰って来て飼い始めたのです。彼女はスティービーと呼ばれていました。この二匹と遊んでいますと、拾い上げられた私の人生の祝福を思い起こさせられたのです。あの野良猫のような人生を生きていて当然だった私を思い起こさせられたからです。彼のように素早しこく、生命力旺盛だったら、生きることができたかも分りません。彼だって餓死したり、自動車に轢かれるか、腕白坊主に棒で殴られるかして死んでしまったかも知れないことを考えると、自分が生かされて今日を得ていることは、驚くほどの祝福だと思ったのです。タッカーは、決しておびえた目をしませんでした。スティビーのわがままに、いつも譲っていたのです。愛された猫の特徴なのでしょうか、個性的に面白く育ってきていました。

2005年の夏に、次女夫婦が帰国することになり、この二匹を私たちが飼うことになったのです。脱走したり、隣の家に入り込んだりするタッカーの世話は、けっこう大変でした。でも、彼らを飼う楽しみもありましたが。ところが2006年の夏、今度は、中国行きを決めた私たちの手では飼うことができなくなって、この二匹の猫を、「動物保護センター」に引きとってもらわざるを得なくなったのです。それは辛い別れでした。彼らをとても愛していた家内の留守に、それを強行しました。道々、悲痛な鳴き声を上げていたのが、いまだに耳に残っています。

いま、隣の家で猫が飼われていて、我家の庭で日向ぼっこを時々していますが、この猫を見るたびに、あのタッカーとスティービーを思い出してしまうのです。大きな犠牲があって、私と家内が、ここにいることを思うのは、ただ秋だからだけではないようです。

(写真は、wannyancoolの「パンダナ」です)

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