木を植えた男〜2〜

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 第一次世界大戦が勃発します。「わたし」は従軍し、5年間を戦場で過ごしたのです。プロヴァンスでのことを考える暇などなかったのです。でも、戦争から復員すると、新鮮な空気が吸いたくなって、わずかな手当を手に、あの荒れ果てた地に向かうのでした。その地に変わりばえはなかったのですが、「廃墟の村に来ると、はるかかなたに、灰色がかったもやらしきもの」が見えます。

 その地を訪ねる前夜から、そこでの羊飼いとの出会いのことが思い出されるのです。「ああ、ひょっとして、一万本のカシワの木が、あんなにもひろくねづいたのかも・・・」と呟きます。五年もの戦争体験で、多くの人の死を見てきた「わたし」は、あの羊飼いも、もう亡くなっている様に思えたのです。ところが彼は生きていました。

 会うと、もう60ほどになっているであろう羊飼いの男は、かくしゃく(矍鑠)としてるではありませんか。その頃、彼は羊は木の苗を食い荒らすので、4頭だけ残して、100箱の養蜂を始めていました。そしてこの5年間も、木を植え続けていたのです。1910年に植えた、10歳になるカシワの木は、「わたし」の背丈を越して、大きく成長していたのです。

 その光景を目にした「わたし」は、言葉を失ってしまいます。羊飼いのビフィエ氏は、黙々と林の中を歩き回るのにしたがって、「わたし」もついて歩きます。三区域に分かれた林は、長さが11キロメートル、幅3キロメートルの広さに広がっていました。「戦争というとほうもない破壊をもたらす人間」が、ほかの場所では、「こんなにも神のみわざにもひとしい偉業」を成し遂げることができていたのです。

 ビフィエ氏は、思いついたことをみなやりとげていたのです。ブナの木などは、「わたし」の方に降りかかるほどの高さになって、みわたすかぎり広がっていました。カシワの森も、動物たちにかじられるのを耐えて、密生しているではありませんか。ビフィエ氏は、カバの木立も見せてくれました。五年の歳月を耐えていましたから、戦争で戦っていいた1915年ころには、もう芽生えていたことになります。「まるで若者のようにすっくと立ち」、みずみずしかったのです。(つづく) 

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