木を植えた男〜1〜

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 「人びとのことを広く深く思いやる、すぐれた人格者の行いは、長い年月をかけて見定めて、はじめてそれと知られるもの。名誉も報酬も認めない、まことにおくゆかしいその行いは、いつか必ず、みるもたしかなあかしを、地上にしるし、のちの世の人びとにあまねく恵みを施すもの。」 

 こう言って書き出される、一冊の絵本を読みました。フランス人作家のジャン・ジオノの原作、フレデリック・バックの作画、寺岡襄の訳で、1989年に「あすなろう書房」から刊行された「木を植えた男」です。

 舞台は、フランスのプロバンス地方、時は第一樹世界大戦が始まった1915年の二年ほど前の1913年、「わたし」は、十代半ばの青年です。その地方の山を歩いていたのです。二つの川とヴァンツウー山脈に囲まれている山深い、海抜1300メートルの荒地をでした。

 行く手に集落がありますが、人が住まなくなった廃村で、水筒の水がなくなり、水を求めて何時間も歩き続けています。6月頃のことです。30頭ばかり羊を飼う一人の男と出会い、この羊飼いから、川袋に入った水を分けてもらうのです。まさに、〈清涼な命の水〉に思われたほどでした。

 この寡黙な男に、「わたし」は強い興味を示すのです。廃屋を改装した羊小屋に連れて行かれます。その小屋は小綺麗に掃除が行き届いていた様です。温かなスープを振舞われ、泊めていただくようにお願いすると快諾されます。

 どうもその村は、村人がいがみ合い、憎み合って、心も荒廃して村人は去ってしまったのです。そこに住み着いた孤独の影を漂わせる羊飼いは、食後に、テーブルにどんぐりの入った袋を広げて、ヒビの入っていない大きめな粒を、100粒ほど選nんでいるではありませんか。手伝いを申し出るのですが、「いや、けっこう」と断られ、床に着きます。

 もてなしに心が休まるのを感じた「わたし」は、この男に好奇心を持ち、もっと知りたくて、もう一泊と願い出るのです。「迷惑がると言うことを知らない男」は承知したのです。翌日、羊を牧羊犬に任せると、昨夜選り分けたどんぐりの実の入った袋を水に浸して、腰に結え、1メートル半ほどの鉄棒を手にしました。

 ついてくる様に誘われ、200メートルほど山道を登ると、その鉄棒で地面に穴を開けて、昨夜選り分けたどんぐりを一つ一つ埋め込んでいったのです。『(ここは)あなたの土地ですか?』と聞くと、『ちがう』と答えるではありませんか。聞くと、三年前からこの作業を続けているのだそうです。10万個もの種を植え、2万個が芽を出し、やがて半数はダメになる。でも一万本の「カシワの木」が根付くのです。

 この羊飼いは、その時、55歳で、名前を「エルゼアール・ブフィエ」と言い、それ以前は農場主として麓に、家族と共に住んでいました。ある日、突然息子と夫人を亡くし、世間から身を引いて、羊と犬との「ゆっくり歩む人生」をはじめました。彼は「なにかためになる仕事」をしたいと願ったのです。それが不毛の地に「命の種」を植え付けることでした。

 この「わたし」は、十代半ばで、出会った羊飼いと同じく、孤独の中を寂しく生きていたのです。でも孤独な魂と、ひびきあおうと言う細やかな心の持ち主でした。彼は、『もう30年もすれば、一万本のカシワの木が、りっぱに育ってるわけですね』と言うと、羊飼いは、『もし神さまがこのわたしを、もう三十年も生かしてくださるならばの話だが・・・、そのあいだ、ずうっと植えられるとすれば、今の一万本なんて、大海のほんのひとしずくってことになるだろうさ』と答えています。

 羊飼いの家の近くでは、ブナの苗木が育っていました。彼は、谷間でカバの木の植え付けも考えていた様です。あくる日、羊飼いと別れて旅立つのです。〈つづく〉

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