オットッと

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International Peace Day illustration in paper cut style for culture unity around the world. Dove bird cutout with diverse people crowd. EPS10 vector.

 

 『道路の端を歩くとドブに落ちるから、注意!』と言った矢先から、私の娘は、『オットッと!』と言いながら、ドブにハマりました。そう言った父親の私も、教師やおじさんやおばさん、そして父や母に、〈注意勧告〉されながら、聞かなくて失敗の連続の子供時代でした。

 今、『危ない!」と警告している方がおいでです。日本の社会は、〈曖昧社会〉ですから、『ノー!』も『イエス!』にも偏らないで、マアマアのどっちつかずでやってきた社会です。あの対米英戦争だって、『負けるから!』と、軍事を知り尽くした専門家が警告していたのに、ズルズルと始めてしまって、負けたのです。

 やらない方が良い理由が分かっていても、政治的な理由、経済的な理由、国威の発揚、いえメンツ、連戦連勝で勝ってきた過去の光栄ある実績によった経験が忘れられないで、時が移って変化している状況に、冷静な科学的な状況判断をしなかった結果、『今度も大丈夫!』、『だろう!』で始めて、数え上げられないほどの犠牲を与え、自らも、それを被ったのです。

 戦争でお父さんを奪われた級友たちの憂いに満ちた目、父のいる私への羨望の眼差しは忘れられません。「粛軍演説(1936年5月7日年)」や「反軍演説(1940年2月2日)」を、国会でした斉藤睦男の警告を聞かなかった結果です。

 また、矢内原忠雄は、「非戦論」の立場を、終始守り通していました。その姿勢を、南原繁は、次の様に書き残しています。

 『暗黒時代の中で、たとい現実に戦争を阻止する力を発揮しえなかったにせよ、敢然(かんぜん)と侵略戦争の推進に正面から反対した良心的な日本人が、少数ながら存在した事実のみがかろうじて一すじの救いの光として、私たちの心をなぐさめてくれるのである。 ・・・ 矢内原忠雄氏の個人雑誌は、そうした数少ない貴重な良心的活動の中でも、もっとも卓越した一つである。戦争勢力の暴虐(ぼうぎゃく)に対し憤(いきどお)りの念をいだきながら何一つ抵抗らしい抵抗もできず、空しく祖国の破滅(はめつ)を傍観(ぼうかん)するの他なかった私は、自己の無力を顧みて悔恨(ざんき)の念にさいなまれると同時に、このような勇気にみちた抵抗を最後まで継続した人物の存在を知ったときには、驚きと畏敬と、そして日本人の良心のつなぎとめられた事実に対するよろこびの念のわきあがるのを禁ずることができなかった。(南原繁編「矢内原忠雄-信仰・学問・生涯」263-4)」

 良心を売ってしまわないで、冷や飯を食っても、節を曲げない日本人がいたことは、救いでした。斉藤睦男は議員を除名され、矢内原忠雄は教壇を追われてしまいました。ハッキリものを言う人は、圧力が掛かって、職や責任ある地位を追われるのです。

 もう誰も、『ノー!』と言えない、〈イエスマン〉たちが過ちを犯してしまうのです。今回の新型コロナ騒動も、同じ筋書きで終わるのでしょう。悔やんでも〈後の祭り〉です。新型コロナで失うものは大きいのですが、今の損得ではなく、将来の益のために、賢い良心的な決断をしていただきたいものです。

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