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 東北の海辺に「塩釜」、中部の内陸に「塩山」や「塩尻」と呼ぶ地名があります。とくに「塩尻」は、「塩の道」の終点という事で、そう呼ばれたのです。東京から長野県に抜ける、甲州街道も、蒸気機関車の中央本線も、この塩尻にあった「塩尻峠(塩嶺とも言います)」が難所でした。もう高速道路ができ、旧道を通る車は、地元の人だけになってしまっている事でしょう。

 蒸気機関車も電車も、この峠を超えるのは大変だったのです。かつては、岡谷から辰野を経て、塩尻に至り、そこで「中央西線」と松本方面の「篠ノ井線」に分岐していたのです。ところが、トンネルを掘削して新線が、1983年に開通して(みどり湖駅を経由して)、辰野を通らないで塩尻に至る事ができる様になったのです。

 辰野からは、今でも辰野支線で塩尻に繋がっています。また辰野は、飯田線の始発着駅でもあります。娘夫婦が、飯田市近郊の県立高校で英語教師をしていて、初めて電車で行きました時に、位置感覚がおかしく感じたのを覚えています。以前利用していた時と違っていたからです。それほど難儀だったのです。
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 さて、「塩尻」ですが、内陸部の信州には、海がありませんでしたから、塩の産地ではなかったわけです。それで塩の供給を海辺に頼っていました。塩商人が、担いだり、馬の背に載せて、塩を運んできたのです。越後の糸魚川から「千国(ちくに)街道」、三河の岡崎から「三州街道」や「足助(あすけ)街道」、駿河の御前崎から「秋葉街道」を、塩が運ばれて来たのです。その終着点でしたので、「尻」を付けた「塩尻」と呼ばれる様になった、地名の由来にあります。

 「街道」と言うのは、物を運ぶことから始まり、そこを人が利用して行き来をする様になって、発達してきたわけです。その道筋に宿場ができたことになります。江戸期に整備された「五街道」だけではなく、そういった商業街道が、網の目の様に張り巡らされていたのです。自分の祖先も、髷を結って、旅姿で歩いていただろう想像すると、浪漫が広がっていく様です。
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 世界中に「塩の道」がある様です。ソルトヒップとかソルトボトムとか言う地名だって、世界のどこかにありそうですね。ネパールにも、「塩の道」があるそうです。ちなみみに、オーストリアの"ザルツブルク”とは、「塩の城」を言うのだそうです。この街からも、「塩の道」が始まっていたと言われています。

 ここ栃木県民の食生活で、塩分の摂り過ぎが大きな問題になっているそうです。米飯で、味噌汁と漬物を多く摂るので、先日受けた「検診」の案内の中や、市の広報には、そういる留意点が記されていました。美味しさは、脂分、糖分、そして塩分が作り出すのでしょう。『過ぎたるは及ばざるが如し』なのでしょう。

 「あなたがたは地の塩です」と、愛読書にあります。塩は姿を溶かし消しながら、他の食材の味や栄養素を引き出し、食生活を美味しいものにしてくれています。褒められずに存在意味を表してくれています。そんな生き方を、もう少ししたい、誕生日の朝です。ネット会議で、” Happy birthday to you “ を、子どもたちと孫たちが歌ってくれました。一人の妻の夫、四人の子の父親、四人の孫のジジとして嬉しい次第です。さらに6才の小女朋友が、” Happy birthday to you “ を歌ってれくれました!
 

(塩釜の港塩山、干し柿の塩山、古民家の塩尻です)

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