一対の現実

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 四年前の今日、12月16日に、中国に行きましてから、初めて、「葬儀」に出席させていただきました。その夏にお会いした方が、三日前に亡くなられたのです。病を得ておられて、その闘病の後に、召されたのです。六十有余年の生涯を終えられ、命の付与者の元に帰って逝かれたのです。

 その告別の式に列席させていただきました。私の愛読書に、次の様に記されてあります。

 「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。 」

 司式者の導きで、4曲ほどの歌を歌い、お話が淡々と語られていました。最後に、ご子息が、200人ほどの会葬者に、会葬のお礼を、涙ながらに語っておいででした。

「浮世のさすらい やがて終えなば
輝く常世(とこよ)の 御国に移らん
やがて天にて 喜び楽しまん
君にまみえて 勝ち歌を歌わん」

 この方も、お父さまも、中国では、大変著名な書家で画家だったそうで、彼を慕う多くの方に、亡骸をみ送られて、荼毘にふされました。激動の1950年代にお生まれになり、ご両親の寵愛を受けて育てられ、大学を終えられ、国営企業で働きながら、創作活動をされたそうです。

 人の命、一生とは、かく短いものなのだということを、改めて知らされました。褒賞も栄誉も賛辞も、全てをこの地上に残して、去って行かれたのです。しかし創作された書や絵画は、残されているわけです。

 長年連れ添った奥様は、柩に蓋がされた時に、今まで我慢していた思いが流れ出て、大きな声でしばらく泣き崩れておられました。葬儀が執り行われたのは、この街の斎場でした。広大な敷地の中に、多くの葬儀施設があり、火葬の建物もありました。その日は、一番寒い日だったのです。真っ青な空が、どこまでも広がっておりました。

 やがて合い間見ゆる望みを持って、お見送りできたことを、驚くべき特権と思っております。ご遺族や友人知人の皆様の上に、お慰めを心から願った次第です。「生」も「死」も一対の現実です。天に望みをつないで、今を精一杯生きることが、私たちのすることなのでしょう。

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