ライスカレー

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 先日は、九十歳になったばかりのご婦人とお嫁さんとが、わが家を訪ねてくれました。お元気で、お顔の肌も表情も若くて、はっきり物を言われて、とても好い交わりが与えられました。林檎の本場、長野の生まれで、東京に嫁いで、二人の男の子を育て上げ、次男のご家族と、県南の町でご一緒にお住まいです。

 カレーライスを作って、お昼を共にしました。華南の街で、何度作ったでしょうか。留学生、日本語教師、教え子、友人とその家族など訪ねて来て、何度も何度も作った同じカレーでした。ふみ子さんが、『美味しいです!』と言ってくれました。ちょうど、図書館で借りて読んでいた本に、「ライスカレー」の話がありましたので、転載してみます。

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 ライスカレーとナッパづけとは妙なとなり合わせだが、ともにわたしの家では、だれもが大好きな食品である。

 このごろ日本中で、ライスカレーが幅をきかせている。それは池田さんが、首相に就任されたとき、『ライスカレーでも一緒ににつっつきながら何でも話し合おう!』といわれていらいのことだそうだが、わたしの家のは麦飯もライスカレーも、ともにはえぬきで、池田さんのおしきせでないところがミソ。

 もともと貧乏とは生来の仲よしだが、一時は貧乏と疎遠になりかけた時代もあるにはあったけれども、それも終戦のかけ声とともにまたこれに逆戻り。でも家の中はカラリとしていて、ただときどき驟雨がくるぐらいのもの。むしろこれは生きていくための必需品。

 そうそう、きのうはわたしどもの二十九回目の結婚記念日だったが、別にぎょうぎょうしいこともなく、それこそライスカレーをつっつきながら、越し方、行く末のことの花が咲いた。食事中こどもに、『かあさんのライスカレーは日本一だね!』とたきつけられ、『このナッパづけは色香ともに天下の絶品さ!』とあふられる(煽られる)におよんでは、もう感激でポーツとするばかり。

 だけど何がうれしいといって、主婦にとって家族全員が健康な顔を並べて、手料理にシタづつみをうってくれることほど、うれしいことがまたとあるだろうか。わたしはこれからもライスカレーをつくり、ナッパづけをコトコトきざむことに明けくれするだろうが、ぴりっとからいカレーの味で、流転の激しかったこれまでの旅路を思い、せめて人生の終末だけは、このお菜づけのように、おだやかでありたいなと願ったことだった。

 1960(昭和35年8月29日  田辺早苗 主婦・51歳 佐賀市
(「戦争とおはぎとグリンピース」所収)

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 母と同世代のお母さんの手記です。池田首相は、ライスカレーにまで言及した方だったのですね。麦飯に、これをかけて食べたら、脚気にもならないで、国民の健康が維持できると勧めたのでした。《海軍発祥》のカレーライスは、その頃から《国民食》になったのでしょう。今回は、旬のトマトとナスをたっぷり入れたのですが、リンゴを入れ忘れました。ライスカレー、カレーライス、どちらが正統なのでしょうか。どちらにしろ、コロナ禍でも、美味しく食べれて感謝です。

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