人道の港

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 人類史上、最も残忍な指導者は誰でしょうか。きっとヒトラーかスターリンを上げることができそうです。他にもいそうですが。私は歴史を学び、歴史を教えた者として、過去の事実から、人間とは、これほどに残酷なことを、臆面もなく考え、それを実行できるのだと言うことを知って、愕然とさせられました。

 その様な残酷さや残忍さが、自分の内にも潜んでいるのだろうかと、魂の深みをのぞき見ようとした日がありました。ありました、憎悪、赦さない思い、復讐心、否認、いじめなどがあるのを見つけて、慄然としたのです。ヒトラーにしろスターリンにしろ、初めから、残酷に生きたのではなく、小さな〈苦い種〉があって、それが大きく、増殖され、増幅されていき、もう制御できないほどに大きくなって、爆発してしまったに違いありません。

 もしかすると、彼らは、自分の魂を〈闇の勢力〉に売り払って、その勢力下に自らを置いたのではないかと思うほどでした。そうでなければ、あれほどの残忍な仕業をすることなどできないからです。または、いつか、どこかで、間違ったスイッチを、心の中で押してしまったのでしょうか。

 ショパンを生んだポーランドから、765人の孤児が、1920年と1922年の二度に亘って、日本赤十字社の手で救出され、福井県の敦賀港に連れて来られています。ポーランドは、1700年代の後半に、ロシア、プロイセン(ドイツ)、オーストリアによって3度も分割され、国を失います。そのロシアとの戦争で多くの子どもが、親を失って孤児になってしまいました。彼らは、シベリヤに抑留されたり、送られたりしていた子どもたちです。
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 その孤児が、日本に来て、敦賀市民によって、手厚く歓迎や世話をされたのです。「うさぎとかめ」の童謡があります。

「もしもし かめよ かめさんよ
せかいのうちに おまえほど
あゆみの のろい ものはない
どうして そんなに のろいのか」

「なんと おっしゃる うさぎさん
そんなら おまえと かけくらべ
むこうの 小山(こやま)の ふもとまで
どちらが さきに かけつくか」

「どんなに かめが いそいでも
どうせ ばんまで かかるだろう
ここらで ちょっと ひとねむり」
グーグーグーグー グーグーグー

「これは ねすぎた しくじった」
ピョンピョンピョンピョン
ピョンピョンピョン
「あんまり おそい うさぎさん
さっきの じまんは どうしたの」

 この歌を、ポーランドの子どもたちが、敦賀に滞在中に覚えて、口ずさんでいたそうです。髪の毛を洗い、銭湯に連れて行き、服を着せ、食べ物や飲み物で、敦賀市民が養ったのだそうです。この後、1940年代には、リトアニアからのユダヤ人難民が、杉原千畝の発行した、「通過ビザ」を握りしめた、およそ6000人のユダヤ人が、この敦賀に上陸しています。ポーランド孤児同様の厚遇を受けているのです。

 関西淡路大震災で、多くの子が、同じ様に孤児になりました。その孤児のみなさんを、ポーランドは国に招いて、歓迎し、かつての感謝を表したのだそうです。ポーランドの孤児の最後の一人、マリアさんは、『日本の人が、優しく膝の上にのせてくださったことや、看護婦さんによくしてもらったことを覚えています(2008年の記事です)!』と述懐しています。

 『捨てる神あれば、拾う神あり!』で、残忍さの対極で、優しく人道上の愛を示した、日本赤十字社や敦賀市民のみなさんがいて、ほっとさせられます。それで敦賀を、《人道の港》と言うそうです。

(福井県の敦賀港、曽祖父が過ごした港を訪ねたポーランド人のひ孫です)

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