華南の街で、夏を迎えた頃、仕切りに欲しくなったのが、「風鈴」でした。聞きしに勝る中国一暑い街での夏は、驚きでした。木陰のコンクリートの上で、上半身裸のおじさんが、お腹を出して寝ているのです。また犬は、水たまりに腹をつけ、四足を開いて涼をとっていました。
そんな様子を見、汗をふきながら、『チリン、チリン、チリン!』と、風を受けて鳴るガラスを叩く音が恋しくなっていたのです。杉山平一に、「風鈴」という詩があります。
かすかな風に
風鈴がなっている
目をつむると
神様 あなたが
汗した人のために
氷の浮かんだコップの
匙(さじ)をうごかしておられるのが
きこえます
風鈴の音を、詩人は、そう言った風にして聞いているのかと思うと、人の感性って凄いんだなと知らされたのです。父の家に、この「風鈴」があったかの記憶がないのです。四人の気の荒い男の子を育てていて、風流などといった気分にはなれなかったのでしょう。
地球をば 風鈴(りん)に見立てて 鳴らしたし
2020年、どんな音を奏でて、風鈴は鳴っているのでしょうか。『ショッピングセンターに行ったら買おう!』と思いながら、何度も足を運んだのですが、物の多さと、口のマスクのせいでしょうか、毎度、買い忘れて帰って来てしまいました。同じ杉山平一に、「希望」があります。
夕ぐれはしずかに
おそってくるのに
不幸や悲しみの
事件は
列車や電車の
トンネルのように
とつぜん不意に
自分たちを
闇のなかに放り込んでしまうが
我慢していればよいのだ
一点
小さな銀貨のような光が
みるみるぐんぐん
広がって迎えにくる筈だ
負けるな
夕暮れは静かにやって来ます。お腹が空いて、家に帰りたいけど、まだ遊んでいたい思いと戦いながら過ごした、幼い日が昨日の様に感じられます。一番星が輝き、煙がたなびき、闇が濃くなろうとしていました。さんまの煙です。お腹が、グウと鳴っています。明日も、人生の夕暮れに負けないで、『天気になーれ!』でした。必ず、朝が来るからです。
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