同門の友

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 「門下生」、「門人」、「同門」,「門生」といった関係があります。“ 世界大百科事典 ” によると、「【門生】中国で一定の師の門に入って学問を修め,名簿に著録された門下生・書生を意味し,漢から六朝期にかけて社会的政治的勢力を形成する。1人の師に仕える門生の数は,数百数千人にのぼる場合があり,彼らは師に対して入門金,謝金を出したが,師からの生活保証はなく,また師の家に居住することもなかった。」とあります。

 中国の古い時代には、一人の師の下に、多くの「弟子」たちがいた様です。ですから弟子同士は、競争相手で、師の愛顧や関心を得るために、競い合って学んだのでしょう。徳川末期の長州藩の萩に、「松下村塾」という学び舎があって、塾長が吉田松陰でした。多くの若者たちが、そこで学び、互いに刺激し合い、競いながら、知恵を得ていたのでしょう。やがて幕末から明治維新、新時代の日本を主導する人材を、この塾から輩出しています。

 私は、専門の学校に行く代わりに、一人の「師」の下で、ほぼ八年間、教えを受け、多くのことを学びました。この師には、入門金を支払うこともなく、学ぶことが許されたのです。一時期、もう二人の同門生がいました。その師には、日本で事業を展開していた友人たちがいて、早い時期に、アメリカの南部・テキサスの街からやって来られた一人の方が、一時帰国された折に、その報告を聞いて、啓発され、同じ幻を持ちながら来日され、協力し合いながら、それぞれに責任を果たしておられました。

 その一人一人の働きの後継者となる、若者たちがいました。その門下生が、与えられた師弟関係を持ちながら、相互に学んだり関係作りがなされていったのです。ですから、「又従兄弟(またいとこ)」の様な関わりのあるのでしょうか。そこに友人関係が生まれ、その門下生間の交わりが、今でも続いています。

 お互いに共通したり、また近い価値観、歴史観、奉仕観を持ちながら、長いこと交わりが続いています。こういった友人関係が、私には与えられているのです。それは二十代から始まりましたから、ほぼ半世紀ほども続く交わりになるでしょうか。良い刺激と敬意とが交わされてきたのです。

 ある時、"Knitting"という関係の仕方を、訪問して来た、私の師の友人が、研修会で話されたことがありました。《編み合わされる関係》を互いに持つ様に奨励したのです。出来上がった関係の中で、互いがなんでも話し合い、指摘し合い、忠告し合う関係を持つ様にとです。それは、私たち門下生には、大きな挑戦だったのです。

 もう少し、華南の街に残りたいとの思いが、私たちにはありましたが、家内が病んで、治療のために、帰国を勧められたのです。もう一日、出国が遅れていたら、あの病状では飛行機の搭乗許可が下りないで、帰れないところでした。長く交わりを持ってきた友人たちの働き掛けがあって、無事に出国でき、帰国の翌々日、獨協医科大学病院に入院できたのです。同門、同信の友人たちの支えで、家内は回復の途上にあります。『今夜が峠です!』と、何度か言われたのに、主治医や研修医や看護師のみなさんを驚かせるほどの回復、《著効》をみせています。

 多くの友、兄弟姉妹、子どもたちに恵まれて、私たちの今があります。

( 住んでいた街を流れる河の上流の風景です)

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