どだい無理でした。四十数年前に建てられた、この家には、各部屋に時計があります。ここには、もう一つの玄関があって、そこに手巻きの柱時計があり、四つの居室や台所には、それぞれに凝った時計が架けられています。住まなくなってから何年になるのでしょうか、電池交換をされていない時計が、その時刻のままです。

『電池交換をしたら動くかも?』と、お見舞いに来られた若き友人に言われて、先週近くのドラッグストアーで、〈単2〉の電池を買って、家に帰ってから、台所兼食堂の壁の時計の電池を交換してみました。淡い期待があったのですが、奇跡は起こらず、ピクリとも動かなかったのです。

2年前に、腱板断裂でしばらく動かさなかった肩は、筋肉がすっかり衰えていました。長いリハビリと、療法士の方に言われる通りの自主トレをして、やっと、回復することができました。あんなちっぽけな電気時計が、十数年も動かなかったのに、急激にエネルギーを注入しても、ウンとも動かないのは当然です。

人間も、一度挫折や失敗をして、心が打撃に見舞われてしまうと、なかなか、やる気を出せなくなってしまう様です。もともと失敗だらけの私は、免疫ができているのか、抵抗力が強かったのか、挫(くじ)けることなく生きて来れました。これって、けっこう父や母譲りなのかも知れません。

『校長室に立たされた!』と、そんな経験を話すと、一度もそんな経験のない人には、羨ましがられるほどです。一人立つには、30cmほどの場所があれば、十分です。自分専用の部屋を欲しがったこともありませんでした。自分の名札のかかった家も欲しいと思ったこともありませんでした。何もないまま年を重ねてしまいましたし、昇進も挫折も左遷も、関係ない人生を歩んで来たんだと思い返しています。

『三十代で自分の家を建てました!』と言う人と何人か会ってきました。『別荘を持っているんです!』と誇らしげに語る人がいましたが、羨ましかったり、妬ましかったらいいのですが、そんな願いのない自分で、『いいのかな?』と思ってるのです。

男五尺の身体を横にするには、畳一畳もあれば十分です。そう言えば、『また畳の上で生活してみたいなあ!』と、華南のコンクリートの硬い石の床の上で生活していた時に、ふと呟いたことがありました。ところが、今、六畳間の畳の上で寝起きする夢が叶えられているのです。家内は14畳もある洋室で寝起きしています。ここは障子も襖も廊下もある和室なのです。

小さな夢が、家内のお蔭で叶えられて、実現したことになります。穏やかで静かで、平和な朝、畳の上で目覚めました。この新しい日に、新しい期待と新しい興奮とをもって生きたいと願っております。

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