上がり

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子どもの頃には、《将来の夢》と言う、『大人になったらどうしよう?』と、思ったり話したりしていたでしょうか。少し大きくなった時には、『俺、♡♡が好きだ!』と親友と、秘密を分け合ったりしていました。中学生になった時、『〇〇大学に行くんだ!』と言っていました。そして、思春期の真っ只中で、『あの子が好きだ!』と、心密かに思ったりしていたのです。高校になったら、もう何かを諦めてしまったりして、現実が見え始めていました。やっと引っ掛かった大学では、『どんな仕事に就いたらいいかな?』と考えていました。仕事の機会を得てから、しばらくすると結婚相手の事を考えたのです。そして《糟糠之妻》と出会って、何と47年も生活を共にしています。

結構好い人生を生きて来たのではないでしょうか。長くしてきた仕事を、他の人に任せて、《強い手》 に引かれて、中国にまで来てしまいました。漢語を学び、導かれた街に来て、大学で教える機会を得たり、ある健康倶楽部の活動に参加したりして、今日に至っています。この夏で《満十二年》になります。風邪で寝込むと、何人もの方が『この薬を飲んでください!』と言っては、薬をくださるし、腰が痛いと、『この薬は香港(台湾、マレーシア、家伝)の薬で、効きますから腰に塗ってください!』と持ってきてくれて、家の棚には、何種類もの薬でいっぱいです。大事に思ってくださる方たちの間で、二人で生活をしています。

今日も、久し振りの出先で、<中薬(中国漢方薬)>を処方するために、知人の親戚の中医のお医者さんが、わざわざ来てくれました。また、『今週の水曜日に会ったら、好い薬があるので差し上げますね!』と言ってくれた方がいました。話し言葉が、60%位分かるでしょうか、そんな交わりで満たされています。私の愛読書に、『近くにいる隣人は、遠くにいる兄弟にまさる。』と書いてあります。兄たちも弟もよくしてくれますが、 そこから離れて、ここで出会った人たちとは、私の兄弟に勝るとも、劣らないほどの交友が与えられています。

日本のプロ野球を面白くしてくれた方が、先週亡くなられました。《反骨漢》で、やや《粗暴》でしたが、《人情味》を持った人でした。会った事も話したこともない人でしたが、ほぼ同世代(弟と同学年)でした。二回りほど上の人たちが亡くなり、そして一回り上の人たちの番になり、このところは、同世代が亡くなって逝きつつあります。夢を分かち合い、友情を交わし合い、好きな娘(こ)を競い合った仲間たちの番になってきたようです。『あいつは今、どうしてるんだろう!』と話しの中で聞くと、『去年逝ったよ!』と聞いたりします。

『百まで!』と豪語してる自分の番もありそうですね。歌人の"一休さん"が、次の様に詠みました。

正月や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

生まれてから、全ての人は、避けられないゴールに向かっているのです。私の母も、そして父も、「永生」を信じて、定められた自分の生を全うしました。そんな《生命の道》があるに違いありません。《双六(すごろく)》に《上がり》がある様に、私の一生にも《上がり》があり、死も涙も苦しもない世界が待っていてくれるのです。もうしばらく生かしてもらおうと願っている、2018年最初の日曜日です。
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