益荒男(ますらお)


「愚直の努力」、しなければならないことを、手を抜くことなく、マニュアル通りに、基本に従って、繰り返していく職人気質を、そう言うのだと思います。頑固なおじさんは、見習い工の時に、手をとって教えられることなどありませんでしたから、先輩たちの仕事の仕方を盗み取ったのだそうです。そうして身につけた手法を、踏襲して堅持するのです。若い時に叩き込まれたことを、疑うことなく1つのことにこだわりながら、すべきことをして来たのです。

鍋の穴をふさぐ、「鋳掛屋」のおじさんが、子どもの頃、何ヶ月かに一度、自転車で回って来ました。『邪魔だ、あっちへ行け、小僧!』なんて言われませんでした。興味津々に覗き込んでいるわれわれに、仕事振りを見させてくれたのです。世の中で鋳掛屋の職人なんてたいしたことはないかも知れません。でも鍋が、 どこのスーパーでも売っているような時代ではなかったので、実に重宝だったに違いありません。それにしても随分と安い工賃だったのを覚えています。それでも、仕事に誇りを持って、精一杯仕事をしておられた姿は、われわれ《ハナ垂れ小僧》に、『仕事とは何か?』を教えてくれたのだと思うのです。

そう言った職人さんとか、職工さんが、製造業でも加工業でも、どこにも、どの部門にもいました。私が、学校に行っていました頃、毎年夏に、ある牛乳工場でアルバイトを2ヶ月ほどさせていただきました。製造のラインでも、出来上がった製品の牛乳ビンの入った箱を冷蔵庫に積むのでも、それを出荷するのでも、頑固なおじさんが、 どこにも必ずいたのです。『もっと工夫すれば、楽が出来るのに!』と若くて生意気なわれわれは思ったものです。ところが、決められたとおりにすることを、彼らは要求するのです。言われたことに『はい!』と従う時、彼らはニコニコと微笑んで、『うん、うん!』とうなずきながら、われわれの仕事振りを眺めていました。一日の仕事が終わると、明日の作業ために、時間をかけて準備をするのです。掃除や後片付けをするわけです。新製品を開発する研究部門が、学歴や実績のある人たちによってなされている背後で、脚光を浴びない裏方が、どうでも良いように思われる愚直な作業を続けていたのです。それがあって、社会で評価 される製品が流通して行くわけです。奄美大島から出て来たり、秋田弁をしゃべるおじさんの中に混じって、仕事をして、多くのことを学ばせてもらったのです。つまらないように見える仕事を、意味あるものとするプロ意識の中に見えたのが、この「愚直の努力」でした。若い人の『無駄だ。もっと省力化を図らね ば!』と言った考え方に、それは警鐘を鳴らしている生き方、仕事の仕方に違いないのです。

『漫才の天才!』と言われた人に、横山やすしがいました。彼が、自分と同年であったことを知った時から、彼の生き方に強い関心を向けたのです。同じ時代の流れや風の中を、生きて来た者として、とても親密感が湧いて来たからです。『ほんまに稽古嫌いだった!』と、相方の西川きよしが話しているのを聞いたことがありました。1つの演目を演じるのに、その稽古嫌いのやすしをなだめすかして、稽古に連れ出したのは、きよしでした。なんと40回も稽古をしていたそうです。アドリブだとばかり思っていたのに、アドリブを入れるためには、積まれた山のような稽古があることを知らされて、一朝一夕には名人には、なれないのだと言うことを知らされたわけです。やすしの破天荒な生き方は推薦しかねますが、自分の仕事に対して、いやいやながらでもし続けた、見えない裏の部分があったのだと言うことを知らされるわけです。

この9日あまり、国家的大危機のただ中で、東京電力の50人の作業員が命を賭して、持ち場から離れずに、大惨事から国民を守ろうと決死の作業を続けております。さらには、『仕事とは何か?』を熟知し、山のような訓練を積んだ来た消防士、警察官、自衛官も、今回の危機からの回避のために、死を恐れずに、日頃、切磋琢磨した腕と魂をもって、愚直の努力を継けておられます。職人集団の強靱な心意気に目を釘付けにさせられる私たち国民は、ただただ手を上げて、雄々しき《益荒男(丈夫)》の無事を祈るのみであります。

(写真上は、「鋳掛」の作業を終えた鍋底、下は、「自衛隊員」です)

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