イカロス症候群か

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 作詞が片岡輝、作曲が越部信義で、 「勇気一つを友にして」 という歌があって,1979年版の「小学生の音楽6」(教育芸術社の発行)の音楽の教科書に掲載されていました。合唱の課題曲でもあったようです。

昔ギリシャのイカロスは
ロウでかためた鳥の羽根(はね)
両手に持って飛びたった
雲より高くまだ遠く
勇気一つを友にして

丘はぐんぐん遠ざかり
下に広がる青い海
両手の羽根をはばたかせ
太陽めざし飛んで行く
勇気一つを友にして、

赤く燃(も)えたつ太陽に
ロウでかためた鳥の羽根
みるみるとけて舞い散った
翼(つばさ)奪(うば)われイカロスは
墜(お)ちて生命(いのち)を失った

だけどぼくらはイカロスの
鉄の勇気をうけついで
明日(あした)へ向かい飛びたった
ぼくらは強く生きて行く
勇気一つを友にして

 この歌は、「ぼくら」が、「鉄の勇気」を持って、「明日」に向かって強く、「勇気を友として」生きて行くための応援歌なのでしょうか。ところが、イカロスは死んでしまうのです。七十年代の終わりに、学校で歌った小学6年生たちは、この課題曲に、何を感じたのでしょうか。本当に勇気なのでしょうか、または暴挙だったのでしょうか。

  これはギリシャ神話です。イカロスの父のダイダロスは、細工の名人で、ミノス王のためにラビュリンス(迷宮)を造っています。後になって、王によって、息子のイカロスと共に、塔の中に閉じ込められてしまうのです。その塔を抜け出すために次のような提案を考え出します。

 鳥の羽を集めて、大きな翼を作るのです。大きい羽は糸でとめ、小さい羽は蝋(ろう)で止めて、翼が完成します。二人は翼を背中につけて飛ぼうとするのです。お父さんは、息子のイカロスに言います。『イカロスよ、空の中くらいの高さを飛ぶのだよ。あまり低く飛ぶと霧が翼の邪魔をするし、あまり高く飛ぶと、太陽の熱で溶けてしまうから!』と。

 そしてこの親子は、塔から飛び出したのです。畑仕事をしている人々や羊飼いたちは、この二人の姿を見て、神々が空を飛んでいるのだと思います。ところが、天空を飛んだイカロスは調子に乗ってしまったのです。父の忠告を忘れ、高く、高く飛んでしまいます。太陽に近づくと、羽をとめた蝋(ろう)が溶けてしまったのです。イカロスは羽を失い、青海原に落ちてしまうのです。そのことがって、その海は「イカロス」と名づけられるのです。

 確かに、塔から脱出は成功したのです。でもそれを過信し過ぎて、有頂天になって,自分の能力の限界を超えて、ついには墜落死を遂げてしまいます。羽を作る時に、二つの注意が与えられていたのです。ロウの性質は,溶けやすいことでした。一つは、湿気を避けるために、海面に近づかないこと、もう一つは、太陽に近づかないことを父親に注意を受けていたのです。そのような警告が与えられていたのですが、飛べることに夢中になって、その警告に耳を傾けなかった結果の失敗でした。

『ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ9章6節)』

 「イカロス症候群(イカロスの翼症候群)」と言われます。心理学的、ビジネス的な比喩なのだそうです。ある人が、素晴らしいアイデアで、ビジネスを成功させます。その成功で得た名声や地位や財産は、素晴らしいものがありました。ところが自信過剰で、その成功に酔ってしまって、有頂天になってしまい、終わりには自分を失い、自壊してしまうことを言っています。

 人の人生は戦略の鋭さによって、成功するのでしょうか。それとも運によってでしょうか。正しい戦略とそれを実行する勇気があれば、何でもできるのでしょうか。小学校の頃に、片方の足が水に沈む前に、もう一方の足を上げれば、絶対に沈まないと言った級友がいました。消火用の水のタンクで、それを証明しようとして、漫画みたいなことをしました。彼は本当に,自信満々でやったのです。

 イカロスとはちょっと違いますが、彼は水に溺れてしまいました。助け上げられたのです。信じたことも、実験を実行したのはよかったのですが、身体全体のことを見落としていたのは滑稽でした。失敗した彼は、二度とやらなかったのです。

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『さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」 すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」 すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。(マタイ4章1~11節)』

 イエスさまを、サタンは荒野に連れ出して、誘惑を仕掛けました。石をパンに変えるように、神殿の頂きから飛び降りるように、自分にひれ伏して拝むならこの世の栄誉を上げよう、とサタンは三度、イエスさまに誘惑を仕掛けました。その誘惑を、イエスさまは「聖書のみことば」をもって退けられています。

 イカロスは自ら空を飛んだのですが、誘惑されたイエスさまは、飛び降りませんでした。聖書に記されている「ことば」を告白されて、その忠告を守られたのです。私たちも、様々な誘惑にさらされています。私たちの母は、どう生きるかを、神の御心を知ろうと、私たちに背を向けて、向こう側で聖書を読んでいたのです。そこに助言があり、14才で信じた救い主イエスさまこそが、真の「助言者」であると認めていたからです。

 『それでもね、準ちゃん、聖書にはこう書いてあるわよ。』と、理屈をこねている三男坊を納得させてくれていました。社会人になって、職場の上司の言葉で躓いた自分に、『人の語ることばにいちいち心を留めてはならない・・・(伝道者7章21節)』と、『書いてあるわよ。』と、母は言ってくれました。そして今があります。

(“ウイキペディア”のイカロスです)