秋めいて


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 昨日は、空を、思いっきり仰いで眺めていました。あんなに厚い雲が全天を覆っていたなんて嘘の様な、真っ青な秋空でした。心まで軽やかにされたかの様でした。散歩途中に、サイダーの誘惑にあって買って、懐かしくて飲み干してしまいました。そうしましたら、汗が一気に吹き出たのです。まだまだ油断ならない今日日の気候です。

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明日に希望をつないで生きる

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『確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。(新改訳聖書2テモテ3章12節)』

 「偏見」、真実ではなく、偏った見方で、人を見てしまうことなのでしょうか。正直に人を評価できないで、決めつけてしまうことがおうおうにしてあります。また「事実」を歪曲して、自分の都合の良いように判断したり、結論してしまうこともあります。

 ロシア人で、イワンという名の青年兵士がいました。ロシア軍の軍隊内で、酷い扱いを受けるのです。それは極めて不条理な拷問で、イワンの身体は膨れ上がるほどで、非人間的な仕打ちでした。この方の姿を写した写真が残されてあって見たことがありました。

 イワンは、信仰者でした。神のいますこと、イエスがキリストであると信じ、信仰第一の生活を、軍隊内でも送った、柔和な性格のクリスチャンでした。共産圏では、無神論の上に国家が作り上げられ、神の存在を認めませんでした。唯物論で、人間も、物質にしか過ぎないとしています。人の命の尊厳など認めなられなかったイワンは、反逆思想の罪人として扱われ、独房に入れられ、繰り返し暴力を受けたのです。

 ある晩、不思議な体験を、イワンはしたのです。あのパウロが、第三の天に引き上げられたことが、「コリント人への第二の手紙12章2節」に記されてある様に、天に携え上げられる経験をしたのです。その日も、拷問を受けていましたが、神の臨在に触れることのできたイワンは、これから彼が行くべき世界が、どの様な所であるかを体験し、それを書き残したのです。

 これは、作り話ではなく、実体験として、ロシア語で書き残されていて、その翻訳文を若い時に、私は読んだのです。それはソヴィエト連邦が崩壊する以前の出来事でした。間も無く拷問で死のうとしていたイワンに、その死の向こう側の世界を、神さまはお見せになったのです。私は、その告白文、証詞を読んで疑いませんでした。無神論者が、どのようなことをするかを聞いて知っていましたし、彼らは神を畏れないからできるのです。

 権力闘争、裏切り、失脚劇、粛清などの暗黒史が、ソ連にもルーマニアにも共産中国にも見られました。今も変わりありません。その驚くべき事実は隠蔽されて、神を畏れない人物が、権力者の座に就きやすい社会構造なのです。

 神の賜物としてのいのちなのに、物の一つであって、失われても、補充できる、残った人たちでやっていけるという論理の世界です。三億の人口の一億が死んでも、二億が残るなら国家は維持できるという考えです。ですから、人一人のいのちなど、どうでもよいことになります。

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 激しい試練の中で、神を信じて生きるイワンに、神さまが味方をしたのでしょうか。

♫ やがて天にて 喜び楽しまん 君に見えて 勝ち歌歌わん ♪

 また、「地下墓所の殉教者(伝道出版社刊)」という題の書籍がありました。もう絶版になってしまい、古書界では高額で取引されています。ネロ帝の激しい迫害下、ローマの地下にあった共同墓所に、信仰者たちが隠れ家として生活してました。捕まれば、闘技場に引き出されて、キリスト信仰者たちが獣に襲われる様子を、ローマ市民たちは眺めて、娯楽のようにして歓喜していたのだと言われています。その流す血に酔いしれて、日を過ごしていたのです。

 また、多くの信仰者たちが銃殺される時、天から冠が降りて来て、彼らの頭の上に留まろうとしていました。ある人は、死の恐怖に駆られて棄教し、その信仰者の中から走り逃れたのです。それを見ていた兵士の一人が、手にしていた銃を投げ出して、処刑者の列に走り込んで、銃殺されました。その天からの褒賞の冠を受けたからだったそうです。

 来世への希望を持つなら、死をおじ恐れないという話は、古代でも現代でも同じです。迫害される者への永遠のいのちが与えられるのです。イワンは、これから迎える残虐な経験の前に、素晴らしい経験をしたわけです。

 遠藤周作が、江戸期の「島原の乱」以降のキリシタン迫害の事実を題材に、1966年に、「沈黙(新潮社刊)」を書き上げ、刊行されました。それは大きな反響を呼び、映画化もされました。徳川幕府は、キリシタンの台頭を恐れたのです。

 敬虔に生きようと願う者たちは、そんな目に遭うこともありますが、永遠への想いを抱いて、耐えた歴史があるのです。人を恐れないで、死も恐れずに、神を畏れたからでした。彼らは、明日に希望をつないで生きたのです。

(Christian clip arts からのイラストです)

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信じる者になりなさい

 

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 『それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。(新改訳聖書 ヨハネ20:27)』

 ドイツの弱冠27歳のダーフィト・シュトラウスが、聖書が記す、イエスさまの生涯の中から、「奇跡」とか「真理」を取り除いて、〈史的イエスの探究〉と言う目標を掲げて、「イエスの生涯」を書きました。1835年のことでした。「聖書」を薄い書物に改変したのです。それはイエスが、「神の子」ではないことを証明しようとして、人間イエスを著したのです。

 不信仰の立場で書き上げた書物で、教会史の中で、非常に悪い影響力を蔓延させた書物でした。衝撃的な影響力を、キリストの教会にもたらしたわけです。でも、この本は、追随者だけが手にするだけで、今はその影響力はほとんどありません。イエスさまは、人の子でありながら、神の子であるからです。

 この人は、ドイツのシュトウットガルに生まれ、子どもの頃から、神学に強い関心を示し、チュウビンゲン大学に進学して、哲学を学びました。ところが、〈直感と感情〉で聖書に向かうシュライエルマッハーに共感して、強い感化を受けてしまったのです。

 『誰から影響を受け、誰から学ぶか?』によって、人は変えられてしまいます。変えられてしまった彼らは、主にドイツの教会の〈聖書批判〉から生じた「新神学(自由主義神学)」を説き、世界に広がらせました。それは日本の教会をも見舞ったのです。ある教会の指導者たちは、その神学に惑わされてしまい、聖書を信じられなくなって、聖書批判に走ってしまったのです。

 私は、単純に、聖書の記すことを信じている母に育てられ、疑うことなく聖書を真正面から教えてくださった宣教師に養われました。それで聖書を、《神のことば》と信じ続けてきました。母や家内や子どもたちが、そして自分が病気した時も、『我はエホバ、汝を癒す者なり(エホバ・ラファ)』と、天にいます神さまを信じて祈ってきたのです。この「祈り」、「祈れること」に感謝して今に至っています。

 主イエスさまが、『信じる者になりなさい。』と、トマスに言われたように、自分にもそう語りかけていたのです。『祈って!』と、幼かった四人の子どもたちが、二親に願うので、その都度、私たちは祈ってきました。今や家庭を持った子どもたちが、家族や親族の必要があると、『お父さん、お母さん、祈って!』と言ってきます。

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 『どうして神がいるのに、こんな悲惨なことが、世界中に起こるのですか!』と、おっしゃる方がいます。幼児が誘拐されて殺され、爆弾が保育所を爆破させ、全身麻痺の子が誕生している人の世の現実に、『だから神はいないし、愛の神だなんて嘘ぱちだ!』と言って、神のいます座に向かって、ツバを吐き、罵りなじります。

 世界に見られる悲惨さの原因は、人にあります。私たちの始祖が犯した罪によって、人類は神の祝福を失ってしまったからです。全ての人類の汚点の原点は、人にあって、神にあるのではないのです。

 悲惨な出来事は、人類共通のことです。誰でも、たとえ長生きしても、死産の子であっても、誰もが、必ず死にます。死にそうな経験を幾度となくしてきた私は、死の問題を他人事にはできませんでした。人に言えない様な酷いこと、罪を犯してきた私は、自分の内に、罪が宿っていて、十分に罪人だと思い続けてきました。地獄に落ちて当然だと認めていたのです。

 母は、神がいますことを、いつも話してくれました。何よりも信仰する姿、生き方を見せてくれていたのです。性格は穏やかで、人の悪口は言わず、困っている人には声をかけ、助ける人でした。家事万端を済ますと礼拝に出掛けて行きました。人のために祈り、聖書を読み、賛美し、パートタイムで働いた分から献金を先ずしていました。救い主キリストのいますことを、人にを伝えていたのです。

 25歳の時に、神のいますことを、単純に私は信じられたのです。十二分に罪人であると認めていた私が、罪からの赦しを信じられたのです。イエスがキリストであり、このキリストが十字架に死なれたのは、自分の罪の身代わりに、十字架に死んでくださったと信じられたのです。私を生かすために、このイエスは、死と墓とから蘇られたとも信じられたのです。今や神の子の身分を与えられ、この肉体は死んで滅んでも、永遠のいのちに預かれると、私は信じています。

 そうでしょうか。ある人たちが思っているように、神は、そんなに意地悪で、酷いお方なのでしょうか。そうではありません。自ら最初の人は罪に堕ち、全人類は、死ぬようになったのです。しかし、憐れみ深い神は、人類の亡びを看過できなかったのです。救いの道を定められました。罪の報酬である死を滅ぼすために、神が人となられて、三十三年半の生涯の後に、イエスをキリストと信じる者たちのために、身代わりに死の刑罰を受けてくださったのです。

 しかし、父なる神は、イエスさまを、死と墓とに放置されずに、蘇らせなさったのです。今は、父の神の右の座においでです。そこで信じる者たちのために、執り成しの祈りをし、助け主聖霊をお送りくださり、私たちを迎える場を作っておいでです。それが完成なる時には、信じた私たちを迎えに来てくださろうとしておいでです。

 シュトラウスは、子どもの日に信じていたキリストを捨てました。でも、彼の生涯の最後に、もし信仰を回復させていたら、彼は救われているのです。人の心の中は、誰もわからないからです。ただ神のみが知るところです。人には、まことの神と救い主に出会う機会が、生きている限りあるのです。

 神は、創造者のもとに帰って来るように願い、呼びかけておいでです。人は誰も、やがて必ず訪れる死、最大の問題を解決していないのです。もし永遠のいのちを信じるなら、死と墓から蘇られたイエスさまを信じたら、死を超えて、永遠のいのちに預かれるのです。

『信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。(新改訳聖書 ヤコブ5章15節)』

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 今週と来週、知り合いの二人の方が、手術を受けられます。明日4日に、隣町の知人のご子息が、腕を骨折されて、自治医科大学附属病院で手術されます。また、来週月曜日に、私を友人として、自治医大病院に医師を紹介してくださった友人が、その病院で、心臓にカテーテル・アブレーションを植え込む手術をされます。

 お二人の執刀医のチームの手に、主イエスさまの祝福をお祈りします。無事に手術が終わり、お二人が元気を回復されますように、併せてお祈りさせていただきます。私は、私の神は、「癒し主」であると信じているから祈って参りました。それで今も、信じる者として祈るのです。

(Christian clip art のイラストです)

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神が禁止されたこと

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『あなたがたは死者のため、自分のからだに傷をつけてはならない。また自分の身に入墨をしてはならない。わたしは主である。(新改訳聖書 レビ19章28節)』

 ヘブル人、とは、「渡ってきた人」と言う、カナンの地の住民が、この一族を呼んだ呼び名だった、と聞いたことがあります。カルデアのウルが、彼らの出身地でしたが、神さまのことばによって、「わたしが示す地へ行きなさい」と、神さまに言われて、アブラム(後のアブラハム)が、やって来たのがカナンの地でした。

 風習や慣習の違った地で、彼らの生活に倣わないで、独自の生き方をしていくのですが、神さまは、カナンの地の言い伝えや因習に真似ずに生きるように願われたのです。その一つが、身体を傷つけることや「入墨」でした。宗教的な祈願や決断によってなされる一切の習俗から、しっかりと距離を置いて、離れるように命じたのです。

 私が育てられた父の家には、仏壇とか神棚とかお札とかの宗教用具が、全くありませんでした。父は、子どもの頃に、育った街の教会に、父親に連れられて、日曜学校や礼拝に出席していたそうです。また母は、14歳で、カナダ人宣教師家族との交わりの中で、クリスチャンとなっていました。

 そんな関係からでしょうか、日本的な行事などには、参加することがありませんでした。ただ私は、興味があって、友人の家の仏壇や神棚を見に行ったことがありまし、街の祭礼や神社に行ったのですが、礼拝行為を一切しなかったのです。母に言われたからではなく、自分で、そうしたのです。

 長く過ごした隣国には、五千年の歴史があると言いますから、唯物論の国で、『宗教はアヘンだ!』と言われながらも、様々な宗教的な習俗が残されていました。華南の街のあちこちに、祠(ほこら)があり、香が焚かれ、蝋燭の火が灯されいました。強固な伝統的な信心が、人々の間には残されていたのです。

 最近目に付くのが、スポーツ選手のファッションなのでしょうか、腕や襟首に、タトゥーが見られます。日本人の有名選手には目立ちませんが、二の腕や胸部、腹部、背中、足首などに入れているとも聞きます。その boom の理由としては「何かを忘れないようにしたり、誰かをたたえたりするため」が69%、次が「自分の信念を示すため」の47%、その次が「見栄えがよくなるから」が32%だと調査されています。

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 男気の表明なのでしょうか、若気の至りなのでしょうか、若い時に体に入墨をした頃には、肌もハリがありましたから、粋だったのでしょう。ところが昔、銭湯で見かけた、お爺さんの物は、元気のない龍や獅子だったのを覚えています。そんな時の経過、加齢など想像もつかない若者たちの間に、今やboom を煽られて流行りつつあるようで、とても心配です。ポルトガル代表のサッカー選手、クリスティアーノ・ロナウドは、『献血ができなくなるから!』との理由で、タトゥーを入れずにいます。

 映画が、斜陽になりつつあった六十〜七十年代の映画界が、社運をかけて、任侠路線に打って出ました。outlaw な映画作りに励んでいたのです。スクリーンは、刺青のon parade でした。スクリーンの上での見せ物でしたが、真似た若者もいたようです。でも、boom にはなりませんでした。でも、今や、ファッション化するほど、若い層の人たちに受け入れられています。

 身体髪膚これを父母から受くで、二親の命を継いだ身体を、墨で汚してしまうのは、親不孝と同時に、いのちの付与者の神さまへの不敬なのです。この時代の子どもたちは、どう思っているのでしょうか。とても心配なのです。私たちは、外面ではなく、心の内面を飾る、つまり見せるためでなく、誇示するのでもなく、品性や人間性を高めるべきなのでしょう、外見もです。

( Christian clip arts によるアブラハム、ロナウド選手です)

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オフサイド


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  “ off side ” と言うルールが、サッカーにあります。私は、ハンドボールの11人制の最後の時期に、高校でしていましたが、このハンドボールにも、このオフサイドがありました。ただそれは、サッカーのものとは違っていたのです。(ラグビーにもこのルールはあります)

 サッカーと同じ大きさのフィールドで、左右両陣に、35mラインがあって、バックスとフォワードで攻守分業で、バックス6人対フォワード6人、ゴールキーパーで7人なのです。攻撃時にバックスが一人、守備時にフォワードが一人だけ参加できる人数です。それで対戦するのです。

 冬季のハンドボールは、7人制で、体育館で、バスケットボールほどのコートでしたのですが、それで、結局は、7人制に移行したわけです。元々、ドイツが、強い兵士を産むための母体、母胎の強化のために考え出された競技だったと言われています。

 オフサイドラインと言うのは、ボールの位置を通る、または守備側の後方から2人目の選手を通る、ゴールラインに平行な、線引きされていないラインで、線審(副審)が決めます。 ですから後方から2人目の選手が動けば、オフサイドラインの位置も変わります。 ボールが守備側の後方から2人目の選手よりも前方にある場合、ボールの位置がオフサイドラインです。

 オフサイドは、攻撃側チームの競技者が得点をするために守備側チームのフィールド内で待ち伏せすることを防ぐために定められたルールで、オフサイドポジションにいる味方にパスを出す、あるいはオフサイドポジションにいる味方プレーヤーが相手を邪魔したり、ボールに関与すると反則となり、相手チームに間接フリーキックが与えられることになります。

 「先駆けの功名」とか「抜け駆けの功名」という言葉があります。相手の前に、しゃしゃり出て、チャンスを掴もうとすることを、そう言います。このラインは、そうしようとする攻撃選手を規制するわけです。このオフサイドでシュートを打っても、得点のゴールにはならないのです。人生の場面にも、よくありそうです。

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 それは、実に公正なルールです。欺くことができません。線審(line’s man)が、その位置を見張っていて、オフサイドになると、黄色の旗を挙げるのです。

 政治の世界で暴走する人がいます。企業人にも教育者にも、牧師さんにも、暴走する人がいるのです。社会の常識というライン、倫理上のラインを侵すと、厳しい制裁が課されます。デッドラインになって、政治活動も、企業経営も、教育も牧会もできなくなって、その世界を追われてしまいます。

 若い頃に、何度も、留意すべきことを、先輩の何人もの教役者に、くどい程に教えられました。つまり、超えてはいけないオフサイドラインを引かれたのです。線審が旗を上げると、プレイはストップされます。サッカーでは、そのオフサイド地点から再開されますが、お金や名誉や異性で問題を起こしても、そんな牧師さんたちは、なかなか自分のポジションから退かないで、個人プレイを継続していました。

 それは倫理上の問題だからです。露見しても認めないのです。裁判沙汰になった事例もありました。法で裁かれたら、もう牧師生命は終了です。ですから、あるグループでは、噂に上がった段階で、フラッグが挙げられるのです。

 あんなにモデルのような教会形成をしてきた牧会者、若い教役者が憧れの的のようにして、視線を向けたれていた方が、ラインを侵してしまって、惨めなその後を送っているという話も漏れ聞きます。サッカーの試合で、素晴らしいゴールをした選手の活躍ぶりを観ても、線審のフラッグが挙がったら、どんな巧みなプレイも無効になるのが、このサッカーの大好きな場面なのです。実況中継のカメラは、そのフラッグの挙がった場面を、もっとクローズアップして写し続けてほしいなと思うことしばしばです。

 それって反則なのです。人生上の反則には、侵さないように注意して生きてきました。誘惑は、もちろん魅惑的な相手、輝く札束、名誉ある機会などがあって、まず心の内から始まるからです。どんなに力ある説教をしても、多くの人を集めても、大きく美麗な会堂を建てても、多彩なプログラムを持っても、ラインを越したらアウトです。

 それよりもアルバイトをしながら、一人の奥さんを愛し、子育てをしっかりして、主の激励で伝道牧会をする方が、はるかにまさって尊いのです。そういったみなさんが、この日本を、いえ世界を変えていてくださるのです。

 サッカーでは、全プレイは公開です。レフリーや観衆がジャッジしながら観戦しているのです。倫理上の問題は隠されていて、なかなか表に出てきません。言い訳をしていた方がいたのを思い出します。いつの間にか、目の前から消えてしまった方もおいでです。

 日本の「なでしこジャパン」のメンバーや、その予備軍の選手で、今や国際舞台で活躍する、長谷川唯や藤野あおばや眞城美春などのプレーを観ていると、素敵な球さばきやゴールは素晴らしいのですが、いつも私が気にしているのは、オフサイドなのです。ちょっとへそまがり観戦者なのが、わが特徴です。一昨日、家内が長谷川唯のプレイを、youtube で、感心して観戦していたのです。そんなことなかったのに驚いた台風襲来下のわが家でした

 今日から、9月です。秋の夜長が待ち遠しい「長月(ながつき)」です。ゆでた栗やさつまいもの美味しい季節ですし、芸術の秋ですし、旅行もしたくなる秋です。暑さを吹き飛ばして、涼しい秋になって欲しい朔日です。主に感謝の旗を掲げたい気分でおります。

(ウイキペディアによる線審、サッカーボールです)

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