ひっそりと咲く野草

.

image6.jpeg

白糸草

image5.jpeg

アカショウマ

 こんな花が、日本の原生種の中にあるのに驚かされます。猪や熊の出没の様子を聞いて、野山を歩くことがなくなったのですが、知らない花と巡り会う機会がなくなってしまいました。

 島根県の裏匹見峡の林道に咲いていたと、今朝、送っていただいた「里山を歩こう」のレポートにありました。日本列島や朝鮮半島に咲く花だそうです。ひっそり咲くのもいいものです。

.

 

これは、ハンカイソウで、北広島に咲く花だそうです。素直に咲いています。

.

感謝して生きる

.
.

 昨日は、「雷の日」だったそうです。0626の語呂合わせではなさそうですから、何か歴史的なことがあった日なのかも知れません。

 かつて、京都が火災に見舞われたことがありました。京の都は、幾たびも、火災にあったと記録が伝えています。

 『行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。』の書き出しで、高校の国語で学んだ、「方丈記」があります。そこに、次のような記事があります。

 『いにし安元三年四月廿八日かとよ、風烈しく吹きてしづかならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で來りていぬゐに至る。はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、ひとよがほどに、塵灰となりにき。』、安元3年とは、西暦1177年ですが、この年に京都に大火があった記録されているのです。

 それ以前、醍醐天皇の統治の代に、右大臣の任にあった、菅原道真は、藤原時平との政争の中で、太宰府に左遷させられてしまいます。その左遷から2年後の延喜3年(903年)日に、道真は死んでしまうのです。時平も、 その直後に病没し、次に、道真の後に任じられた右大臣が、沼で溺死をします。

 悪いことは続くもので、延長8年(930年)6月26日に、会議中の清涼殿が、「落雷」で被害を被ります。落雷による火災も発生し、朝廷要人に多くの死傷者も多く出たのです。それを目撃した第六十代の醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に死んでしまいます。これらは、道真の怨霊が原因とされて、「天満宮」が造営され、道真は神として祀られる、そう歴史は記録しています。

 その菅原道真の名誉回復がなされ、「天神」として祀る「宮」が、京の北野の建てられたのです。天神が「雷の神」であり、道真が学問に秀でて、学問の分野で朝廷に仕えたていたこともあって、「学問の神」として、二十一世紀の受験生たちによって、合格祈願されているのです。この両神に、何の脈略もなさそうですが、そんな信仰に驚かされます。

 日本の歴史や出来事の中に、「怨念」や「恨み」や「祟(たた)り」が原因すると言う、その原因追及が気になりますが、死者が、人を呪ったり、化けて出るようなことなどないのです。

 市立図書館の入り口の壁面に、「今日は何の日」 が、掲出されていて、借りていた本の返却と、予約していた本を受け取りに出掛けて、その壁面に読んだのです。聖書は、

『これヱホバの設けたまへる日なり。われらはこの日によろこびたのしまん。(文語訳聖書 詩篇118篇24節)』

 この日も、どの日も、主が設け、お造りになられた日なのです。「日」の良し悪し、吉凶などないのです。どの日も、感謝して生きていけるように、万物の創造主によって、一日一日が祝福されているのです。

(ウイキペディアの稲妻です)

. 

あんなことこんなこと

.
.

 子どもの頃、「地震」、「雷」、「火事」、「親爺」が怖かったものだと言われていました。自分が怖かったものは、別にありました。「蛇」、「蜂」、「家の隅にあったトイレ」でした。暗くて臭かった時代の記憶です。

 一つは、今もなお猛威を振るっている「地震」でした。「気象庁」の統計のよると、日本と、その周辺で、体感地震(震度1以上)は、1年間に1,000~2,000回程度あるそうです。だいたい1日あたり3~6回ほどになるのです。また過去104年間、マグニチュード1 〜6の地震が、1年に16 回あったことになります。

 『準、窓を開けろ!』と父に言われ、玄関や縁側の戸を開け放ったのです。関東大震災の経験者の父は、家が地震で歪んで、出口を塞がれた経験があって、脱出口の確保を命じたのです。

 二つは「雷」でした。今住んでいる県都の宇都宮は、「雷都」世呼ばれるほど、雷で有名な街です。『ヘソ隠せ!』と言われた雷ですが、嫌われるのに、死に損なったのに、その雷鳴の響きと鋭い雷光、叩きつけるような雷雨は、スカッとするので、大好きなのです。

 気象庁の報告書によりますと、「雷日数(雷を観測した日の合計)」の平年値(1991~2020年までの30年間の平均)によると、年間の雷日数は、東北から北陸地方にかけての日本海沿岸の観測点で多いのだそうです。北陸の金沢は、45.1日が最多で、わが宇都宮は26.5日です。宇都宮は夏場が多いのですが、日本海側の金沢は、冬場の雷が多いのだそうです。今度引越しをするなら、金沢を候補地にしましょう

 大陸の大空に響き渡った雷鳴は、つんざくほどの音量で、万物が振るわれるようなものでした。華南の街でも天津の街でも、『さすがは大陸!』と大喜びをしたのが昨日のようです。

 三つは「火事」でした。「消防白書」によりますと、『出火率(人口1万人当たりの出火件数)は、全国平均で3.0件/万人となっている(第1-1-2表)。 また、出火率を都道府県別にみると、最も高いのは青森県で4.7件/万人となっている。 一方、最も低いのは、富山県の1.8件/万人で、同県は平成3年(1991年)以降連続して最も出火率が低くなっている(第1-1-3表)。』とのことです。

 火災原因については、1位の「たばこ」や2位の「たき火」、3位の「コンロ」、4位の「放火」、6位の「火入れ」など、火の不始末といった人間の過失や悪意などによって引き起こされている火災なのだそうです。子育て中、借家住まいをしていて、火のついたままの石油コンロに、注油をしていて、終わった時に、注油ポンプを振ってしまい、引火し炎が上がってしまったことがありました。大事になる前に鎮火できたのは、奇跡でした。『火は怖い!』を実感しました。いえ、不注意こそが、一番怖いのです。

.
.

 四つは「警察」です。もう「オヤジ」が怖くなくなったからです。昔、警察官は威張っていました。何度も怒られたからです。反発したくなるような威張り方でした。横柄だったし、権威を振り回していました。お隣の国にいた時、婦人公安が、借家の手続きで、大家さんと一緒に行った時に、『もう少し優しくしたら!』と思うほどに、ものすごく威張って、権威を振り回していました。

 ごく最近ある県警察本部での事件があって、事件の捜査段階で、上司による隠蔽が問題になっています。警察官の犯した罪へ、長の介入で、事件を有耶無耶にしたことを、許せなかった幹部の告発によってです。真相は、まだはっきりしませんから、怖さ違いで、かえって怖いのです。

 elite 公務員が、地方の官公庁に赴任して、経験を積むためでしょうか、3、4年の間勤めて、中央に、出世のために帰ってくるのです。私たちの時代も同じでした。在任中に、不祥事が起こると、その出世や、退職金や天下りに影響するので、事件を隠蔽してしまうことが、往々にして多いのです。大役人も小役人も同じです。 

 映画で観た江戸時代の悪代官のしたことと、寸分違わないのです。ことばや態度での怖さが昔はありましたが、賢くなった人たちの悪知恵によるのでしょうか。中には、引責辞任をされた幹部も、少なからずおいでです。それがせめてものと、安堵するのですが。義を愛するか否か、それを問いたい老いた一人であります。

 素晴らしく国家の公安についておられる、警察関係者や海上保安にあたっておいでの方々が多くおいでです。それで、安寧と秩序が、保たれていることになります。優しく語る、人情味あふれたことばで接してくださった警察官もおいででした。台湾を訪問した時に、『日本統治時代の巡査が立派でした!』と、感謝されたことがあり、溜飲を下げたことがあったのです。

(ウイキペディアによる稲光、1938年の月島交番と巡査です)

.

赤い色の思い出が

.
西瓜の切り口の赤色は、夏の思い出で、井戸に吊るして冷やして、母が切ってくれて食べたのは、地物の西瓜で、今ほど甘くはなかったのですが、あれぞ本物で、赤い色の強さが鮮明に蘇ります。

 冷蔵庫も、電気釜も、洗濯機もなかった時代の夏は、素麺を茹でて、母手作りの出汁で、薬味にネギや生姜を入れて食べたのです。ネギ嫌いなのに、素麺は食べられたのです。西瓜も、昼間に食べた残りでしょうか、夕食後にも食べさせてもらったようです。

 「夏がくれば思い出す」のは、尾瀬ではなく、西瓜や素麺なのです。夕日も、赤かったでしょうか。子どもの頃に、「赤い夕日の故郷(作詞が横井弘、作曲が中野忠晴でした)」という歌が、よく聞こえてきました。

.

.

(おーい)
呼んでいる 呼んでいる
赤い夕陽の 故郷が
うらぶれの 旅をゆく
渡り鳥を 呼んでいる
馬鹿な俺だが あの山川の
呼ぶ声だけは おーい きこえるぜ

呼んでいる 呼んでいる
赤い夕陽の 故郷が
懐かしい 面影の
ひとつ星も またたくよ
小麦畑は 二人の夢を
ひそめているか おーい 今もなお

呼んでいる 呼んでいる
赤い夕陽の 故郷が
涙ぐみ 背伸びする
渡り鳥を 呼んでいる
雲よ行くなら おふくろさんに
思いをせめて おーい 乗せて行け
(おーい)

 山の狭間の渓谷像で生まれ、その隣の渓谷の隣り村に越して、小学校1年まで住みましたが、山に落ちて行った太陽の残照が、薄赤かったような記憶があります。

 夕陽といえば、隣国の天津の公寓(Gōngyù アパート)の七階のベランダから地平線に沈んでいく太陽の大きさと真赤な太陽は強烈でした。『大陸にいるんだ!』と言う思いに溢れて、感動的だったのを思い出してしまいます。

 様々な色彩が、自然界に散りばめられています。もし無色透明だったら、どんなに味気ないことでしょう。気落ちしても、真っ赤だったり、真黄色だったりの花々を見ると、何か元気にさせられてきたのです。神さまが、さまざまな絵の具で、自然界を色付けされているからでしょう。 

(”illust image“の西瓜、”BEIZE image“による夕陽です)

黄色にまつわる思い出

.
.

 ベランダに、向日葵とシンビジュームの黄色い花が咲き続けています。シンビジュームは、先年お亡くなりになられたラジオ体操仲間の方からいただいた物です。ずいぶん長く咲き続けているのです。向日葵は、次男が母親に、「母の日」のプレゼントに送ってくれたものです。

 アメリカ映画が、「アメリカ版時代劇」の “ cowboy “ の登場する映画の全盛期が、わが少年期にありました。字幕しか読めなくて、聴く英語のリズムの軽快さに、心踊らされたのです。テレビ映画にも、この西部劇があって、週日の一番良い夜に時間帯に、放映されているのを、テレビが、父の家の茶の間に入ってから、よく観たのです。

 カンザスとかワイオミングとかテキサスなどが舞台で、牛を大都市の市場に運ぶための旅の途上の出来事の苦労、小競り合いなどの物語だったでしょうか。その映画の主人公を演じたのは、やはりジョン・ ウエインでした。名画座という封切館でない映画館で上映されて観たのです。

 アメリカ版時代劇の主人公を、中西部アイオワ生まれのジョン・ウエインが演じたのです。まさに「テキサス男」の屈強さや大らかさを演じてNo. 1 の俳優でした。その彼が主演した「黄色いリボン」がありました。また、「テキサスの黄色いバラ」という歌もあったのです。
.
.

There’s a yellow rose of Texas
That I am going to see
No other fellow knows her
No other, only me.
She cried so when I left her
It like to break my heart
And if I ever find her
We never more will part.
テキサスの黄色いバラ 会いに行くんだ
仲間は誰も彼女を知らない 僕だけの秘密
別れのとき 彼女は泣いた
胸が痛んだ
もう一度会えたときは
僕は二度と彼女を放さない

She’s the sweetest rose of color
A fellow ever knew
Her eyes are bright as diamonds
They sparkle like the dew.
You may talk about your dearest May
And sing of Rosa Lee
But the Yellow Rose of Texas
Beats the belles of Tennessee.
彼女は甘美なバラ 仲間も一番と認める
瞳はダイヤモンドのように輝き
朝露の如くきらめく
君の親愛なるメイとローザ・リーの歌も
テネシーの鐘も彼女には敵わない

Oh, now I’m going to find her
For my heart is full of woe
And we’ll sing the song together
That we sung long ago
We’ll play the banjo gaily
And we’ll sing the songs of yore
And the Yellow Rose of Texas
Shall be mine forevermore
彼女を探す僕の心は悲しみに満ちる
昔歌った歌を一緒に歌おう
楽しくバンジョーを鳴らして 懐かしい歌を歌おう
テキサスの黄色いバラ
彼女は永遠に僕のもの(日本語は意訳です)

 メキシコから、このテキサスを独立させるのに貢献したのが、エミリー・モルガン(Emily Morgan)でした。伝説の混血の少女の彼女を、「テキサスの黄色いバラ」と呼んで、歌われていました。ジェームス・ディーンの出演していた「ジャイアンツ」という映画でも、この曲が挿入歌で、軽快に流れていたでしょうか。

 その同じテキサスの街から、日本にやって来て、私たちの母教会を開拓してくださった宣教師さんの出身州でもあったのです。家内の家族には、馴染み深い州であります。この州の片田舎の街で、毎年、Conference (聖会、修養会でしょうか)が開かれ、全米から、主に若い方々が集まっていたそうです。

 その中から、数人の宣教師が日本宣教のためにやって来られ、教会を建て上げてしてくださったのです。そこは、私の母の教会であり、兄弟たちの教会でもあります。「アメリカで最も大きな州」と言って、コーヒーのマグカップのサイズも、びっくりするほどの大きさです。ところが、アラスカが州に格上げされて、その立場を失ったのだそうです。

 宣教師のみなさんは、すでに帰天されましたが、「信仰の群れ」、キリストを信じる者たちの共同体である「キリストの教会」は残されて、礼拝を守り続けております。

 強い太陽の光を浴びて、真黄色に咲く花を見るにつけ、人生に最善の時を、日本人の魂の救いのために労してくださった宣教師のみなさんを思い出すのです。その宣教の志を持って、教会を形成する兄弟たちを、姉妹たちを起こしてくださったことは、感謝にたえません。

.
.

 注意を喚起させる意味で、人の目に目立ちやすい色が、この「黄色」ですので、信号灯に用いられています。欧米では、「腰抜け」を意味した色なのだそうですが、ベランダの黄色の花を見ていると、腰抜けの私は、元気になるようで好きなのです。小学生の頃、パンの中に黄色いクリームが入っていて、よく食べました。今でも、時々食べたくなって買ってしまい、元気にされています。

(ウイキペディアの「黄色いバラ」、「クリームパン」です)

.

夕陽を浴びるわが町

.
.

 今日は、暦の上では「夏至」だそうです。梅雨入り前なのにです。先日の雨上がりの夕方、西から夕陽が、私たちの住む街を照らしていて、感動を覚えたので、スマホで撮ってみました。実際都営沿いでは、だいぶ違いますが、雨が病んで、夕陽がて照るというのは、気分を爽快にさせてくれます。

 長く住んで子育てをした街も、夕陽が、山陰に落ちていくときの光景は、実に綺麗でした。自然の彩なす景色や色彩は、格別に素敵なものです。やはり、「創造の美」であるのでしょう!

.

今の時を見分けること

.

 

『イエスまた群衆に言ひ給ふ『なんぢら雲の西より起るを見れば、直ちに言ふ「急雨きたらん」と、果して然り。  また南風ふけば、汝等いふ「強き暑あらん」と、果して然り。  僞善者よ、汝ら天地の氣色を辨ふることを知りて、今の時を辨ふること能はぬは何ぞや。  また何故みづから正しき事を定めぬか。(文語訳聖書ルカ伝12章54-57節)』

 今から60年前の1964年6月16日に、新潟で大きな地震がありました。震度6強、死者26人でした。大地震の割には、被害が甚大ではなかったことが、この時の地震だと評されています。

 今年、能登半島を見舞った地震は、242人の犠牲をもたらせ、建物の倒壊、海岸線の隆起、港湾の破壊、棚田の崩落など、被害は多岐にわたりました。地震大国の日本、昨日も、千葉県を震度2の地震があって、わが家でも軽微でしたが揺れを感じました。

 家内が級友たちと被災家族への臨時保育をした新潟地震(1964年6月16日)、長男と次男が救援活動に出かけた阪神淡路大震災(1995年1月17日)、家内が入院手術待機中の東日本大震災(2011年3月11日)、それに父や母が感じた関東大震災(1923年9月1日)など、大きく揺れ続けてきた日本列島です。

 聖書は、『即ち「民は民に、國は國に逆ひて起たん」また處々に地震あり、饑饉あらん、これらは産の苦難の始なり。(文語訳聖書 マルコ伝13章8節)』と言っています。世界中に、地震が起こると、イエスさまが、終わりの日の状況を話されたのです。

 人心が乱れて、愛が冷えて、戦争の噂を耳にしている昨今、耳慣れない異常気象現象の気象用語を、今年も聞き、異常高温も予想されてもいます。時を読み、時代を感じることができますが、恐怖だけがもたらされるのではなく、「希望」のあることを忘れてはなりません。

 なぜかと言言いますと、聖書は『恐るな!』と、繰り返し記しています。起こるべくして起こることを、恐れずに、心備えしておくことが肝要なのです。『地震です!地震です!』との、警戒予報を、先日もラジオで聞いたばかりですが、ゆれることがなかったので、驚いてしまいました。

.

 たとえば、「ナマズと地震」、ナマズが異常な泳ぎを見せるのは、地震が起こる予兆だと聞いたことがあります。猫が家から出ようとし、犬が遠吠えを上げ、カラスが群れて飛ぶなども聞かれますが、あながち迷信だと片付けるのも、自然界が何かを教えているのかも知れません。

 イエスさまは、『あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。』とおっしゃいました。一体、今は、どのような時なのでしょうか。多くの人が、さまざまなこと言い、公表し、ネットで伝えています。正しい情報を選んで聞いて、この時代の私たちは、慌(あわ)てることのないようにしておくべきなのでしょう。神に聞け!神のみことばに聞け!

(ウイキペディアのインデアンの伝達手段の「狼煙」、「ねこ画伯コハクちゃん」のナマズのイラストです)