コスミレの咲く頃に

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 今日は、学習院大学で「卒業式」があって、愛子さんがご卒業されたとニュースが伝えていました。日本赤十字社で、一社会人として、お仕事に就かれるようです。主の祝福を、愛子さんの上にお祈りしました。

 そうですね、もう二九年前も経つのだと、ニュースが伝えています。1995320日に、渋谷公会堂で、長女の卒業式があって、朝早く、家内と電車に乗って、渋谷に出かけました。式が終わってでしょうか、地下鉄の電車や駅で、大変な事件が起こったということを聞いたのです。

 私たちは、JRの電車でしたが、娘は級友の家から、地下鉄でやって来たのです。ちょっと thrilling な経験をしたのを思い出しています。宗教家の恐るべき事件に、日本社会が騒然とした日でした。

 『イエス言ひ給ふ『なんぢら惑されぬように心せよ、多くの者わが名を冒し來り「われは夫なり」と言ひ「時は近づけり」と言はん、彼らに從ふな。  戰爭と騷亂との事を聞くとき、怖づな。斯かることは先づあるべきなり。然れど終は直ちに來らず』  また言ひたまふ『「民は民に、國は國に逆ひて起たん」  かつ大なる地震あり、處々に疫病・饑饉あらん。懼るべき事と天よりの大なる兆とあらん。(文語訳聖書 ルカ伝21:811)』

 あの「騒乱」や「おそるべき事」は、「戦争」や「地震」や「疫病」や「飢饉」などの起こる今の時代に、起こるべくして起きたのでしょう。それは、聖書が厳粛に語る、「終わりの日の兆候」に違いありません。今起こっている戦争も、民族と民族の長い対立の終局に違いありません。心して、「時を読むこと」が、わたしたちには必要のようです。

(今朝送信くださった「コスミレ」の清楚な花です)

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ある自由主義者を

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 何年か、隣国から帰国して住む家を、友人の会社の五階にあった部屋をお借りしていたことがありました。首都高速の箱崎インターや水天宮の近くで、すぐそばに隅田川が流れていて、日本橋だって歩いて行ける距離にありました。何度か自転車をお借りして、周辺の名所巡りをしたこともあったのです。

 この江上に、千住という街があって、家康が江戸の町に、最初に架けた千住大橋があって、奥州街道や日光街道への宿場町だったのです。東海道の品川宿、甲州街道の内藤新宿、中山道の板橋宿、そしてこの千住宿が、江戸四宿の一つだったのです。芭蕉は、この隅田川を上って、千住で舟から下りて、奥州路に歩を進めて行きました。

 この千住の出身に、東京大学で教壇に立った、河合栄治郎(18911944年)がいます。この街で酒屋を営む父の息子で、一高に学んだ時、そこで、校長だった新渡戸稲造から倫理を学んだ人でした。新渡戸校長から大変に啓発されていたそうです。彼の同級には、内村鑑三から聖書を学んで、クリスチャンとなった三谷隆正や矢内原忠雄いました。

 この河合栄治郎の全集が刊行された1967年から、刊行のたびに、私の最初の職場に出入りしていた本屋さんから買い求めたのです。それが最初の全集購入でした。この人は、社会思想や経済学の研究者で、「自由主義」の立場を取り続けた人でした。軍部が台頭してきて、二二六事件が勃発した時にも、日中戦争や米英への戦争が勃発した時には、そのファシズムに、決然として反対した方でした。また、マルキシズムにも賛同しない立場をとった方でした。

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 戦争への反対の主張をした矢内原忠雄と共に、河合も軍部や政府の動きを批判し、地裁では無罪でしたが、高裁では有罪の判決を受け、東京大学を追われています。その裁判の過労で、54歳で没してしまいました。

 私は、「社会思想史」を講じて下さった専任講師の教えや人格に感動を覚えていたからでしょうか、「自由主義」に学ぼうとした一学徒だったのです。「自由」とは、脱線して放縦になることではありません。穏健でありますが、この世の横暴には黙っていない人たちの立つ考え方でしょうか。熊本の花岡山で、熊本バンドが結成された時の一人、のちに同志社に学んだ徳富蘆花が、河合栄治郎らに招かれて、一高で講演した折に、[次代を担う学徒に、『自由を殺すは即(すなわ)ち生命を殺すことになる。』と語り、人格の陶冶(とうや)を呼びかけていたのである(佐藤嗣男「蘆花講演『謀叛論』考」明治大学人文科学研究所紀要1997)]と語っています。

 まだ学校出たてだった私は、河合栄治郎に傾倒したのですが、その直後に、母の信仰を継承して、聖書に学ぶ方向に、急転換をしてしまいました。そう言った面で、私を八年間も導いて下さって、先ず「聖書の読み方」を教えて下さったアメリカ人宣教師には、大いに感謝しているのです。

 この方の要請で、牧師や聖書教師が入れ替わりにやって来られては、聖書や歴史や主に仕える者の生き方、在り方、家庭建設、人間関係、牧会法などを学ばせてもらったのです。その選び取りは、自分にとっては当然なことであり、また本来そうなるべくしてなったのだと思う今であります。

(ウイキペディアの千住付近、河合・新渡戸・三谷の記念写真です)

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