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1924年に、パリで開催されたオリンピックに、イギリス代表で、短距離走に出場するように選ばれたのが、エリック・リデルでした。その100mの決勝の日は、日曜日であることが、前もってわかっていたので、厳格なクリスチャンだったエリックは、礼拝出席を優先して、代表を辞退してしまいます。ご両親が宣教師で、中国の赴任地であった天津で生まれておいでです。
ところが、400m競技に出場の決まっていたリンゼーが、そんなエリックのためにに、その出場枠を譲ったのです。その好意に応えて、練習に励んで、オリンピックに参加することができました。彼は、優勝候補を押さえて、一位で入賞し、何と世界新記録を打ち立てて、金メダルを獲得することができたのです。
オリンピックでの優勝の栄冠を得たエリックは、1925年エジンバラ大学を卒業して、父と同じ道に従うのです。両親を助けるために、天津に戻ったエリックは、1932年に教職者の任職を受け、カナダ人の女性と結婚し、3人の娘が授かります。すでに1931年には満州事変が起こっていた時期でした。
日本の支配が強固になる中、1941年、妻子をカナダへ送り返し、エリックだけが単身天津に残ったのです。1943年、日本軍により捕虜になり、山東省濰県の濰県収容所に収容されます。その収容所の中で、教育用の教材を編纂したり、文化・スポーツ活動を組織したのだそうです。ところが、1945年2月21日、脳腫瘍のため収容所で病死するのです。このリデルの獄中記が残されてい、生前に一人の少年との出会いがありました。
収容所でのある日、エリックが導いていた聖書クラスで「山上の説教(マタイ5~7章)」を、子どもたちに教えていた時のことです。神さまに喜ばれて生きることについて話したのです。『自分の敵を愛しなさい!』と言うイエスさまのことばに、生徒たちが反発したのです。彼らの目の前の「敵」は、日本兵でした。彼らを愛することなどできません。『理想に過ぎない!』と思っている生徒たちに、エリックは続けて話したのです。
『僕もそう思う。だけど、このことばには、「迫害する者のために祈りなさい」という続きがあることに気がついたんだ。僕たちは愛する者のためなら、言われなくても時間を費やして祈るだろう。しかし、イエスは愛せない者のために祈れと言われた。だから君たちも日本人のために祈ってごらん。人を憎むとき、君たちは自己中心の人間になる。でも祈る時、君たちは神中心の人間になる。神さまが愛する人を憎むことはできない。祈りは君たちの姿勢を変えるんだ。』
エリックは、自分のはいていた靴を、オンボロになってしまった靴を履いていた一人の少年にあげたのです。彼は、エリックの話を聞いた後、日本と日本人のため祈り始めていたのです。もらったその靴は、天津での陸上競技にも出走していて、その競技会で、エリックが履いていた靴でした。そのことがあった後、間も無くしてエリックは亡くなるのです。
そんな交流があって間も無く、日本軍は降伏して、戦争が終わり、収容所から捕虜は解放され、この少年もイギリスに帰国するのです。エリックの話を聞き、ひどい仕打ちをした日本人のために祈り続けた、この少年は、聖書学校で学び、日本への重荷を持って、日本宣教に志すのです。それが、スティーブン・メティカフ宣教師です。
1952年、このメティカフ宣教師は、日本宣教のために来日しています。青森県の金木町、青森市、五所川原などで活動をして、教会を建て上げていくのです。第二次世界大戦のさなか、中国で日本軍の捕虜となった14歳のイギリス人スティーブン少年は、収容所で出会った、エリック・リデルから、敵を赦し、敵のために祈ることを教えられました。
その人物とは、映画「炎のランナー」の主人公として描かれたオリンピックのゴールド・メダリストだったのです。やがて少年は大人になり、かつての敵国、日本へ宣教師となって来日することに。歴史に翻弄されながらも、怒りと憎しみに押しつぶされることなく、愛と平和を伝える使者となった著者の半生を綴っています。
母は、子どもの頃に、カナダから来られた宣教師さんと出会って、信仰を持つようになりました。その母と同じく、私たち兄弟四人も、アメリカからの宣教師さんの教会で救いを告白をしました。父も、その教会の牧師となった上の兄の導きで、信仰を告白しました。
また家内も家内の家族も、戦後間なく、日系アメリカ人の宣教師の伝道の中で、バプテスマを受けています。教会を受け継いだ宣教師さんのご家族に伴って、私たちは開拓伝道の補助者として、母教会から祝福されて出掛けることが許されました。
『全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。』とのイエスさまの宣教命令に従った方々の学校でも学べました。文化も経済力も話す言語も違う国々に出掛けて行った人たちによって、福音が宣べ伝えられ、教会が誕生してきています。エリックもスティーブンも、その一人でした。
(“ウイキペディア”による現在の天津市、天津の五大道、パリのエッフェル塔です)
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