山口県

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 フグ料理のフグ刺しで有名なのが、「下関」だと言われていて、下関市の唐戸市場で行われる、「ふくの競り」が有名です。下関では、濁音で言わずに、「ふく(福に因んでの呼び方をするようです)」と言い、初めてのただ一度の「ふく刺し」を、ご馳走になって以来、「永遠の幻のふく」なのです。
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 テレビの番組で見た、腕カバー( arm cover  )のような袋の中で、売り手の競り人と、買い手の卸商が、指を触れ合いながらする「競り」が有名で、「南風(はえ)止まり市場」で行われている、この「ふくの袋セリ」と言う実に独特な光景があります。

 そんな関係で、山口県は、心のふるさとでもないのですが、「美味いもんのふるさと」と言えるでしょうか。一緒に出張した研究員で、父よりも少し若かったでしょうか、親の世代の方が可愛がってくれて、「ふく刺し」を、『こんなに美味い物があるのか!』と、感動的に初めてご馳走になったのです。

 干した河豚は食べたことがありますが、あれ以来、五十数年経ちますが、二度目はまだなのです。子育て中にも、子育てが終わった今でも、【ふく刺し=贅沢】が心と胃袋に刻まれていて、弱虫なわたしは、食べたさに耐えている現状です。ただ、どなたかに二度目を要求しているのではありませんので、お心遣いなさらないでください。

 山口県の第一は「ふく刺し」ですが、第二は、長州藩士の高杉晋作を生み出した地であることです。明治維新前夜、憂国の士として活躍した高杉に、青年期のわたしは、強烈な印象を受けたのです。1835年(天宝十年)に、日本海側に面した「萩(はぎ)」の長州藩士の子として誕生しています。

 この長州藩の祖である、毛利元就(もとなり)には、「三本の矢」という、有名な逸話が残されています。元就自身、幼少年期には辛い経験を解いたのですが、養母の愛に支えられて成人し、武に長け、知にも長けた戦国の武将でした。授かった三人の息子を寄せ集めて、教訓を垂れたのです。

 隆元・元春・隆景の息子たち三人に、一本の矢を持たせて、それを折らせます。その後、各自に三本の矢を持たせて折らせると、折れなかったのです。父亡き後、三人が心を合わせ、協力し、助け合うなら、毛利家は子々孫々安泰であることを教えたのです。それは長州藩の藩訓であったのです。

 藩黌の「明倫塾」、吉田松陰の「松下村塾」、幕府の学問所の「昌平黌」に学び、「柳生新陰流」の免許皆伝で、尊王攘夷を掲げ、日本の変化を求めた幕末の志士でした。
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 1862年に、上海に派遣されて、そこで目撃した当時の清国の窮状、アヘン戦争後に起こった、洪秀全らによる「太平天国の乱」の乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)の実情とアヘンに苦しむ支那人の様子を見て、『支那の次には、日本も欧米諸国に植民を許してしまう!』との危機感を、高杉は感じたのです。

 また、〈試撃行〉、つまり『剣術修行を兼ねて各地を回りたい!』と願って、晋作は、武者修行に出立します。茨城や栃木を訪ねたのですが、どこでもその機会を得なかった晋作は、三万石の鳥居家の城下町、壬生で念願の手合わせをします。その相手は、神道無念流の斎藤道場の剣士たちでした。晋作は、21歳、相手の松本五郎兵衛は58歳でした。他の門弟を相手にしましたが、晋作は一本も取ることができなかったと、言われています。

 その後、剣術の修行をあきらめた晋作は、「奇兵隊」を指揮し、幕府軍と戦ったりしましたが、明治維新の前の年、1867年(慶応三年)に、下関市桜山にて、27歳で、肺結核によって亡くなっています。有名な辞世の句は、「面白くなきを世をおもしろく」だったのです。

 高杉晋作は、伊藤博文や木戸孝允に勝る人材だったそうですから、病没しなかったら、維新政府の牽引者となったと惜しまれた逸材でした。わたしたちの住む栃木の巴波公園の中に、長州藩士の墓が残されています。戊辰戦争の小競り合いが行われ、長岡、宇都宮、会津、五稜郭(函館)と戦いが続けて、この戦いは終わっています。

 長州、薩摩両藩が、明治維新政府の要職について、日本の政治や行政が行われ続けて行ったわけです。もう何年も前に、次男が仕事で、会津に出掛けて、タクシーに乗ったのです。運転手との話の中に、会津のタクシーには、『長州人は乗せない!』との不文律があるのです。100年も前の戊辰戦争の時の長州藩士の所業を、今もなお赦せないでいる会津の怨念(おんねん)を感じているのだと、話してくれたことがありました。

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 この長州は、毛利家への徳川幕府の改易、減封などで、やはり徳川への遺恨があったのです。豊臣氏寄りの毛利の立場に対しての徳川家康の恨みが原点にありそうです。派遣争いは、この世の権力者間の常であって、「遺恨」は付き物なのでしょうか。「江戸の仇を長崎で」、関ヶ原の恨み、会津の恨み、人間の恨みが非建設的であって、聖書が説く「赦し」や「和解」に現代人のわたしたちは聞くべきなのでしょう。

 律令制下では、長門国(ながとのくに)と、周防国(すおうのくに)、人口は132万人、県都は山口市、県花は夏みかんの花、県木は赤松、県鳥はナベヅルです。ここも馴染みの少ない県なのですが、下松市で行われた教職員研修会で、出張したことがありました。でも、その時のことのきおくがほとんどないのです。

 日本の政治指導者を多く輩出した県で、先頃、テロ事件で亡くなった安倍元総理の父親も祖父も、この県下の選挙区から政界に進出していて、「長州」の威光は、明治150年を経ても、今なお輝き続けているのです。ただ、母の父親は、下関の人だったと聞いたことがありますので、血統的に、この県は近いのかも知れません。

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