高潔さ

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 信仰生活を始めて間もなくの頃でした、「いのちのことば社」の月刊誌「百万人の福音」に、オズワルド・チェンバースの「マイ・アットモスト・フォー・ヒズ・ハイエスト(彼の没後に神学校で教えた講義の原稿を夫人が筆記していたのを編集したそうです)」と言う通読日課の欄があって、1971年の9月号から翌年の8月号まで連載されていました。湖浜馨牧師の翻訳されたものでした。残念なことにスペースが限られていたので完訳ではなかったのです。

 それでも、その文章の格調の高さと忠実な翻訳とに、心動かされ教えられていた私は、それを切り抜いて合本にして、いつも手元において読んでいました。その後、英語版の原本 ”My utmost for his highest”を買い求めたのです。その英語は大変難しいもので、辞書と首っ引きで読むのですが、それでも大変手を焼かせるものでした。

 ところが、それから20年ほどたちました1990年に、「いと高き方のもとに」との題で、完訳本が出版されたのです。早速買い求めました。それ以後、数冊買ったのですが、今、次男のために家内が買い求めて『199915日「母」』と書き込まれたものが手元にあります。当時、次男が東京に行く際、置き忘れていったものです。

 それを家内と、朝食のテーブルで読んでいるのです。華南の街でも、今は栃木の街でも読み続けています。この著者は、レイモンド・エドマンという牧師が、『最高の生涯を送った聖徒です!』と紹介した人です。1874年にスコットランドで、バプテスト教会の牧師の子として生まれます。あのスポルジョンの説教を聴いて回心したと言われています。伝道者として生きた彼は、その生涯の最後の5年間、ロンドンの聖書学校で、多くの青年たちを教え、伝道者として養成しました。彼の講義は、青年たちの魂を感動させ、揺り動かしたのです。そして1917年、43才で天のホームに帰って行かれました。

 この本は、ホノルルやシンガポールや銀座でも、福音文書店で見つけることが出来るほど、世界中で、いまだに読み継がれているのです。中国語の翻訳もありますし、ネットでも読めます(もう店は閉鎖されています)。

 「霊性の高さ」とか「人格の高潔さ」とか言ったものが溢れているからであります。それは、聖書学校で、主に従って生きようとしていた青年たちに、真剣に語ろうとして語った事々だからでしょうか、聞き手の受けを狙おうとするところが見られません。聖書を忠実に解き明かし、実際の信仰生活にあてはめsているのです。

 私たちを育ててくれた宣教師の説教を、最近、テプで再度聞いています。語っている内容に感じ入ることが多いのですが、語っている彼らの人格や品性が、驚くほどに迫ってくるのです。彼らも、面白おかしく語ろうとしていませんでした。真剣に聞こうとする聞き手に、驚くほどの敬意を表しながら語っておられるのが感じられるのです。人の「霊的いのち」に対する責任と使命とが、彼らにあったからなのでしょう。実に感謝なことであります。
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