ご馳走に勝るもので

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 私の好きな格言は、『一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ご馳走と争いに満ちた家に勝る。』と言うものです。そこには、小さな感謝の積み上げがありますし、平和を希求する意識が満ちています。また奢侈贅沢を嫌っていますし、競争社会の問題点を突いているのです。

 嫌いなのは、『生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。』と言う言葉です。これは、格言とは言えないかも知れませんが、天皇の兵士が守るようにと訓示された「戦陣訓」の一節です。時の陸軍大臣東条英機が、中国に派兵された兵士たちによる、中国の婦女への陵辱や物品の盗みが横行する中で、帝国軍人の「有り方」をまとめ上げた道徳訓示であったのです。「国体観」や「死生観は、哲学者の井上哲次郎や和辻哲郎、文章は、「破戒」で有名な島崎藤村や「荒城の月」の作詞者・土井晩翠らが中心になって作ったと言われています。そこには「体裁」とか、「建前」とかが表に出ていて、『生きたい!』との人間本来の切なる願いを認めていないのです。ここには「生命軽視」が溢れていますから、他者の命の重さも認めることができないので、平気で人を殺してしまうことができたわけです。

 人の生き方に大きな影響を与えるものの1つは、「ことば」です。人は「ことば」に出会って発奮し、方向が与えられ、どう生きて行くべきかの導きを得ます。39歳の時に、私は大きな手術をしました。『死ぬかも知れない!』と思った私は、妻と4人の子に宛てて、初めての遺書を記したのです。子どもたちに、『もしお父さんが亡くなったら・・』と言って、「三つ撚りの糸は簡単に切れない」と言う、親爺さんの日記帳からの引用の「ことば」を書き残しました。これは、毛利元就が三人の子に託した「三本の矢」のたとえ話に酷似しているのですが、『お父さんがいなくなっても、お母さんを助けて、4人で仲良く助け合って生きて行って欲しい!』と勧めたのです。彼らは、一本多いので、より協力の度合いが堅固になるのですが、長男が小学校6年生、一番下の次男が3歳だったのです。

 ところが、死ぬこともなく、生き延びて、一人一人が自立して行く様を見ることの出来た今、もう遺書を残す必要も無いと思いますが、この「ブログ」で、『みんなの父親は、どんな考えや生き方をして来て、どこに向かって生き、ゴールをどこに定めているのか?』を書き残したいと願うのです。きっと彼らも、それぞれに「ことば」と出会い、その「ことば」を語った人の思想と人格とに触れ、励まされ、または叱責されて生きて行くのでしょう。

 地味でいい、有名にならなくてもいい、『よくやった!』とほめられる生き方が出来るために、火で精錬され試された本物の「ことば」と出会って、その励ましで生きて欲しいだけであります。

(家紋は、「三本の矢」で有名な毛利元就の毛利家のものです)