食事時に、このブログを読まないで下さい。
一昨日の午前中のこと、道路の際で車を待っていた時、おじいちゃんに連れられた二歳前くらいの女の子が、道路を横切って来ました。渡り終わって安心したのか、独りで歩き始めて、ちょっとした突起物につまずいて倒れてしまったのです。腹ばいになった彼女のおしりが、何と丸見えになってしまいました。ジェントルマンの私は、幼いレディーから目を逸らしてしました。
まだおしめが取れない年頃には、日本では、おしりがぼこぼこっとしているのですが、こちらは、おしめを使わないで、すっきりしているのです。その代わりに、いつでもできるように、おしりの部分が開いているのです。脱がさないですむようにしてあるのです。実に賢く細工された幼児服が、ほとんどです。ところが、ゴミ箱だろうが、道路の上だろうが、構わずに、お母さんはおばあちゃんがさせるのには、ちょっと驚かされるのです。おおらかといえばおおらかですが、不衛生といえば不衛生極まりないのです。初めて目撃した時には、唖然としてしまったのですが。
これも文化習俗の違いですから、私たち外国人が、とやかく非難すべきことではないのです。ついでに、公衆トイレの話ですが、日本のトイレの構造は、向こう向きに作られていますが、こちらはドアーに向かって顔を向けて座るのです。田舎に行くと仕切りもドアーもありません。最初は抵抗がありましたが、こればかりは、『嫌だ!』と言うわけにはいきませんので、だんだんと慣れてきています。誰もがすることなのですから、人の目を気にしないのです。天津にいた時に、郊外に行きました。一緒に学んでいたオランダ人の若い女性が、この習慣を身につけて、何でもない素振りでいたのには驚いてしまいました。いえ、家内から聞いた話ですのでご安心を。
そう言えば、中学の時に、アメリカン・スクールに、バスケットボールの親善試合に行った時に、トイレのドアーが、上と下が開いていて、真ん中だけに仕切りがあったのには驚きました。ちょっと抵抗があったことを思い出すのです。日本は、《密室》になっているのですが、これも日本文化なのでしょうか。中国で驚いたのは、仕切りも何もない、だだっ広いところに、幾つもの穴だけがが開いているだけのトイレもありました。今はないかも知れません。それに今でも困ることは、近代的な建物の水洗トイレに、ペーパーが備えられてないのです。本当に困ってしまった経験があって、それ以来、必ずポケットやカバンの中には携帯しております。
そんな中で、一番爽快で素晴らしかったのは、四川省の山間部に行った時に、途中で寄ったトイレでした。コンクリート製の側溝式のものでいた。水が流れているのです。座るのに丁度良く作られていて、まさに《自然水洗トイレ》だったのです。見ないですむのは感謝でしたが、前にいる人のものが流れてくるのには、閉口しましたが。
ごめんなさい、少し臭い話になりましたが、これも生きていて毎日、どなたも健康であるなら関わる話しなので、こちらに来て驚かないようにと、文化習俗の予備知識のために書いてみました。
(写真は、「シャクナゲ」の花です)