「寒の戻り」なのか、13日の「暑さ」が異常だったのでしょうか、今日も寒い霧雨の日です。こちらに戻ってきて、一昨日は、暗くなって、残り物の食事を食べていたら、急に寂しくなってしまいました。こう言った感覚というのは、在華6年で初めてのことです。日本から戻って6日目、2LDKの家に独りでいて、食事を自分のための一食だけを作り、大きめの食卓に座って独りで食べ、食後に林檎を自分でむいて一個を食べるという生活が、つまらなくて、寂しくて、悲しく感じてしまったのです。
独りでいるいることは、今回のことだけではなく、時々、これまであったので、まあ慣れているのですが、なんとなく、外の雨の音が聞こえ、I-PODからはジャズが流れているのを聞いていたのに、ふと寂寞とした思いに心が満たされてしまいました。どうも、「人」は、独りでいられるように造られていないのでしょうね。あの最初の人に、「ひとりでいるのはよくない」と語られた話を思い出したのです。何を彼のもとに連れていき、置いても、彼の「孤独」は癒されなかったのです。「人」が独りでいるのは、社会的に不自然なのでしょうか。こんな歌があったのを思い出しました。サトウハチロー作詞・加藤和彦作曲の「悲しくてやりきれない」です。
胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに 告げようか
白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いは ないだろうか
深い森の みどりにだかれ
今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる 苦しさは
明日も 続くのか
これは、「ザ・フォーク・クルセダーズ」が、1968年に歌って流行った歌です。学校を出て働き始めて、仕事をおぼえはじめて1年が過ぎたころでした。あの頃は、友達がいて、仕事があって、ガールフレンドもいて、帰る家も、美味しい母の食事もあったのに、この曲のマイナー調と、サトー・ハチローの憂鬱を誘う歌詞のおかげで、なんとなく悲しくて、わびしくて、やりきれないような日がありました。青春期とは、快活で、行動的であるべきなのに、そんなに沈み込んでいたことがあったことを思い出してしまいました。
そんな悲しくて寂しい思いをメールで発信しましたら、次男が、すぐにスカイプしてきてくれました。もしかしたら、『やばい!』とでも思って、元気づけようとして、声をかけてくれたのかも知れません。帰国している間、彼の家に居候して、仕事の間は離れていましたが、帰宅から出勤、土日の間のほとんどの時を、彼と過ごしたのです。手術から帰った翌日、温泉の入浴剤で風呂を作ってくれたのは、本物の幸せを感じさせられました。それで、こちらに戻って独りになったからだと、自分なりに心理分析をしてみました。次女も、『だれか他のオジさんに連絡してお茶飲みにいったりとかさ、人と交わるのが一番いいと思う!だれもいない家に帰ってくるのは寂しい気持ちはわかるけどね。夜も早く寝るといいよね。 』と言ってくれたら、今日は、同じ学校で働く同年の同僚が訪ねてきてくれて、6時間ほどの交わりをもちました。なんというタイミングでしょうか。
だれにでも、こんな心境はあるのでしょうか。まもなく春になりますし、家内も戻ってまいります。ご心配なさらないでください。