「国慶節」、1949年10月1日に、中華人民共和国が誕生したのを記念した、国家の誕生を祝う日です。昨日は、祝福の花火が打ち上げられる音が、近所に林立している高層ビルにこだましていました。町の中には「慶祝」と記されたバナーが掲げられ、街頭は老若男女であふれていました。長く、イギリスや日本などの外国の支配に甘んじてきた中国が、再び自分たちの手で国を建て上げたのですから、その喜びは大きかったことでしょう。あの日、このような現代の中国の経済的な躍進、世界第2位の経済大国なることを、誰が予測したことでしょうか。13億人(ある方は19億人と言っていますが)の喜びを肌で感じた昨日でした。
私たちの国にも、「建国記念の日」があります。「建国をしのび、国を愛する心を養う日」と言うことで、1966年2月11日から祝日となっております。アメリカが、1766年7月4日に「独立宣言」に署名がなされたのを記念に、フランスが、1789年7月4日に、バスチーユ牢獄襲撃・政治犯解放で「フランス革命」が始まった日(パリ祭)を記念にし、シンガポールが、1965年8月9日に、マレーシア連邦から分離独立したのを記念して制定されたのと、私たちの国は違っています。どう違うのかと言いますと、紀元前660年1月1日(旧暦、新暦で2月11日)に、神武天皇が即位した日を記念にしているのです。歴史的に文書記録が残っていないことと、神武天皇自身が実在したかどうか不明であることなど、「神話」の領域の出来事に由来している点が、他の国々にと違っているのです。ただ韓国には、「光復節(1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾した日)」の他に、「開天節(紀元前2333年10月3日に古朝鮮王国が建国されたとする「神話」による記念日)」がありますが、これは日本と似ていますし、日本と深く関わった建国の記念日です。
戦中、戦前は、神武天皇の即位を記念して、「紀元節」と呼ばれていた日です。神格化して戦争を推し進めたことから、戦後処理をした占領国・アメリカは、その経緯を嫌い、この日を廃止した経緯があります。私は、「王」としての「今上天皇」の立場を認め、昭和天皇が「人間宣言」をしたその決定に従って即位された「今上天皇」を、その人格の高さからしましても尊敬している一人です。最近、日本のテレビ界では、「坂本龍馬」に再び脚光が当てられ、江戸幕府の崩壊と新日本誕生の様子が注目されています。長州の木戸孝允、高杉晋作、薩摩の西郷隆盛、大久保利通、土佐の坂本龍馬、武市半平太などの幕末の志士たちの活躍は、少なくともテレビの画面を観ただけでも、心踊るものがあるのではないでしょうか。中国の若い友人が、毎週、NHK大河ドラマ「龍馬伝」を録画して見せに来てくれるので、テレビの映しだす幕末の様子には精通しているのですが。この幕末の青年群像、歴史的な事実によっても、最も日本が躍動した時であり、日本歴史の中で屈指の変化の時期だったと思うのです。
それで、私の提案ですが、「明治維新」に脚光を当てて、この江戸城無血開城のなされた日、第十五代将軍・徳川慶喜の退位の日、明治の始まりの日を「建国の日」としたらどうかと思うのです。私は、龍馬だけではなく、高杉晋作、吉田松陰の薫陶を受けた彼に、強い関心を持っております。まだ山口県萩に入ったことはないのですが、幕末に、玄界灘を渡って中国にまで行って、国際都市・上海で見聞を広めた彼の心に去来したことを知りたいと思っております。龍馬にしろ晋作にしろ、「私利私欲」、「党派心」、「出世欲」に死んだ、国を衷心から思うことの出来る「国民」、「政治家」、「教育者」、「企業家」が、この国で養い育っていくことを切に願うのです。
中国の誕生日を心から慶祝します。国土のように広い心で、残留孤児を拾い養ってくださったみなさんに、心から感謝したいのです。その同じ心で、中日の友好を推し進めていって頂きたいのです。この広いい中国の隅々で、気高い精神を宿した素晴らしい青年たちが、日々に生長しているのを、身近に感じております。「建国記念日」、本当におめでとうございます。