俺の受賞体験

小学校4年の時に、図画工作の授業で、私が描いた絵が、町の文化祭に出品されました。何と、「銅賞」の受賞でした。集中力の乏しかった小学時代の私は、根を詰めて何かをするのが苦手でしたから、絵もサラサラと書いては出すといったことの繰り返しでした。ところが、どういった風の吹き回しでしょうか、その時の絵は、ずいぶん時間をかけて、精魂を込めて描いたのです。おかげで、受賞したわけです。

長い16年間の学校生活の中で、「賞」をもらったのは、これ一回でした。実は、その文化祭には、「工作」で作った作品も出品されていまして、これまた「銅賞」を貰いましたから、二回きりといったほうが正直な回数ですが。これは私の人生の「金字塔」であって、根性のない私を激励してくれる数少ない出来事であります。だからといって、芸術に集中することなどありませんでした。『ケンカして泣いて帰ってきたら、家に入れないぞ!』 と父に言われ続けて育てれられましたから、筆を持って腕を磨くことなど考えられませんでした。病弱な私に、『強く生きよ!』と願った父流の激励だったのでしょう。ですから握り拳を振り回して、徒手空拳のケンカ修行に明け暮れていたのです。仕掛けても、仕掛けられても、けんかで負けたことがなかったのですが、暴力などは誇ることはできませんね。

私の人生にある、この二度の「受賞」は、〈自己評価〉を高めるためには、素晴らしい経験だったと思うのです。三男坊で、小学校低学年は病弱で死線をさまよいましたから、両親の大きな愛を受けて、わがままに育った自分ですが、父の訓戒や、母の教えや、多くの素晴らしい教師陣によって、少しずつ変えられていったのだと思います。これまで四人の子育ても、やっと出来ましたし、妻とは来年4月には結婚生活40周年を迎えられますが、これも妻の忍耐に尽きます。

今週、「ノーベル賞」の受賞決定のニュースが伝えられていました。「化学賞」で、日本人の鈴木章氏と根岸英一氏が受賞されました。世界で、最高峰の報奨ですから、『鈴木さん、根岸さん、ノーベル賞受賞おめでとうございます!』と、心からの祝福を申し上げます。そして、今年の全ての受賞者のみなさんに、『心からお祝い申し上げます。さらに評価された分野で、ご自分の国だけではなく、人類世界に貢献していって欲しいと願っております。おめでとうございます!』と申し添えます。

これまでの受賞者の様子をみますと、研究体制が整った国の学者たちが、どうも多く受賞してきているようです。これからは、発展途上国の優秀な研究者や思想家にも、そういった機会が備えられて、このアジア圏やアフリカ圏からも、受賞者が多く起こされるようにと願っております。そういった人材が、自分の国から輩出することで、今、学んでいる小学生や中学生たちが、その素晴らしいモデルを誇りに思って、夢や幻を心いっぱいに広げて、学んでいく大きな動機づけになったら素晴らしいですね。世界や人類の明日のために、科学や芸術や平和の発展と祝福のために、貢献できる人材が、さらに出て欲しいものです。

『こんな俺だって出来るんだ!』といった自信をもらった小学校時代の「銅賞」を思い返して、これを「俺のノーベル賞」としたいと思っています。海の彼方の日本の方から、受賞の喜びの大歓声が聞こえてくるような、「国慶節」休暇の週末であります。でも、受賞には程遠い社会の隅で、小さな社会貢献をしている数多くの名のない人のいることも、決して忘れてはいけませんね。