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日本の敗戦が危惧されてきた、1943年11月22日、アメリカのルーズベルトの提唱で、イギリスからチャーチル、中華民国から蒋介石が出席し、エジプトのカイロで会議が開かれました。いわゆる「カイロ会談」です。この会談で「カイロ宣言」がなされています。その内容は、次の通りです。
・ 米英中の対日戦争継続表明
・ 日本国の「無条件降伏」を目指す
・ 日本への将来的な軍事行動を協定
・ 第一次世界大戦により占領した太平洋の全島奪還、及び日本が中国領土から奪った
領土を中華民国へ
返還(例として満州、台湾、澎湖半島)
・ 日本の、強欲と暴力により獲得された全領土剥奪
・ 朝鮮の独立
また、いよいよ終戦間近となる(ナチス・ドイツ降伏後)、1945年7月17日から8月2日、 ベルリンの郊外のポツダムで、「ポツダム会談」が開かれました。第二次世界大戦の戦後処理、日本の終戦について話し合われたのです。この会談には、アメリカからルーズベルト、イギリスからはアトリー(チャーチルの後任の首相)、ソ連からはスターリンが出席しています。会談後に「ホツダム宣言」が発表されていますが、その内容は、次の通りです。
・ 1937年以降のヨーロッパでのすべてのドイツが併呑した領土の返還と、
・ オーストリアのドイツからの分離
・ ドイツの民主化、非武装化、非ナチス化
・ 1945年2月のヤルタ会談での合意を踏まえたドイツ、オーストリアの分割統治と
・ ベルリン市とウイーン市の分割統治
・ ナチスの戦争犯罪の追及
・ オーデル・ナイセ線をドイツとポーランドの暫定国境とする
・ ドイツ本国外に居住するドイツ人の帰還
・ 連合国に対するドイツの戦後賠償請求額は2,000億$に上ると計算されるが、
・ ドイツに対しては200億$の返済を要求する
・ 連合国として日本に対するポツダム宣言の発表
さらに、中国との終戦処理は、国民党蒋介石総統の日本軍に対する「以徳報怨」(いとくほうえん)、「徳を以って怨みに報いる」との考えで行われています。ちなみに、蒋介石が行った演説(抜粋)は、次の通りです。
蒋介石総統の演説「全中国の軍官民諸君~全世界の平和を愛する諸氏!~(重慶にて。1945年8月15日)
「我々の対日抗戦は本日ここに勝利し、「正義は必ず強権に勝つ」との真理は、ついに最後の証明を得た。これはまたわが中国革命の歴史的使命が成功した証でもある。わが中国が、暗黒と絶望のさなかで、八年間奮闘してきた目標は、本日ついに実現した。(中略)
わが中国の同胞よ!「旧悪をとがめず」「隣人と共に善をなす」ことこそ、わが民族伝統の最も高貴な徳性だと、肝に銘じて欲しい。
われらは終始一貫、ただ武断好戦の日本軍閥のみを敵とし、日本の一般国民を敵とはしないと声明してきた。今日敵軍は、すでにわが同盟国の協力によって打ち倒されたので、
われらは厳密に一切の降伏条項を、責任を持って忠実に遂行させるのは当然であるが、しかし決して報復したり、殊に敵国の無辜の国民に対して、絶対に侮辱を加えてはならない。われらはただ彼らがナチス的軍閥に愚弄され、余儀なく強制されてきたことを憐れみ、彼らが犯した錯誤と罪悪から、みずから抜け出せるようにさせたいだけである。
はっきり言っておくが、もし暴行を以て敵の過去の暴行にこたえ、奴隷的侮辱をもって間違った優越感に報いるなら、恨みは更に恨みを呼び、永久に止まることなく、これは決してわが仁義の軍隊が戦った目的ではない。これこそわが軍民各自が、今日とくに留意すべき所である。(中略)
全世界の永久平和は、人類の自由・平等の民主精神と、博愛・互助の合作の基盤の上に築き上げられるものと、余は確信している。それこそ、われらは、民主と合作の大道に向って邁進し、以て全世界の永久平和を、ともに擁護してゆこうではないか。』
終戦の年の日本各都市への空爆、広島と長崎の原爆投下を経て、1945年8月15日、「ポツダム宣言」を受諾し、日本は降服します。9月2日、日本は、アメリカ海軍の戦艦ミズーリー号の艦上で、「無条件降伏」に調印しました。もし日本が南北に分割されていたら、朝鮮半島と同じ悲劇をこうむったに違いありません。蒋介石は、これに反対したのです。また、日清戦争で巨額の賠償金を払った中国は、日中戦争での賠償金請求を放棄したのです。強い反日感情が残る民衆を、『日本人民も被害者・・・賠償金は日本国民の負担になるから!』という理由で、説得したのも蒋介石でした。 この分割がなされなかったこと、さらには、莫大な額の戦争賠償を中国が放棄したことを忘れてはなりません。
もし莫大な補償を要求されたら、日本は経済大国には成り得なかったでしょうし、第一次大戦後のドイツが苦境に立たされ、あの「ナチス」を生んでしまった事態が、我が国にも起こり得たかも知れません。我が国が、戦争被害を与えた国々への「戦後賠償」の一環として行われてきている「ODA(Official Development Assistanceの略、 政府開発援助)」ですが、今でも続けられています。その援助の余力を培うことができたのは、中国の大きく寛容な決断の中から出てきていることにも、眼を向け直すべきです。逃げ場のない所に追い込まなかった、中国の指導者たちの配慮こそが、今日の日本の祝福の原点に違いありません。
(写真は、「カイロ会談」に出席した、左から、蒋介石、ルーズベルト、チャーチルです)」