感謝!

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一昨日、いつも決めて買いに行く果物店で、買ったスイカが、異常に甘いのです。昔、味わったことのある懐かしい味がしてくるではありませんか。これは自然の味ではなく、あの「サッカリン」の味です。舌の裏側から、唾液と共に、甘みがジワッと湧き上がってくるのです。母は、料理をする時には、ほとんど使いませんでしたが、我が家にも、結晶した人工甘味料が、瓶の中に入って、調味料棚に置いてありました。砂糖の流通の少なかった頃のことです。二、三度、こっそり舐めたことがあって、『これは偽物!』だと、子供ながらに分かったのです。

何年か前に、『あるスイカは、赤く着色していたり、甘みを加えてありますから!』、と言われたことがありました。豚肉も赤みを増すための着色もあるようです。意外と舌は敏感ですから、<偽物>や<異物混入>を見破るのです。毎年、夏になりますと、家内の大好物ですから、冷蔵庫に切らすことがないように、切り売りしているスイカを買ってきては、入れてあるのです。先日、アメリカのスイカの様なフットボール型のスイカを頂いてから、丸のままの物を買ってきているのです。一昨日のは異常に甘いのです。

消費者から<甘さ>が求められるので、つい、こう言った細工をしてしまうのでしょうか。甘い果物を作るコツは、「土壌改良」をするのだと、葡萄や桃を生産している方から伺ったことがありました。これは手間、暇、お金がかかるので、つい、出来上がった製品に甘みを加えてしまうのでしょう。ずるい生産者が、やりたがる常套手段です。

そう言えば、ライチも桃も、その他の果物が、最近、甘くなっているのです。もしかしたら、小細工しているのかも知れませんね。昨日来られたお客さんが、二分の一に切ったスイカを持ってきてくれて、まだ冷蔵庫の中にあるし、困ってしまいました。それで、上の階の方に差し上げたのです。あれも、同じように甘かったのではないでしょうか。

食べ物には、結構気を付けているのですが、厳格に調べたら、食べるものがなくなってしまうことでしょう。それで、「感謝」して食べることにしてるのです。そうしたら、害を免れることができるからです。『正直であって欲しい!、そう思っている、灼熱の週末の夕方です。

(写真は、小分けして切られた「西瓜」ですーWMから)

セミ

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今年の蝉の鳴き声が、やけに強烈で、けたたましく聞こえてくるのです。日本で聞いていたのは、ほとんどが<油蝉>なのでしょうけど、『 ミーン、ミンミンミン・・・!』と聞こえてきたのに、こちらでは、ひときわ強く、『ジージージー・・・!』の連続音なのです。何十年となく聞き慣れてきた、真夏の日中の蝉の、あの聞き慣れた鳴き声と違って、そう聞こえてくるので、ちょっと期待外れなのだと思います。この蝉は<クマゼミ>に違いありません。酷暑の華南の街の主役が、もしかしたら、この蝉に代わってしまったのでしょうか。

昨日も、蝉の鳴いている木に近づいたのですが、日本では、人の気配を感じて、しばらく鳴き止むのですが、こちらでは、何のその、鳴き止みません。こちらには 、 セミ捕りの悪童がいなかったので、人を恐れない習性が培われているのかな、と思ったりしています。朝や夕方には、『カナカナカナ・・・!』と聞こえる<ひぐらし>の声がありましたが、こちらでは聞いたことがありません。<ツクツクボウシ>の『オーシンツクツク、オシン・・・!』も聞こえてきません。

中学一年の時に、松尾芭蕉の書き著した紀行文、「奥の細道」を教わりました。「古語」で、よく映画の時代劇で聞いていた口調で、書かれてあって、なんとなく分かって、おもしろかっのです。この芭蕉の作った俳句に、

閑(しずけ)さや岩にしみ入る蝉の声

があります。閑静な奥山に分け入った芭蕉が、耳にしたのが、『チー、ジー!』と鳴く<ニイニイ蝉>の蝉の鳴き声でした。まるでその鳴き声は、岩に沁み込んで行くように聞こえていたのでしょう。土の中で長く過ごして、蛹からかえって、短い一生を鳴いて鳴いて終えるのですから、激しく自己主張をするのに違いありません。

あの<アブラゼミ>の鳴き声が懐かしいのです。アイスキャンディーをしゃぶりながら、麦わら帽の私に、ジリジリと照りつける夏の太陽と、<ミンミンゼミ>の鳴き声が、夏本番でした。

(写真は、「アブラゼミ(ミンミンゼミ)ですーWMより)

喜ぶ者と共に

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昨晩、若い友人夫妻が経営するパン会社の「周年慶」が、繁華街にある<第一号店>で催され、お祝いの植木鉢を手に、家内と二人で、公共バスに乗って出かけました。7時からセレモニーが開催され、店内にはラッシュアワーの山手線を思わせるような招待を受けた人々で溢れていました。それほどの数の顧客を持っていることに、七年間の実績を感じさせられたのです。

カナダから最高級の小麦粉を輸入し、それを日本製の製パン機、日本の製パン法で焼き上げた、パンとケーキとクッキー、中秋節には<月餅>を販売してきています。市内に四店舗あり、今年の暮にはもう一店、建設中のモールに開店予定だそうです。また、大手のスーパーにも販売コーナーをもうけたり、有名ホテルにも納品しているそうです。最近では、ケーキの<通販>も始めておられ、経営も順調のようです。社長夫人の弟さんは、製パンの機材や材料の会社を任されていて、同席されていました。

他のパン屋と比べると、格段の価格の高さがありますが、『美味しい!』ので、大人気を得ているようです。一昨日も、頂いて冷凍庫にあったケーキを、四人のお客さんにお出ししましたら、『おいしい!』と大喜びで食べておいででした。

どうしてこんなに、この企業を絶賛するのかと言いますと、美味しいパンやケーキを頂くだけでなく、私の帰国中、一人残った家内を、この社長夫妻が、家に招いてくれて一週間もお世話してくれたり、私たちに好くしてくれるからなのです。夫妻の中学生の息子さんは、アメリカに留学されていて、下の小学一年のお嬢さんは、<おにぎり>が大好きで、この夏休みは、これを食べに日本の福岡の親戚の方の家に行く予定でいるのだそうです。

この七年間のことを、若干声が高い調子で、30分ほど社長さんが話されていました。ご自分自身、パンが大好きで始めた事業ですから、ここまでの成功を顧みて、感慨も一入(ひとしお)だったのでしょうか、熱を帯びて語っておいででした。この方は、親に捨てられた障害のある子どもたちのために、余ったパンやケーキではなく、製品を寄贈し続けてきているのです。最近では、その子どもたちの誕生日を調べて、<バースデイ・ケーキ>を届けているそうです。

こう言った黙々としてなされている<社会貢献>が、この企業の祝福の理由なのではないでしょうか。私の長男の友人で、月島でケーキの製造卸をされておられる方がいて、『彼と東京で出会ってから、とても助けられています!』と、日本贔屓の社長夫妻が感謝されておられました。家内の奥様会仲間のご婦人方も出席し、引き出物を頂いて帰宅しました。喜ぶ者と共に喜べた真夏の宵でした。

(写真は、家内が頂いた「母の日ケーキ」です)

街角で

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最近の街角で、以前と違うことが幾つかあります。その一つは、主要の道路には中央分離帯として、<柵(可動式)>が置かれたことです。以前は、横断歩道を含めて、どこででも、道路を横切れていたのですが、この柵のおかげで、遠回りしなければならなくなってしまいました。信号と信号、横断歩道と横断歩道の距離が驚くほどあるのです。安全にはなったのですが、その代償もあるのです。稀に、若い人がこれによじ登っているのを見かけます。

この街で、来年、「奥体(日本だと「国体」のこと)」が行われるので、全天候型の屋内競技場が幾つも、我が家から20分ほどの広大な一郭に作られています。また全国から集まる選手たちが宿泊するホテルも、幾棟も工事中なのです。道路整備も行われており、高架橋や立体交差などが作られています。その工事をする作業員のみなさんが、朝5時半ごろには、大勢出勤しているのです。そのために中央分離の柵を細工して、くぐれるようにしてある所を渡っている人を、今朝、見かけたのです。遠回りしないで済むからです。<建設ラッシュ>は驚くほどです。

それに、貸店舗での自営の<果物屋>をする方が増えています。夏に買いたい重い「西瓜」も、以前は、スーパーで買って帰らなければならなかったのですが、アパート群の門を出て、すぐの所に4、5軒もあるのです。マンゴスチンとかバナナとかドリアンなどの輸入果実まで、店頭に並んでいます。果物の需要が増えているからでしょう。 また、<パン屋>が増えています。饅頭、餅、油条(棒状の揚げパン)、粥が、朝食で食べられていたのですが、今は、<パン食>が多くなってきているようです。食パンは薄く切られていて、砂糖入りで甘くて、ちょっと馴染まないのですが、我が家は、毎週のように、天然酵母で発酵させた<日式食パン>を頂くことができています。これが美味いのです。

暑い夏になって、若い女性の<ホットパンツ姿>が目立って多くなってきています。『ウーン!?こんなんで好いのかな?』と、唸ってしまうような姿なのです。着ることのできなかった時代が終わって、自由奔放になってきているようです。悩ましいのは少々問題であります。若き男性には目の毒でしょう。また年配の女性が、ずいぶんと<若作り>なのが気になりますが、<いい時代の到来>なのだと思うことにしております。はい。

(写真は、「イギリスパン」ですーWMから)

女工たちの富岡製糸場

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何もかも失ってしまった中から、起死回生のように、立ち上がった日本は、やがて、アメリカに次ぐ、世界第二位の工業国となって行きます。敗戦の前年の年の暮れに生まれた私は、そう言った歴史を辿りながら生きてきたことになります。山の中で、小学校入学まで育ちましたので、どのような年月を過ごしてきたのかは、小学校の社会科の授業で学んで知ったのです。また文字が読めるようになると、新聞を読み、ラジオのニュースを聞いて、今何が起こっているのかを、少しずつ知ることができました。

この度、ユネスコの「世界遺産」として登録された、群馬県の「富岡製糸場」のことも、授業の中で教えてもらった一つのことでした。岐阜や長野や山梨の貧しい農村の少女たちが、女工として雇われ、作業環境の劣悪な工場で、低賃金で働かされたこと。その労働で作られた「生糸」が輸出され、莫大な外貨を稼いだこと。その外貨で、日本の軍備を増強し、農村から兵士を招集し、列強と肩を並べるほどの軍事国家となったこと。そんなことを学んだのです。 政治家や企業家が国を作ってきたように思われていますが、実際は、農村から駆り出された少女たちの労働によって得た外貨によって、この国の礎が据えられ、近代国家が作り上げられて来たのです。「貧乏物語」、「女工哀史」、「ああ野麦峠」などの作品は、そういったことを再確認させてくれたわけです。

いつでしたか、諏訪湖湖畔の、製糸工場跡を見学したことがありました。そこに「千人風呂」と呼ばれた大浴場があったのです。これは、どれほど多くの女工が働いていたかと言うことなのでしょう。また、信州が味噌で有名なのも、この女工たちの食事に供された「味噌汁」を作るために生産されたからだと言うのです。それだからでしょうか、そこの味噌は、塩っぱく感じるのかも知れません。 もちろん、日本人が機を見るに早く、勤勉で、緻密で、手先が器用だったから、国際競争に勝てる優秀な製品を作れたことは自明の事実です。さらに、『近代化の遅れを早く取り返さなければならない!』と言った、差し迫った時期に、国があったのも事実です。

しかし、うら若き女工たちの血と涙と汗とを忘れてはならないのです。そう言ったことで、「富岡製糸場」の世界遺産登録は、この時代に生きる私たちが、歴史の重さを思い返す意味で、好かったのだと思います。

(写真は、”WM”による日本人が愛し続けてきた「桜」です)

納得

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私と九つ違いのアメリカ人実業家が、『雅、女性と金銭と名誉心には十分に気を付けなさい!』と、随分と具体的な忠告をしてくれたことがありました。当時30代後半、こちらは二十代後半でした。男が人生を踏み違えてしまう誘惑が、異性と金と名誉だからでした。彼は彼なりに、そう言った事例を、多く見聞きしてきた上で、またご自分も猛烈な力を持って襲いかかってくる誘惑であることを体験していたからでしょうか。

『先ず結婚の契約の内側に、確りと留まり抜け!』と、そう決心してしまうことだと教えてくれたのです。中途半端な思いでは、怒涛のように押し寄せてくる、この手の誘惑に抗することができないからです。芸能界に生きる人たちは、「芸の肥やし」と言った詭弁で、自らの自堕落さを誤魔化す人もいるようです。スクリーに映し出される虚像の中で、自分を失ってしまいますと、平凡な<小さな幸せ>を失ってしまうのです。家庭を顧みなかった男が、惨めな最後を迎えている事例を多く見聞きしてきました。

またお金で人生を棒に振る男も、枚挙にいとまがありません。不正の額の問題は<五十歩百歩>なのです。『人は、働いた分、稼いだ分で生きる覚悟を決めることだ!』と教えてくれました。『もう少し金が・・・!』の思いが昂じてきますと、際限なく欲望にさらされてしまうのです。額に汗したり、頭脳労働で得た収入で、自分と家族を養い、将来のために備蓄します。さらに余裕があるなら、社会の弱者のために使ったらいいのです。ある時、親父の遺言書に、「一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。」を見付けたのです。信頼し合う親子のいる家庭、たとえ貧しくとも幸せを実感させてくれる家族を持つことに違いありません。

『売名行為に躍起になるな!』と教えられました。虎は死んで皮を残すのですが、男には、自分の名を残したいという誘惑があるようです。「人の噂も七十五」と言うように、この時代を生きた人で、何人の人が百年後に、その人の名や業績を覚えていてもらえるでしょうか。曾祖父(ひいじい)さんの名前も、何をしていた人なのか、全く知りません。血族だって、そんな程度なのですから、他人が覚えていてくれるのを願うなんてナンセンスなことなのです。

<お二階>に上がる、その時に、納得できる一生を送っていたいと願うだけで<よし>としたいものだと、思い出したり感謝している一足早い夏休みに入った私であります。

(写真は、”WM”によるアメリカ合衆国の国花の「バラ」です)

宣言!

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昨晩、知人のお宅を訪問しました。客間の床に、『のってみて!』と言ってるように、「体重計」が置いてありました。ずいぶん測っていないのを思い出したのです。ちょっと太り気味で、ズボンがきつくなってきていましたから、恐る恐るのってみました。案の定、前回計測した時よりも、だいぶ太っている自分が、体重計にのっていたのです。

太ってきた理由は明白です。この半年ほどでしょうか、パンの製造会社の社長夫人から、パンやケーキ、また果物を頂き続けているのです。とくにケーキですが、二人で三、四回食べるほどの分量を2ケースも、毎週のように貰うのですから、冷凍庫に常時しまわれてあるわけです。二日か三日ごとに食べているのですから、やはり太るわけです。しかも、大好きなチーズケーキとかチョコレートケーキなのです。これが<大曲者>なのです。

これでは、相撲界に誘われてしまいそうな危険性を感じて、本当に<危機感>を覚えたのです。今も冷凍庫に、1ケースしまってあるのです。さらに、前回、この家を訪ねました時に、1ケース、手土産に持って行ったのです。みなさんで食べましたら、『この店のケーキは美味しい!』と大好評でした。それで、この家のご夫人が、昨晩は買ってきていたのです。それを小学生の息子さんが、冷蔵庫から出してきたではありませんか。同席していた、近所の若い方に赤ちゃんができて、そのお祝いのためだったのです。

甘党にとっては堪(こた)えられないようなことですが、家内と顔を見合わせて、無言で、『これで最後ね!』と確認して、食べたのです。先日、アパートの二階の方がスイカを四分の一に切って持ってきてくれましたから、あの冷凍庫のものは、このお宅に嫁入りさせようと結論したところです。<幸せ太り>ではすまされないので、今朝から、朝の散歩を再開したところです。継続するために、公けにブログにアップして宣言した次第です。三日坊主にならないためにです。

(写真は、"Tops”のチョコレートケーキです)

奥様会

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こちらに、「奥様会」があります。これはご主人が日系企業の方や、こちらの方と国際結婚されたご婦人が、親睦をしたいとのことで始められた交わり会なのだそうです。中国語を喋れない方たちもおいでとかで、情報交換のためにも集まって、和気藹々(あいあい)、和気ワイワイなのだそうです。それで、もう何年も続けれていて、家内もいそいそと出かけております。

今週持たれるのは、<飲茶(やむちゃ)>の美味しい餐館だそうで、公共バスで、どう行くかを調べさせられました。日頃の思いを母国語で忌憚なく喋れる機会が、ご婦人方には必要なのでしょう。それでなくとも文化の違う外国で生活をしているのですから、それは好いことと大賛成して、家内を送り出しています。

まだ日本にいた頃のことですが、客人が来て、お昼を食べるために、ちょっとしたレストランに行きますと、ほとんどの席は、「奥様会」がもたれていました。ご主人は、コンビニ弁当を食べているというのに、けっこう値の張るようなプレートを前に、ワイワイガヤガヤと食べながら話しながら盛り上がっているのです。子育てや家事に明け暮れるご婦人方には、そう言った開放の時が必要なのだと公認されているのでしょう。

けっこう物分りの好い夫の私なのです。男がストレスを感じるように、ご婦人方も同じなのだと理解しているからです。ネット情報に「美食網」というのがあって、味と環境とサーヴィスの採点が載っています。一人前の経費まで書き込まれているのです。きっと美食情報は、この辺りからなのでしょうか。それともご主人が行って、『あそこ美味かったぞ!』と言われての奥様バージョンなのかも知れません。

この街でも、帰国される方が多くなっているのだそうです。妻子は帰国し、単身での滞在型に変わってきているのかも知れません。私たちは、この八月から<九年目>に入ります。「九」は、「久」の発音が”jiu”で、「永久」と言っためでたい数字なのです。すっかり私たちは慣れてしまって、帰りたくない気分になっております。

今朝は、家内が買い物に行ったので、掃除をしようと、マットを玄関ではたいていたら、ドアが閉まってしまいました。鍵も携帯もお金もなく、締め出しを喰ってしまったのです。仕方なく1時間半も、隣のアパートの下にあった籐椅子に座ったりして、家内の帰りを待ったのです。初めてのことでした。「奥様会」の日でなくてよかった!

(写真は、”百度”から、中国の子どもたちです)

感情

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『親分、ポリ公の野郎が来やがりましたぜ!』と、手下が報告しました。泥棒にとって天敵の警察官には<ポリ公>と言い、来ることも<来やがった>と、蔑みの言葉を使います。しかし、自分の上に立つ頭には、たとえ泥棒でも、<親分>とか<・・・ました>と敬意を表すのです。これは、日本語を特徴的に言い表している、好い例文だと言われています。「敬語」の使い方は、日本語を学ぶ人にとっては、実に難しい学習点だそうです。そういえば、日本の最近の若い人たちは、なかなか使いこなせないのだそうです。それで世代間の軋轢が生じてしまうのかも知れません。

何十年と喋り続けてきた自分でも、日本語は独特で、面白い言葉だと思うのです。東京新聞の「筆洗」というコラム欄に、こんな言葉が散り上げられていました。『でも、さっきそうおっしゃったじゃねえか!』とです。これを読んでみて、前半では、<おっしゃった>と言い始めたのですが、相手が先ほど言った言葉を翻して、他のことを言ったことを赦せなくなったのでしょうか、後半では、<じゃねえか>と荒い口調と非難を込めて語り継いでいるのです。心の動きが読んで取れて、なかなか面白いなと感じたのです。

しばらく我慢していたのでしょうか。その緒が切れてしまって、そう言ってしまはねば、気が収まらなくなかったのでしょう。兄貴に狡いことをされたので、それを抗議しようとして、下の息子が、『お兄ちゃんは・・・』と言い始めたのですが、<お兄ちゃん>に変わる侮辱語を学んでいないので、何時ものように、尊敬するお兄ちゃんに対して使っている時と同じ呼びかけをしてしまったのです。もう少し大きくなると悪い言葉を覚えたり、<ちゃん>だけを省いて、<おにい>がとか言ったりするのでしょうが。

中国語にも、そんな言い回しがあるのかも知れませんが、人の語る言葉に添えられている<感情>は、聞いていてすぐに分かってしまいます。尊敬語を使いながらも、敬意が籠っていないしゃべり言葉を聞いて、この方の相手への気持ちの程度が分かってしまうのも、実に面白いなと、先日感じ入ってしまいました。感情や思いは、なかなか誤魔化せないようです。『つい言葉が滑って!』と言うのも、その類でしょうか。自分の感情にも気を付けなくてはと思う、週の中日の朝であります。

(漫画の表紙は、日本文芸社・立原あゆみ作のものです)

 

八ヶ岳の麓で

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中央自動車道を信州諏訪に向かって、東京方面から走って、甲府盆地に入ると、眺望が開けます。目の前に見えてきて、徐々にその全貌が迫ってくる山があります。そう「八ヶ岳」です。

上の兄の友人たちの仲間に入れてもらって、この八ヶ岳の麓に、泊りがけで出かけたことが度々ありました。それを、「打ち合わせ会」と言っていたのです。話し合いがあるのは確かなのですが、そればかりではありませんでした。この仲間内の共通の趣味が、<テニス>だったのです。テニスボールを打ち合うところから、そう命名されたようです。

中年になり、それぞれが社会的に責任のある立場にあったのですが、冠や鎧を脱いで、まさに<テニス小僧>になっていたのです。<オッちゃん顏>なのに少年のように、嬉嬉として球を打ち、球を追いながら、行動と時を共有したのです。春と秋の週日に、二泊三日の<小さな贅沢>をしました。宿泊代の安い市営施設を見つけては泊まり、他に人のいないコートでの三日間の<テニス漬け>は、忘れられない日々だったのです。

一緒に過ごした方の内には、すでに天のふるさとに帰って行かれた方もおいでです。うまく打ち返せた時の『ナイス・ショット!』の掛け声が耳の奥に聞こえてきそうです。合間に、果物やお菓子を分け合い、まるで<おっちゃんの遠足>そのものでした。温泉に浸かり、近況を分かち合い、やがて孫の話も花咲くような時にもなって行きました。

交わりの知らせが来なくなって、どのくらい経つでしょうか。ある方は、病んで入院をし、手術をされたと聞いています。狩人が、猟をしない時には、弓の弦を緩めるように、人には、緊張を緩和する時が必要なのです。あの様な時があって、今日があるのだと思い返しながら、感謝の思いで、一緒に打ち合わせたお一人お一人の顔を思い返しております。

今のところ、常備薬を飲むことなく、ただビタミン剤を飲んでいる日々ですが、いつかは不調を感じる時がやってくるかも知れません。その時には、逆らわないで、『その不調と共に生きて行きたい!』と、弟の助言を読んで、そんなことを思っております。今日は、22度、昨日より10度以上も低い気温の華南の一日であります。

(写真は、WMによる八ヶ岳です)