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散歩道に、戦争のために駆り出されて、軍馬として用いられた、「出征軍馬」の記念碑を見つけました。人が二十歳になると、徴兵検査をされるのですが、父も、その検査を受けたと言っていました。いつでも、一銭五厘「赤紙」で徴兵され、軍隊に入って、戦地に駆り出されて行ったわけです。
きっと農耕用の馬が、農家に供出を求められ、『アオよ、さらば!』と言って送り出したことでしょう。その記念碑が、もう農村ではなく、住宅地に変わってしまった道路の三叉路の角にありました。大平山をそばに見上げ、富士山や筑波山や男体山を遠くに望み見る、田圃を耕し、収穫後にお米を農協に運んだのでしょうか。多くは大陸に送られ、軍用に鞭打たれて、ついには、連れ帰られることなく、大地に葬られたのでしょう。
悲しい戦争のあったことを伝えています。父にも愛馬がいたのだそうです。街の事務所の近くには、陸軍の連隊本部があって、その連隊長が、譲ってほしいと願ったほどの馬だったそうです。街や、山の現場までの行き来に乗っていたのようです。
ある時、馬肉が、我が家に届けられたそうです。戦時下の食糧の少なかった頃でしたから、ご馳走だったのでしょう。食べてしまった後に、父の愛馬の肉だったと知らされたのだそうです。馬の世話をしていた方の息子さんが病気で、栄養をつけなくてはならないと医者に言われ、無断で、潰して肉にしてしまったのです。
私が大きくなった頃には、馬を見かけたことがなかったのですから、戦時中のことだったのでしょうか。男の子たちの父親だったからでしょうか、事情を察して、不問に付したと聞いています。
聖書にも、馬が登場しています。聖書の神さまは、こんなお方だと書いてあります。
『神は馬の力を喜ばず、歩兵を好まない。(新改訳聖書 詩篇147篇10節)』
戦争を好まない神は、速度や力量により頼まないお方でいらっしゃるのです。エルサレムに入場されるイエスさまの様子が次のように記されてあります。
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『それから、彼らはエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとのベテパゲまで来た。そのとき、イエスは、弟子をふたり使いに出して、
言われた。「向こうの村へ行きなさい。そうするとすぐに、ろばがつながれていて、いっしょにろばの子がいるのに気がつくでしょう。それをほどいて、わたしのところに連れて来なさい。
もしだれかが何か言ったら、『主がお入用なのです』と言いなさい。そうすれば、すぐに渡してくれます。」
これは、預言者を通して言われた事が成就するために起こったのである。
「シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王があなたのところに来られる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」
そこで、弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにした。
そして、ろばと、ろばの子とを連れて来て、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。
すると、群衆のうち大ぜいの者が、自分たちの上着を道に敷き、また、ほかの人々は、木の枝を切って来て、道に敷いた。
そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に。」
こうして、イエスがエルサレムに入られると、都中がこぞって騒ぎ立ち、「この方は、どういう方なのか」と言った。
群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレの、預言者イエスだ」と言った。(新改訳聖書 マタイ21章1~11節)』
立髪豊かな駿馬にではなく、子ろばの背に乗っていらっしゃったのです。誇り高く、人日頭の遥か上から、人々を見下ろすことをしないで、人の目の高さに、ご自分を置かれたのです。これこそ私たちの救い主イエスさまのお姿、様子なのであります。
(”Christian clip arts”のエルサレム入場のイエスさまのイラストです)
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