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どの言語にも「挨拶用語」があります。私たちが長く住んだ中国の華南の街では、「你好nihao」の代わりに、「吃了没有chilemeiyou 」と言っていました。『メシ食ったかい?』と言った意味なのです。実際的な挨拶で、飯抜きでは話にならないからでしょう。
アジアの社会では、eye contact ですませてしまうのではないかなと、韓国や中国を訪ねて、お会いした瞬間に、目を合わせ、顔色や表情を見て、いまさら『お元気?』など聞かずにすまそうとするように感じたのです。これも、面倒なこと、一見すれば分かることを省くような、挨拶のあり方なのでしょう。
母の故郷の出雲地方では、出掛けていく時に、『行って来ます!』と言うのではなく、『行って帰ります!』と言うのです。『必ず帰ってくるので、安心してください!』との想いが込められていて、出掛ける者と見送る者との親しい家族関係が、素敵だなと思ったのです。
見送る方も、『行ってお帰り!』と言うのだそうです。『きっと帰っておいでね!』との思いが溢れているのです。華南の街を発つ時に、『你一定回来吧!』と言ってくれました。『あなたの居場所はここだから、きっと、また帰って来てください!』との思いを込めて言ってくれたのです。
そう、中国語は、『再見!』と言います。英語の” See you again “ と同じです。中国の学校で、日本語を教えていた時に、挨拶語について触れたことがありました。中国は礼節の国なのですが、何時からでしょうか、なかなか挨拶語が聞こえなくなってきたようです。朝、学生さんたちは、教室に入ってくる時に、無言で入って来るので、『早!』とか『早上好!』と、天津の中国語学校で学んだように、『おはようございます!』と声掛けをする内に、みんなが『おはようございます!』と言うようになっていきました。
授業の終わりには、『さようなら!』と言うと、みんなもそうするようになったのです。何時でしたか、甥っ子の子が、小学生の低学年の頃に、『あばよ!』と言って驚いたことがありました。作詞と作曲が中島みゆきの「あばよ」を、研ナオコが歌っていました。
何もあの人だけが 世界中でいちばん
やさしい人だと限るわけじゃあるまいし
たとえば隣の町ならば となりなりに
やさしい男はいくらでも いるもんさ
明日も今日も 留守なんて
見えすく手口 使われるほど
嫌われたなら しょうがない
笑ってあばよと 気取ってみるさ
泣かないで泣かないで 私の恋心
あの人はあの人は お前に似合わない
あとであの人が聞きつけて ここまで来て
あいつどんな顔していたと たずねたなら
わりと平気そな顔してて あきれたねと
忘れないで冷たく 答えて欲しい
明日も今日も 留守なんて
見えすく手口 使われるほど
嫌われたなら しょうがない
笑ってあばよと 気取ってみるさ
泣かないで泣かないで 私の恋心
あの人はあの人は お前に似合わない
明日も今日も 留守なんて
見えすく手口 使われるほど
嫌われたなら しょうがない
笑ってあばよと 気取ってみるさ
泣かないで泣かないで 私の恋心
あの人はあの人は お前に似合わない
泣かないで泣かないで 私の恋心
あの人はあの人は お前に似合わない
女性シンガーが「あばよ」と歌ったのには驚かされたのですが、語源辞典を見ますと、「さらばよ(さあらばや\そうならば)」を簡略化した言い方で、「また逢わばや」、から転じたものだと言っています。また「按配(あんばい)よう」にあるとの説も取り上げられています。
小学生時代を過ごした、東京都下の三多摩地区では、『あばよ!』と言って、級友と学校や遊びが終わった後に、別れ際に言った覚えがあります。同じ街で生まれた弟の孫が、小学生の頃に、そう言っていました、さらに時代劇の映画で、鞍馬天狗が去っていく時に、『さらばじゃ!』と言っていました。それは、『いざ去らば!』、『わたしは、ここから去って行きます!』と言う意味だったわけです。
もう「卒業式」では歌わなくなったのだそうですが、文部省唱歌の「仰げば尊し」の歌の中にも見られました。
仰げば尊し、わが師の恩。
教の庭にも、はやいくとせ。
おもえばいと疾し、このとし月。
今こそわかれめ、いざさらば。
互いにむつみし、日ごろの恩。
わかるる後にも、やよわするな。
身をたて名をあげ、やよはげめよ。
今こそわかれめ、いざさらば。
朝ゆうなれにし、まなびの窓。
ほたるのともし火、つむ白雪。
わするるまぞなき、ゆくとし月。
今こそわかれめ、いざさらば。
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この「いざさらば」を、「いざあばよ」と歌いたくなる誘惑に勝った日がありました。恩師に、そんな言い方は失礼だったからです。この離別の時の言葉は、印象的ですが、主イエスさまは、聖書の記事によりますと、
『かく録されたり、キリストは苦難を受けて、三日めに死人の中より甦へり、 且その名によりて罪の赦を得さする悔改は、エルサレムより始りて、もろもろの國人に宣傳へらるべしと。 汝らは此等のことの證人なり。 視よ、我は父の約し給へるものを汝らに贈る。汝ら上より能力を著せらるるまでは都に留れ』 遂にイエス彼らをベタニヤに連れゆき、手を擧げて之を祝したまふ。 祝する間に、彼らを離れ[天に擧げられ]給ふ。(文語訳聖書 ルカ伝24章46~51節)』
『さようなら!』と、イエスさまは言いませんでしたが、次のように再会の時があることを話されました。
『なんぢら心を騷がすな、神を信じ、また我を信ぜよ。 わが父の家には住處おほし、然らずば我かねて汝らに告げしならん。われ汝等のために處を備へに往く。 もし往きて汝らの爲に處を備へば、復きたりて汝らを我がもとに迎へん、わが居るところに汝らも居らん爲なり。(ヨハネ伝14章1~3節)』
また、パウロは、テサロニケの教会に書き送った手紙の中で、次のように言っています。
『我らが前に命ぜしことく力めて安靜にし、己の業をなし、手づから働け。 これ外の人に對して正しく行ひ、また自ら乏しきことなからん爲なり。 兄弟よ、既に眠れる者のことに就きては、汝らの知らざるを好まず、希望なき他の人のごとく歎かざらん爲なり。 我らの信ずる如く、イエスもし死にて甦へり給ひしならば、神はイエスによりて眠に就きたる者を、イエスと共に連れきたり給ふべきなり。 われら主の言をもて汝らに言はん、我等のうち主の來りたまふ時に至るまで生きて存れる者は、既に眠れる者に決して先だたじ。 それ主は、號令と御使の長の聲と神のラッパと共に、みづから天より降り給はん。その時キリストにある死人まづ甦へり、 後に生きて存れる我らは、彼らと共に雲のうちに取り去られ、空中にて主を迎へ、斯くていつまでも主と偕に居るべし。 されば此等の言をもて互に相めよ。(テサロニケ後書4章11~18節)』
聖書には、「マラナタ」と言う挨拶後があります。
『22:20 これらの事を證する者いひ給ふ『然り、われ速かに到らん』アァメン、主イエスよ、來りたまへ。(黙示録22章20節)』
『主イエスさま、おいでください!』との意味のアラム語です。主の再臨を信じる信仰者は、そう告白し、祈るのです。
『なんぢら心を騷がすな、神を信じ、また我を信ぜよ。わが父の家には住處おほし、然らずば我かねて汝らに告げしならん。われ汝等のために處を備へに往く。 もし往きて汝らの爲に處を備へば、復きたりて汝らを我がもとに迎へん、わが居るところに汝らも居らん爲なり。(ヨハネ伝14章1~3節)』
そのことばへの返事のように、イエスさまは、『行って帰ります(十字架の死から生き返られて、父の右の座に行かれて再び、あなたのもとに帰って来ます)!』とお約束されたのです。きっと会える日のあるを確約して、父のみ許に行かれたからです。間も無くおいでくださるでしょうか。それでワクワクして、主のおいでをお待ちしたいものです。
(Christian clip artsのイラストです)
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