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豪雨で被災されたことで、配信を休んでおられた、HP「里山を歩こう」が、昨日、再開されて、美しい写真を送っていただきました。東広島黒瀬地区の溜池と、池の周辺の「ガマの穂」の様子です。自然界は、洪水や強雨で破壊されてしまっても、植生は、壊されないのですね。猛威は一面、花や木や小動物は健在でした。呉や倉敷など中国地方の恢復を心から願っております。
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散歩コースに入れている“スーパーマーケット”があります。街を旧市街と新市街とに分けている川の河川敷の散歩コースを、30分ほど歩いて、大通りに出るとある、台湾系の店です。品揃いや商品チェックや客の応対が、日本に似ているのです。多くの店や企業が、日本方式を取り入れているからだろうと思われます。前は、よく店長が巡回して、社員指導をしてるのを見かけたほどです。
この店を贔屓にしてる会員の分布は、今では、コンピューターで一目瞭然になっていますので、それを参考に、先頃、9つある送迎バスのコースが変わってしまったのです。利用者には、ちょっと混乱をもたらせた様です。わが家の近くを通っていたコースが変わってしまって、利用できなくなってしまいました。それで、歩くか、公共バスに乗ったりして出掛けるのです。
家から5分ほどの所にも、ポルトガル語の名のついた店があるので、主に近場のこの店を利用するのですが、台湾系の方が買い易いので、こちらも時々利用しているのです。その台湾系の店の一階に、子どもの遊び場があって、最近、“金魚すくい”を、子どもたちがしているのです。ひとしきり、そこで遊んでいる子どもを観察していました。
ちっとも捕まえられないので、短気を起こしたのでしょうか、盲滅法に水と金魚を、かき回している女の子がいたのです。もちろん紙製でできた物ではなく、網製の物を水の中で振り回したら、一匹掻き出して放ってしまったのです。私が、走って捕まえて、水に戻したほどです。いやー、この5才ほどの女の子の短気ぶりには驚かされてしまいました。
<淑やかさ>なんか微塵もない、“スカートを履いた男の子”って言ってもよさそうな感じでした。『あれーっ、あれー!』と、よく自信なげにやっていて、手が止まってしまうのに、この子は、そんな感情を見せずに、かき回し続けているのでした。わが家にも娘が二人いましたが、彼女たちもお転婆でした、でも、この子は規律しないと、結婚して大変かなって、余計な心配をしてしまったのです。
お母さんが横にいたのですが、ただ見てるだけで、何も言わないのです。どうするか指導したらいいのにと、これも余計なことを思ってしまったのです。やっぱり、“金魚すくい“は、穏やかに、そっと金魚の動きを見ながら、破れてしまわない様に、<紙製>を使う方が、教育的な様です。すぐ上の兄が、こう言った遊びが得意だったのです。魚の心理を読めたのでしょうか。
あの女の子の、金魚すくいを見ていて、遠い日の遊びを色々と思い出してしまいました。集団遊びで、何もルールがないのに、どう遊ぶかを習得して、遊びに参加しないと、仲間外れにされてしまうのがいるのです。暗黙のルールは、絶対必要条件だったのです。学校にプールが、まだない頃は、みんなで川に泳ぎに行ったり、銭湯に行ったり、広場で遊んだり、体のぶっつけ合いが多くあったのではないでしょうか。ああ言った仲間内の接触が、今日日はないのかも知れませんね。
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「白熊」とは、北極圏に生きる熊で、子育てをした街の私立動物園の狭い池に、居心地悪そうにしていました。時々、子どもを連れて動物園には行った時、入園して、すぐの所にある池に、この白熊がいました。しっ切りなしに、右に左に首を振っていたのです。他にすることなく、首を振ってるので、何か可哀想に思えて仕方がありませんでした。他にも象とかペンギンとかキリンなどがいたのですが、この白熊だけが印象に残っているのです。
実は、「白熊」とは、北極や動物園で見るだけではなく、鹿児島にもあるのです。友人と旅行をして、彼の学友が、鹿児島の街の中心に住んでいて、訪ねたことがありました。その時に、「天文館」という繁華街に案内された時に、ご馳走してもらって食べたのが、この「白熊」でした。どうして、こんな命名がされたのか、いまだに解(げ)せないのですが、「かき氷」です。
東京周辺で食べ慣れたのとは違って、量も多く、トッピングの果物(缶詰の物でした)も豊富で、練乳がいっぱいかけられていて、"ゴージャス"でした。大満足したのです。鹿児島には、その後、足が遠くて、それ以来、『食べたい!』と思うだけで、時が過ぎでしまいました。今食べたら、多過ぎて、お腹を悪くしそうでなりませんが、まだ若かった自分には、想像を超えるほどに、美味しかったのです。
私にとっては、西郷隆盛や大久保利通などよりも、この鹿児島で一度だけ食べた「白熊」の方が、印象は強いのです。食べ物の好印象、好味覚は、それだけ強いのでしょうか。そういえば、普通のかき氷ですが、もう何年も何年も食べていないな。こんなに暑い日が続いていて、この暑さに閉口している今、食べたら美味しいでしょうね。暑気払いができそうです。
こんなことを書き込んでいたら、辺りが暗くなって、遠くから「雷鳴」が聞こえてきました。しばらく降らなかった雨が、待望の「雷雨」として降るでしょうか。きっと、みなさんも、どうにか涼しくなる算段をされていることでしょう。昨日の夕方、ふと川の流れが見たくなって、近くの河川に行きました。水面を渡る風が頬に当たって、実に気持ちよかったのです。やはり、雷鳴だけの空雷雨でした。
(サイトで見つけたかき氷の「白熊」です)
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今朝も、昨日の様に、早朝は、涼しい風が窓から入り込んできて、しばしホッとした朝を迎えています。昨日は、若き日に、東京の目白に住んで留学された友人の運転と、通訳の助けで、PC操作のできる青年を訪問しました。朝、出かける前に、訪問の知らせを、家内がしましたので、Mさんは、私たちの到着を待っていてくれました。
昨夕、作った“自家製ハンバーグ(母がよく作っていたのを真似て私が時々作る、牛肉と豚肉のひき肉、チップした人参、玉葱をみじん切りにして炒め、卵、オートミール、塩、醤油、スパイスを加えます)”を持参しました。<ソース(ケチャップ、粉ソース、ココナツパウダー、玉葱と人参と梨と林檎をフードプロセッサーをかけた物、塩、醤油、スパイスを加えしっかり煮た物)>で、ハンバーグを煮込みにしてあります。家内が、彼の手になって、一口づつ食べさせて上げていました。
『好吃吗haochima?』と聞くと、『好吃!』と言ってくれました。それに、朝一番でスーパーに行って、買った果物(バナナ、マンゴスチン、ブルーベリー、巨峰、火龍果を一口大にした物)も、一緒に食べてもらいましたら、美味しそうでした。十一時頃の訪問でしたので、後の残りはお昼に食べると言っていました。美味しさを、彼に要求してしまった様です。
その後、星野富弘さんの「鈴の鳴る道」を家内が開き、中学の体育教師の頃に、授業で試技中に負傷して、半身不随になった経緯をお話しし、自暴自棄になり、自らの生命を断とうと願った彼が、彼を愛している方の度々の訪問で、気持ちを聞いて上げている間に、心を開いたのです。その訪問で、すっかり変わって行った様子を、家内が話していました。星野さんは、自分にできることを見つけたこと。口に筆を咥えて、絵と詩とを書き始めて行ったこと。その絵や詩を編集した本が、多くの人に読まれていること。特に障碍を追われたみなさんが、励まされて生き始めたことも話して上げていました。結婚もされて、奥様の大きな助けを受けておいでです。
このMさんも、「舌」を使って、PC操作ができますので、職業訓練を受けるなら、能力が、さらに開発されて、社会参加していけたら好いことも話しました。そして、仕事をして経済的に自立することも勧めてみました。彼の賜物が生かされていくなら、生きる喜びを見出し、周りにいる人たちを激励できることもできるのですから、そうなったら素晴らしいと思っているのです。
そう言った《職業訓練のプログラム》が、きっと何処かにあると思いますので、探してみることにしています。先日、お会いした、白血病や貧困でいる子どもたちのお世話をしておられる方にも、お聞きしてみようと思っています。Mさんのような方が、ただ無為に時を過ごすのではなく、目的をもって生き始めたら素晴らしいと願うのです。周りの人たちも喜ぶことができそうです。車に乗せて下さって、言葉の足りない部分を通訳して下さった友人に感謝しました。以上、訪問記です。
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買い物に行くのに、隣の小区の中を通り抜けて、バス停に行きました。これが"近道"だからです。明日、身体に障碍を負われた21歳の青年を、今生活をしている"老人院"に訪ねますので、<自家製ハンバーグ>を持参しようと思って、食材を買い入れに出掛けたのです。両手両足が不自由で、ベッドの上か、車椅子の上だけに、彼はいます。
これまで、お母さんの母親(中国語では"姥姥laolao" "外婆waipo"、ちなみに父方は"奶奶nainai")が、この孫の世話を、生まれてすぐからされてきたのです。ところが、先頃、お婆ちゃんが病気になってしまい、急遽、彼を受け入れる所を探したのですが、その"养老院yanglaoyuan"が、受け入れてくれることになって、そこで生活をし始ているのです。
お母さんは、彼が生まれるとすぐに、アメリカに行かれ、理由があって、帰国することができない、複雑な状況にあるそうです。彼が使えるのが首から上で、この口を使って、パソコンを操作できるのです。6年前にお会いした時は、一生懸命に"ゲーム"をしていました。先日訪ねた時も、ベッドの上に、"PC"が置いてありました。
彼に残された能力を使って、社会参加ができないか、私は考えているのです。彼が"舌”を使えるのを見て、「星野富弘」さんのことを思い出したのです。この方は、中学校の体操教師をされていた時、生徒の前で試技をしていて、事故に会われて、脊椎の損傷を負われたのです。自暴自棄に陥って、自殺を考えましたが、ある方の訪問と交わりで、生きていく覚悟をされ、多くの方の善意で、《生きる意味》を見つけたのです。
そんな中で、星野さんは、口に筆を咥えて、絵を描いたり、詩作をして、同じ様な障碍を負われたみなさんを激励しておいでなのです。それで、この青年が持っている能力が、用いられたらいいなと考えているのです。この街に、そう言った職業訓練の機会があるかどうか、探して上げたいと思っています。彼の叔父に当たる方が、私たちの世話をしてくださっている方な。、のです。
障碍を負われた方が、積極的に生きて、経済的にも社会的にも自立できたら素晴らしいのですが。彼に、その願いが湧き上がってくる様に、願っています。明日は、星野さんの書かれた本を持参して、見てもらって、『俺も!』と思って欲しいのです。ですからハンバーグは、ついでなのです。
先刻、買い物から帰ったのですが、行きはけっこう混んでいました、つり革に掴まっていると、誰かが肩を叩くではありませんか。誰かと振り返ると、『请坐qingzuo!/お座りください!』と、一人の青年が言うのです。まさに大学生、明日訪ねる青年と同世代です。この二人には、違いがありません。生きている限り、どこかが不自由でも、誰にも驚くべき可能性があるからです。失敗作はないのです。
どこまで、こに青年に働き掛けられるかは未知数ですが、チャレンジしてみようと願っています。自分の可能性に気付いて、社会参加して欲しいからです。席を譲ろうと声を掛けてくれた青年にも、ハンバーグをご馳走したくなりました。
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『言うまい!』と思うのですが、それにしても暑いですね。「心頭滅却すれば火もまた涼し」は通用しない様です。また、『使うまい!』と思うのですが、空調のスイッチを入れてしまいます。ロスアンゼルスの山火事も起き、また50℃以上を記録したと聞きます。イギリスでも高温で、死者が出ています。日本でも熱射病で多くの犠牲者が出ています。暑さのスイッチを切りたい思いでおります。
こんなに『早く来い!』と、「秋の到来」を切望したことは、今までにありません。上高地も、富良野も、同じ様に暑いのでしょうか。今朝、また朝顔が三輪開きました。太陽に向かって、外側に開く姿を、後ろ側から撮りました。それで、だいぶ涼しい感じがしております。でも、今日も、37℃の高温予報が出ています。水分を摂りながら、過ごすことにしましょう。みなさん、お元気にお過ごしください。
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もう半世紀以上も前に学んだ「地理」に、造山活動や造陸活動という項目がありました。今でも、そんなことを教えられているのでしょうか。火山活動や洪水が繰り返されて、地球が造形されてきたという学びです。関東平野は、そこに流れ込む、渡良瀬川や利根川や多摩川や荒川などの主要河川が氾濫し、土砂を押し流して堆積して造られたのです。荒れ狂う様な濁流が唸り声を上げていたのでしょうか。
今回の西日本の豪雨の災害で、そんな様子を思い起こさせる様な動画を見て、思い出したのです。母から聞かされた「創造物語」の中にある、「ノアの方舟」の時代は、雨が40日40夜、降り続けたとありました。地球の水門が全て開かれ、地球を水が覆ったとあります。どんな光景だったのでしょうか。
中国の貴州自治区や河南省などの周辺に住む、"ミャオ族(苗族/実際は<モン族>で苗族は漢人による蔑称だと言われています)"には、昔から口承で語り継がれた物語の中に、この「ノアの方舟」に似た話が残されています。祭礼の時などに、歌ったり舞ったりしながら表現されているそうです。アルメニヤにあるアララト山には、氷河の中に埋没された巨大な木造の個体があると、旧ソ連の飛行士が見つけたとの報告を聞いたことがあります。
今年の雨季、始まったばかりの台風シーズンの雨の降り様を見て、また岡山県倉敷市真備町の洪水の様子の写真を見て、さらに世界中で起こっている暴雨による洪水、水害の頻発に、あの全地を覆った洪水が再び起こるのではないかと思わされてなりません。父が最後に住んだ家が、多摩川の流れの近くにありました。大雨に後に、その濁流に中に身を任せて、無謀にも泳いだことがありました。命知らず、怖いもの知らずでした。
東日本大震災の時に、仙台平野を流れる川が、津波が遡上していく様子を、テレビで観ました。家も車も家畜も畑も人も、みんな飲み込んで行ったのです。ただ息を飲みながら、首を横に降りながら無言で眺めていました。何が起こっているのか、上空からの中継では、鳥瞰的に分かるのに、地上にいた運転手や人は、ご自分のいる位置が分からない様子でした。
先日、雨後に、田舎道を走る車に乗せていただきながら、車の中から、「虹」が見えました。水で滅ぼさないという、《契約のしるし》なのです。運転されていた友人が、この「虹」をスマホで撮影していて、ハラハラの連続でした。倉敷や呉では、酷暑の中、復旧作業が続いていて、空を仰いで「虹」を探すゆとりはなさそうですね。早期の復旧を願っております。
(アララト山に着いたノアの箱舟<Simone de Myle、1570年>です)
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わが家の南側のベランダ越しに、この小区の通り道があります。日曜日の夕方、お母さんと小一くらいの男の子が、正門の出口の方に通って行きました。男の子は、手提げ鞄を、つまらなそうに振りながら、お母さんの後ろを、1mほどでついて行きます。お母さんは何をしてるかと言うと、右手に“スマホ”をかざして見ながら行くのです。こう言った光景が、この街で頻繁に見られます。
私の子ども頃のには、割烹着(かっぽうぎ)を着た母が、竹製の買い物カゴを左手にして、私の左手を、右手で取って、連れ歩いてくれていました。何か話しかけたりしながらです。何時も、「母業」に集中していたのだと思います。勤めに出ている婦人たちの様に、お化粧だってしたいし、好い服や靴を身につけたかったでしょう。でもそう言った願いは引っ込めていたの様です。朝一番に起きて、朝餉(あさげ)の支度をし、食べ物だって残り物を食べ、家の片付け終えて、終い湯に入り、最後に布団に入っていました。
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危なっかしいのは、乳母車を押しながら、スマホに見入っているお母さんがいることです。辺りに目を配って、危険を避け、わが子を保護しなければならないのに、そう言った注意を怠っていることです。年寄りと小さな子供を除いた大人の、6、7割は、”スマホ中毒“に罹っているのではないでしょうか。若者は、9割方でしょうか。
そんなに情報収集が必要なのでしょうか。ゲームが面白いのでしょうか。まるで独りの世界に入り込んでしまって、会話が少なくなって来ているのを感じます。友達同士、恋人同士、親子でも、双方がスマホに見入っていて、相手に関心を示さないのです。
昔、幻を見た人がいました。みんなが四角い箱に集中しているのを見たのです。やがて“テレビ”が出て来ました。そして、“PC”、そして今や“スマホ”で、みんな四角な箱状の物を見入っているではありませんか。見た幻は、見事に的中していたわけです。人生って短いのです。家内の母親が、『”こんちは“と言ったら、もう“さようなら”を言う様な短さです!』と、自分の来し方を振り返って、そう言っていました。
スパーマーケットの授業員も、手持ち無沙汰のついでに、“スマホ”を見ていますし、時々ですが、バスに運転手だって、虜(とりこ)にされているのです。この街だけのことではなく、世界中が、こう言った傾向になっています。 “命みじかし 恋せよ乙女 紅き唇さめぬ間に”と歌ったことがありますが、「恋」はともかく、《すべき事》が、集中すべき務めが他にあるに違いありません。あのお母さんと息子は、どんな関係を築こうとしているのか心配になってしまいました。
(夏に何度か訪ねた上高地の「河童橋」、「つゆくさ」の割烹着です)
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