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アメリカ映画で、トム・ハンクスが主演した「プライベート・ライアン」を観たことがあります。ナチス・ドイツの侵攻によって、困難の只中にあったフランスに加担し、ヨーロッパ戦争の終結を期して、連合軍が、ノルマンディーに上陸します。その上陸作戦の中に、特別な使命を託された8人の小隊がありました。その使命とは、〈ライアン上等兵を見付け出して帰還させる〉ことでした。8人が一人の兵士の救出のために危険極まりない最前線に突入するのです。私は、この映画を見て驚かされたのです。日本の軍隊では、終戦間際に、「回天」とか「神風」とか言われて、魚雷や戦闘機で、敵艦に体当たりの肉弾攻撃をしましたから、こういった〈ライアン上等兵救出作戦〉のようなものは、全くなかったのではないでしょうか。
子どものころに、『なぜ日本は戦争に負けたと思うか?』と言って、ある人(元兵士)がその答えを教えてくれたことがありました。戦時下、軍隊の内務班で日常的に行われていたのが、古参兵による新兵への〈いじめ〉だったのです。国を愛し、父や母や弟妹を守るための〈大義〉に立って、雄々しく戦った兵士たちの勇敢さは知らされていたのですが、理由のない体罰、一人の失敗を連帯で責任を負わされて、鉄拳を見舞われるといったことが、伝統として当然のように、『兵士の志気を高めるためだ!』というおかしな理由の陰で行なわれていたそうです。〈鶯の谷渡り(ホーホケキョと歌いながら柱にしがみつくのです)〉とか〈伝令(机と机の間に腕で立って自転車をこぐ真似をさせ『急げ!』とか言いながらさせるのです)〉といった体罰を加えて、座興にしていたことも、あのおじさんが教えてくれました。何の楽しみもなかったこと、家族から引き離されていること、戦争がいつ終わるのか分からないこと、勝ち目のない戦争であることなどで、焦燥感や捨鉢な雰囲気や諦めが、隊内に満ちていたのです。それで、敵軍と対面しながらの戦闘時に、『銃弾が後ろから飛んでいって、恨みつらみの古参兵を狙撃して、復讐することも稀ではなかったよ!』と言ったのです。これも映画でしたが、「真空地帯(野間宏作、1952年映画化され上映)」で、木村功が演じた日本軍の実態を知らされて、この映画が誇張ではなく、〈皇軍(天皇の軍隊)〉だと言われていた日本軍に、このような恥部が隠されていたのを理解したのです。
どうして、ライアン上等兵を帰国させる必要があったのでしょうか。彼は4人兄弟で、4人とも従軍していたのです。しかも他の3人の兄弟はすでに戦死していました。それで、軍の上層部が、このことを知って、故郷に残されたお母さんのもとに、ライアンを戻そうと決めたのです。もちろん、米国民への軍のアピールといった面がなかったわけではないのですが。戦死して軍神になる日本軍の戦争哲学とは、西と東の違いほどに大きな相違があったのではないでしょうか。うーん、こう言ったことを考え、実行するアメリカ軍の在り方を知って、太平洋戦争で日本が負けたのは、当然だと思わされたのです。山本五十六のような軍人は、若かりし頃にアメリカを視察した経験がありましたから、その国づくりの堅固な様に驚かされていました。ですから米英を敵にしての戦争に勝ち目のないことを求めて、どうにか回避したいと願っていたようです。
お母さんは、8人の決死の救出作戦で、無事に帰還したライアンを出迎えて、どんな思いだったでしょうか。日本兵士の両親は、『死んでお国のために尽くしなさい!』と送り出しましたが、心の底では、『必ず生きて帰ってきなさい!』と思っていたのは当然のことでしょう。映画のラストシーンは、〈アーリントン墓地〉を訪ねた老いたライアンの背後に、子や孫たちが映し出されていました。救出された一人から、多くの家族が生まれ出て、アメリカの平和と繁栄を享受している光景は、多くのいのちの犠牲の上に生み出されているわけです。日本の平和も繁栄も、多くの兵士の屍(しかばね)の上に成り立っていることを忘れてはいけません。命、平和、喜び、家族、国家、世界、将来、多くのことを思わされた映画でした。
(写真は上は、連合軍が上陸したの「ノルマンディー(平和な時代)」、下は、平和の象徴「鳩のイラスト」です)