『劣等感は厄介者だ!』、長く生きてきて、多くの人と出会ってきたからなのでしょうか、または人を見る目が厳しいのか、もしかしたら意地が悪いのか、人の心の底に隠れているものに気づくのかも知れません。きっと自分が、劣等意識に苛まれているから、同じような人のことが分かるのだろうと思うのでしょう。
『何かをやり残したい!』と言う欲求が、人にはあるのかも知れません。通学駅の下車駅名の表示板に、仲の良かった友人と一緒に、〈落書き〉をしたことがあります。隅っこに、名前の一部分ずつをアルファベットで遠慮がちに書き込んでしまったのです。今だと、「器物破損罪」になってしまうのだそうです。それを、見つけたのが、「奥の細道」を教えてくれていた、高等部の国語教師でした。『ああ言うことをしちゃあいけない。帰りに、消しておきなさい!』と、二人を教室に残して、授業の後に言ってくれたのです。
この先生は、駅名の表示板の隅っこの小文字のアルファベットの文字を見て、誰だか分かったのには、驚きました。中1が120人ほどいたでしょうか、教えておいでの高校生だって数百人はいたのに、ショウちゃんと準だと見破ったのです。それには驚きました。校名を汚していないか、自分の名を刻みたい思春期の誘惑で、それでも分からないように、小文字にアルファベットで書く心理を見抜いて、『あの中一だ!』と思いついたわけです。
高額の参加費を出してのヨーロッパ旅行をした若者が、有名な観光地の記念的建造物に〈落書き〉をして、顰蹙(ひんしゅく)を買った事件がありました。自分の訪問や旅行の記念、さらには青春の証で、何か残したくって、名を刻んでおきたい誘惑に負けたのでしょう。
私たちは下校時に、ついででしたが、彼らは、高い航空運賃を払って、消しに行かされ、双方、恥を被ったのです。平凡で、つまらない一生を、劣等感を持ったまま終わりたくない思いが、実はとてつもないことを起こさせてしまうのです。前にも、触れたのですが、良きにつけ悪につけ、〈世界を動かした人物〉には、そう言った、心や生き方の背景が見られます。人は、何かの劣等意識と少なからず戦って生きてるのでしょうか。
もちろん、その〈劣等感〉をバネにして、社会貢献をした人物が大勢います。でもその反対の事例が多いのも事実です。アヒルのヒナは、自分の目に初めて入った大きな存在を、親だと思うのだそうです。実験的に、産んでくれた母鳥ではなく、母鳥でない人と出会わすと、この「人」を親だと認知するのだと、動物学者の実験で知りました。これを、「刷り替え」とか「倒錯」と、心理学者は言うそうです。
三島由紀夫と言う小説家がいました。極めて頭脳明晰な人で、名門コースをたどって、将来を嘱望された人でした。この人の5歳の時の経験が、彼の作品の中で述懐されています。
坂道の上の方から、汚れた手拭いで鉢巻きをし、ももひきを履き、地下足袋を履いて、肥桶を担いで降りてくる、血色も目の輝きも頬の輝きの美し若者と出会ったのです。その出会いは衝撃的で、彼は、『あの人のようになりたい!』と願うほどだったと告白しています。少なからず、多くの人が、印象の強い、映画スターや歌手や物語の主人公に「憧れ」る時期があります。
また、男だけの学習院に学んだ三島は、クラスの演劇でクレオパトラ、「女」役を演じたりしています。さらに中等部で、落第してきた年長の同級生の「男」らしさに惹きつけられ、恋をするのです。
鶴田浩二(予科練や学徒特攻兵に憧れていた自分だったからでしょう)、木村功(軍隊の内務班の不条理を演じていたからでしょう)、ジェームス・ディーン(母を失い父に厳しく取り扱われたギャルを演じ、反抗期のアメリカ少年を演じ、使用人から幾万長者になっていくジェットを演じたからでしょう)、思春期真っ只中で、単純に私が憧れた、スクリーンのなかの登場人物を演じた俳優たちでした。
何か影のある感じが、良かったのでしょうか。思春期の一つの心理って、そう言った面もあるのでしょう。でも自分を発見していく上で、そんな憧れも一過的には意味があったのでしょう。俳優にも石油王にもなれませんでしたが。
『あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。(イザヤ48章17節)』
そう言われる、神さまに導かれて、学校の教師、キリスト教会の伝道者になりました。それは、自分の願いを遥かに越えた「導き」があったからです。そして一人の妻を得て、四人の子を与えられ、家庭を持ちました。悪戯小僧で、喧嘩好きで、短気で、コソ泥だったのに。
『私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。 (哀歌3章22節)』
『イエス・キリストのしもべであり、ヤコブの兄弟であるユダから、父なる神にあって愛され、イエス・キリストのために守られている、召された方々へ。 (ユダ1章1節)』
「憐れみ」によって、「守られ」て今があります。優等生などには遥かに及ばず、滅ぶのが当然のようで、少々異常でおかしいのですが、「虐殺者」にも、「軍国主義者」にも、「詐欺師」にも、「倒錯」にも陥らないで、ここまで生きて来れたのを思い返しています。
それにしても、三島は、倒錯の中を生きて、最期は、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で、自衛隊の蜂起を願って、「檄(げき)」を飛ばして、日本を変えようとしたのですが、叶えられず、庁舎内で割腹自殺をして、45歳で果てたのです。私は、自分が弱いので、どんなに立派な業績や社会的な評価を受けていても、倒錯者、自殺者、偽善者、高慢な人、家族を顧みない者からの影響を受けまいとして生きてきました。
三島は、自分の幼い日、子どもの頃を、次のように書き残しています。
「祖母が私の病弱をいたわるために、また、私が悪いことをおぼえないようにとの顧慮から、近所の男の子と遊ぶことを禁じたので、私の遊び相手は女中や看護婦を除けば、祖母が近所の女の子のうちから私のために選んでくれた三人の女の子だけだった。」
両親よりからも、祖母の影響が強くて、〈両親のイメージの不在〉があったようです。お父さんは、優秀な高級官吏でしたが、分裂気質が強かった人だったようです。祖母は、幼い恋人のようにしていた、幼い三島をお母さんから遠ざけ、「しじゅう閉め切った、病気と老いのむせかえる祖母の病室で」育てていたのだそうです。それで三島の作品には、母親の描写が少ないと言われています。
何かがかけている自分に気付いたのでしょうか、男っぽい軍人スタイルに身を包んだ〈楯の会〉をつくり、若者を集め、武闘訓練を行い、body building で筋骨隆々たる体になるために、肉体改造に、反動的に励んだのでしょうか。劣等意識の裏面に、さまざまなことが見え隠れします。北の方の国の指導者は、短躯の自分を跳ね返して、大きく強く見せるためにでしょうか、筋肉を身につけた裸を見せつけ、それ以上に強い指導者である印として、軍備で隣国を侵犯しています。そんなことよりも、この人に必要なのは、脳や心を嫌えて、花を育て、小ペットを飼い、隣人などを愛する優しさを鍛えて欲しいと思っています。劣等感が、どれほどの厄介なことをしてきているか、そう思うと複雑です。
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