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氷が溶けて、水がぬるみ、木々の梢が茶色から淡い桃色に変わってくると、待望の春が感られると思い出すのが、孟浩然の五言絶句の「春暁」です。
春眠不覚暁(しゅんみんあかつきをおぼえず)
処処聞啼鳥(しょしょていちょうをきく)
夜来風雨声(やらいふううのこえ)
花落知多少(はなおつることしるたしょう)
この作者の孟浩然は、それほど出世欲が強くなかったそうです。泰然自若な生き方をした人だそうです。当時は、「科挙」に受かることで、人の価値とか任官の地位も収入も、決まっていました。この人は、それほど強欲に合格を願わなかったようです。「詩聖」と言われた、同時代人の杜甫が3回も受験しても、合格しなかったように、この人も三度不合格だったようです。
困っている人を看過ごすことができないで助けたり、金品に対してはきっちりと生きた人だと言われ、総じて大らかな人だったのです。李白たち、同時代の詩人たちに尊敬され、今流、日本流に言う、『孟先生!』と呼ばれ敬意を受けていたようです。
「春眠」を、躊躇もしないで楽しめる、自然を愛し、その自然の季節の動きに応じて生きていける人だったに違いありません。当時の役人は、朝早く起き、夜遅くまで働いていた中で、任官しなかった孟浩然は、自然人のようにして生きていたのです。
もう早寝、早起きが身についてしまって、朝寝坊など人んどしたことがない私ですが、たまには、ベッドの中でグズグズしてみたいこともありますが、なかなかできません。父親が、そういった朝を迎えていたのをみたことがありませんので、父譲りの寝起きなのかも知れません。
先日も、起き抜けに、ガタッつと地震がありました。茨城県南部が震源でした。ああ言うのが、春眠を打ち破る自然界の働きなのでしょう。磐石だと言われる建物も、耐震装置があってもなくても揺れるのです。人が積み上げ、築き上げた物を、揺らしてしまうのです。12年目を過ぎた東日本大震災の記憶が、まだ消え去りません。
建物も持ち物も、自分を支えているのではなく、「巌なる主」とおっしゃる神さまがお支えくださるのを確信し、今朝も目覚めて、新しい日を、感謝して迎えております。昨日、わが家を訪ねてくださったご婦人と、一緒に私たちは外出をして、お昼を一緒にしました。そのご婦人のお宅に咲く木蓮の花の写真を送ってくださいました。
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