『私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。(新改訳聖書 詩篇121篇1~2節)』
岩手県に、早池峰(はやちね)山があります。北上山地にある標高1917mの山で、7〜8月にかけて咲く花に、「早池峰薄雪草(はやちねうすゆきそう)」と言う名の花があって、清楚に咲く花で、実に素敵です。
この花は、エーデルワイス(和名はセイヨウウスユキソウ)と言うヨーロッパ原産の花に似ていて、高山植物の一つです。エーゼルワイスと言えば、この名を題にした歌がありました。ドイツ語ですと、
Edelweiss, Edelweiss,
Jeden Morgen mich gruessen
klein und weiss, rein und weiss,
Du siehst mir aus so froehlich.
Blume von weiss wie du wachs und blum,
wachs und blum fuer ewig
Edelweiss, Edelweiss, Meine Heimat gesegnet!
この歌を聞いていますと、何か山歩きをしているような気分になって、静かな一時が、大自然の中で過ぎゆくように感じてしまいます。素敵な歌なのです。山を愛でる人にとっては、どの国も同じで、「ふるさとの山」を誇りに思い、泰然とした様を見るにつけ、護られているような思いに駆られるのでしょう。
「壬生義士伝(浅田次郎作)」で、子どもが三人がいて、下級武士なるが故に、あまりの貧しさに、国を売るというのでしょうか、盛岡藩を脱藩し、京都の治安を守るために任じられた新撰組に入隊した、吉村貫一郎が主人公です。隊の宴席で、隣の同僚に、ふるさとの自慢話を、貫一郎する下りがあります。
その隊員手当を、京にある藩の出店を経由して、故郷に届ける家族愛も素晴らしいのを感じました。長男は、文武に長けていましたから、幕末の動乱に巻き込まれ、父の跡を追うように、徳川側に加わり、箱館戦争で果てていきます。娘は、盛岡藩の家老の子に嫁ぎ、満州にわたり、開拓民の医療に携わっていきます。
岩手盛岡は、幾つもの山を背後に持つのです。貫一郎が取り上げた山の一つが、「早池峰山」でした。私の故郷にも山容の優れた山があり、長く過ごした華南の街にも避暑のために重宝された山があり、今住む街には、大平山、男体山、遠方には筑波の峰々、そして富士山までもが遠く見えます。
『それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。”(詩篇133篇3節)』
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聖書に出てきますヘルモン山は、神さまに見出されて、遠くカナンの地に「約束の地」として、アブラム(後のアブラハムです)に与えられた地でした。その約束の地の北限に位置するのが、このヘルモン山で、イエスさまは、この山の南限の地である、ピリポ・カイザリヤに行かれています。
もしかしますと、山の頂で、イエスさまが、光る輝く様に変貌されたことで、「変貌山」と呼ばれたのは、このヘルモン山かも知れないと思われています。また、「山上の説教(山上の垂訓)」が行われ、パンと魚の奇跡的な給食をされたのは、このガリラヤ湖を見下ろせる小高い丘でしたから、ガリラヤの村々から人々がやって来て、青草の上に座って、イエスさまのお話に耳を傾けたのでしょう。
また、「平和な都」と言われたエルサレム、そのカルバリの丘は、エルサレムの住民たちにとっても、世界中のクリスチャンにとっても、格別な意味を持つ山のようです。聖書では、「ゴルゴタ」、髑髏(されこうべ/ドクロ)と言われ、イエスさまが、十字架の上で亡くなられた所なのです。
ペテロは、『そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(1ペテロ2章24節)』と、その手紙に書き残しました。
この御子の十字架の死なくして、私たちの救いはありません。イエスさまが呪われた者となってくださったことによって、信じる者の呪いを打ち砕いてくださり、「永遠のいのち」に預からせてくださったのです。死なれたイエスさまは、蘇られて、今は父の神の右に着座されておられ、信じる者を御父に執り成し、助け主聖霊をくださり、場所を備え、それが備えられたら、私たちを迎えにおいでくださるのです(ヨハネ14章2-3節)。
もう山には、登らなくなってしまいましたが、でも朝な夕なに眺める大平山に、車で出掛けて、謙信平から関東平野を眺める景観は、驚くほどの広がりを見せていて、上杉謙信ならずとも、驚かされてしまいます。2813mの高さで、一年のほとんどの時期に、雪を頂いているのヘルモン山からの眺望も、優れたものなのでしょう。この山には、どんな花が咲くのでしょうか。さて、果たして貫一郎は、早池峰山の薄雪草を知っていたのでしょうか。
(ウイキペディアによる「エーゼルワイス」、「ヘルモン山」です)
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