.
.
梅雨を忘れるほど猛暑の続く中、一昨日、雷が轟き、稲妻が走り、強烈な雨が、家の前にある駐車場のコンクリートを叩きつけていました。強い風が吹いたかと思うと、ベランダの紫陽花の鉢を横倒しにしていました。
私たちの県の県都は、「雷都(らいと)」と呼ばれるほどに、雷の名所なので、この街も雷が、よく立ち騒ぐのです。私は、雷が好きで、これほど躍動的な自然現象はないと感じ、雷光、雷鳴、雷雨の三点セットがそろうと、ベランダに出て、光と音と雨を眺めてしまうのです。
気分が晴れないことは、そう多くはないのですが、あれだけのエネルギーを解き放つ夏の風物詩は、他に見られません。父の家の庭に、手ぬぐいと石鹸を手にして出て、裸で雷雨を浴び、濡れタオルに石鹸をつけて、水浴をしたことがありました。あんなシャワーは一回きりのことでしたが、あんなに爽快な経験はありませんでした。
ところが、窓の上部の空きガラスから、こちらわ見ている隣家のおばさんと妹さんと、目が合ってしまったのです。這々の体(ほうほうのてい)で家に駆け込んでしまいました。きっと呆れ返って、若者の可笑(おか)しな衝動を眺めていたのでしょう。それから道で会うたびに、ニヤニヤされてしまいました。
それでもあんなにサッパリしたシャワーは、あれ以来ありません。どんな大人になるのだろうと、呆れられたに違いありません。父の家を出るまで、バツが悪かったのです。あれ以来したことはありませんが、雷がなると、あの時のことが思い出されてしまうのです。
北原白秋が作詞し、中山晋平が作曲した、「あめふり」がありました。
あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかえ うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン
この蛇の目の傘さし、下駄履き、雨中の登下校、みんな小学生の自分の経験のようです。傘なしで家に帰り着いたことが、子どもの頃にあり、風邪を引かすまいと、母が、着替えさせ、体を拭いてくれたこともありました。これは遠い日の懐かしい思い出で、健在だった頃の母を思い出させられるのです。
破れ番傘を弟と差して登校していた級友がいました。しばらくしたら、雨が降ると学校に来なくなったのです。傘が使えなくなったからでした。破れ屋に住んでいた彼を訪ねた記憶があります。お父さんはいなかったと思います。今年は、「戦後80年」だそうで、どの学校、どの学年、どのクラスにも、お父さんのいない級友が、何人もいたのです。お父さんを戦争で亡くし、母子家庭だったからです。
.
.
昨日、日本プロ野球界の逸材だった、張本勲のインタビュー番組を見ました。兄たち二人の間の学年の人で、野球を語ったのではなく、「戦争体験」、広島で育っておいでで、5歳の時の「被爆体験」を語っておいででした。
この方も、お父さんを病気で亡くし、母子家庭で育っていて、爆心地の近くに住んでいたので、お母さんもお姉さんも、「ピカドン (原子爆弾の炸裂をそう言っていました)」に合われて、上のお姉さんは原爆症で亡くなられています。
爆弾が炸裂した時、お母さんは覆うようにして、5歳の自分を庇ってくれたそうです。お母さんの背中は真っ赤に、ガラスの破片で怪我をして、血が流れていたそうです。それで九死に一生を得た自分を語っておいででした。
水泳好きだった勲少年は、広島球場で、巨人軍の川上哲治一塁手に出会って、宿舎で「牛ステーキ」を食べている姿を見たのだそうです。ひもじく貧しかった張本少年は、うまい物の食べられる野球選手になろうと決めたのです。生涯、3085本の安打の日本記録を残し、打率は3.19の好記録を残しています。最強の野球人です。
被爆者の悲哀を覚えながら生きて来ましたが、60歳で、一人の少女からの手紙を読んで、被爆者の「語り部(かたりべ)」となる決心をしたのだそうです、それ以来、どこででも、その辛い経験を語り、原爆の製造と使用とに、断固反対の論を語り続けておいでです。
同世代の私の兄は、山の中の家から、遠い街の上空が、アメリカ軍のB29爆撃機に投下した焼夷弾で、真っ赤に染まっていたと話してくれました。その街も、原爆投下の候補地だったようです。降って良い天来の恵みの雨があり、降らせていけない爆弾があります。
今も地球上に、戦火が上がっています。聖書に、
『また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。(新改訳聖書 マタイ24章6節)』
とあります。人類は戦争を繰り返してきた忌まわしい歴史を忘れないで、どんな理由があっても、戦争を忌み嫌い、断固反対しなければなりません。正しいことを決断実行し、人を不幸にすることを唾棄(だき)すべきです。救い主は、「平和の君」でいらっしゃるからです。
(ウイキペディアの「雷のイラスト」、「和傘」、「原爆資料館の内部展示写真」です)
.