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サトウハチローの作詞、 中田喜直の作曲で、「ちいさい秋見つけた」が、やっと歌えるような時候となりました。
(一)誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
めかくし鬼さん 手のなる方へ 澄ましたお耳に
かすかにしみた 呼んでる口笛 もずの声
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
(二)誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
お部屋は北向き くもりのガラス うつろな目の色
とかしたミルク わずかなすきから 秋の風
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
(三)誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
昔の昔の 風見の鳥の ぼやけたとさかに
はぜの葉ひとつ はぜの葉あかくて 入日色
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた
詩人というのは、畳の上に寝そべって、原稿用紙を目の前に置いて、外を見つめて、何かを感じて、作詩するのでしょうか。サトウハチローは、『原稿用紙を前に布団に腹這いになって外を見ていたら赤くなったハゼの葉を見て言い知れぬ秋を感じて、この詩を書き上げた!』と言っています。
今住む家にも、六畳間の畳の室があって、畳の感触が懐かしくなって、寝そべって窓外の空に目をやることが。時々あります。もう雲は入道雲ではなく、箒で履いた様な雲が見られる様に、やっとなったところです。
やんちゃなハチローも、畳の上ではなく、布団を敷いたままに、横になったのです。ハゼの葉が見える様な家に住んでいたのですね。今は、秋の夜なべ、真っ暗で何も見えません。鳥の奇声が、細く開けた窓の間から聞こえています。
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もう巴波川に、鴨が帰ってきて、四羽ほどが川面を泳いでいるのを、買い物帰りに見かけたのです。遠い飛行を終えての帰来で、主(ぬし)の鯉と、観光客の投げる餌を取り合う光景を目にすることができそうです。
大陸の中国、朝鮮半島、シベリアあたりと行き来をする様ですが、あんなに小さな体で、『行って帰ります!』と、長い飛行を、古里に帰って行って、向こうで生まれたコガモを連れて帰ってきたのです。
古里が、懐かしくなってしまいました。羽があるなら飛んで帰りたい気分ですが、そこには、今は父も母もなく、兄たちや弟もどう過ごしていることでしょうか。来週は、ちっと弱くなった次兄を、弟の最寄り駅の前で落ち合って、弟の運転の車で訪ねることにしています。かつての野球小僧が、少し弱くなっていると、弟が言っていました。
デパ地下でお昼用の弁当を買って、訪ねるつもりです。前回は、新宿の京王デパートで弁当を三折りとTopsのチョコレートケーキと、ベランダで干した手製の干椎茸を持って行きましたが、今年は、道の駅の野菜売り場に、大ぶりの椎茸がなく作れなかったのですが、これは次回にしましょう。
今季は、秋風を頬に感じた時、さしもの猛暑の終了に、いつになく大きな喜びを感じたのです。古里は、場所だけではなく、一緒に、育った兄弟たちとの交流の中で感じるのでしょうか。きっと二親の話になるのでしょうか。それよりも、再会を喜ぶのでしょう。
(ウイキペディアに「ハゼの葉」、巴波川に戻って来た「カモ」です)
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