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準さんへ
肩のけがの具合は、どうですか?お見舞いに行きたいのですけど、お忙しそうなので、手紙を書きます。準さんご夫妻が、ずっと僕のことを応援してくれたことを母から聞きました。ありがとうございました。まだ高校は確定していないけれど、9月からがんばります。またお会いできるのを楽しみにしています。お体お大事になさってください。 龍
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これは、昼前に届いた、宅配のお見舞いの品々と一緒にあった、龍さんからのお便りです。しっかりした日本語が書けていて驚きました。日本人のお母様が、こちらの方と国際結婚をされて生まれた"中学3年生"で、こちらの教育を受けてこられています。今は、「高中(高校)」の受験を終えられて、その結果を待っておいでです
返信のメールに、『・・・暑い夏です、お体に気をつけてください。夢を追いかけて、溌剌と生きる青年であってください。ありがとうございました。』と書き添えておきました。肩のための湿布薬、2種類の紅茶、そして《肝油ドロップ》を、『ボクの肝油、病後にも良いと書いてあるから、使ってもらって!』と、お母様に言われて、同封してくれました。思いやりのある、優しい子で、嬉しいこと仕切りです。私の《小朋友xiaopengyou》です!
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上記したのは、10数年前のお見舞い品に添えられて送られてきた「手紙」の文面です。この方は、お父さまが中国の方で、お父様は日本の方で、国際結婚をしたご両親のお子さんでした。中国の大学に進学しないで、東京の大学に留学をし、その大学を出て、東京の会社に就職をなさっておいでです。
左腕の鍵盤断裂で、札幌の整形外科病院に入院して手術をした私に、「湿布薬」、「紅茶」、それに「肝油ドロップ」のお見舞いに添えて、この文面の手紙を頂いたのです。そのお見舞いと激励が、綺麗な文字で書かれてありました。
お母さまは、岡山県の出身で、東京の会社で働いていた時に、ご主人に出逢われたと言っておいででした。実に穏やかなご主人で、日本語もきれいにお話しになっておいででした。龍さんも、優しいお子さんでした。家内が、日本人のご婦人たちの集いに誘われて、その時に知り合い、わが家にも、龍さんをお連れくださっていました。
子育ての頃に、わが家でも、子どもたちに滋養のある肝油ドロップを、よく食べさせていたのですが、龍くんも日本に来て、岡山のおばあちゃんを訪ねると、そのドロップを買っては帰り、飲み続けていた貴重品だったのです。それを、術後の回復のために分けてくれたのです。
龍くんと会ってから、明代の大陸で活躍した人、鄭成功のことを思い出したのです。父は鄭芝龍、母は田川マツで、国際結婚で、長崎で誕生しています。成功は、中国大陸で明が衰退し、清が勃興した時代の変革の大混乱期に「抗清復明(清を倒し、明を復興する)」をかかげた反骨漢で、大活躍した人物でした。
福建省の厦門(アモイ)に、教え子がいて、何度か招かれて、家内と二人で訪ねたことがありました。お父さまが、アモイの街を案内してくださって、海辺の高台に、馬に跨った成功の巨大な像があって、彼が行き来した台湾に目を向けているのです。今でも篤く尊敬されています。
病没するまで、成功は明王朝の復興を願い、大陸の清と戦ったのです。日本では、近松門左衛門の有名な人形浄瑠璃、「国姓爺合戦」のモデルとして。とても有名です。今でも上演されていて、歌舞伎のp演目の中にもあります。
鄭成功記念館は、長崎県の平戸にもあります。平戸は、東アジアの英雄成功が7歳まで育った地でした。彼の生家を再現すると共に「鄭成功」の偉業を顕彰し、後世に伝えるため再現されているそうです。
鄭成功は、戦乱に明け暮れた英雄ですが、龍くんも、二国の血を引いて、平和の時代に、肝油ドロップを食べて育った青年で、優しい心の青年でした。あの愛子さんの在学と同じ時期に、学習院大学に学んでおいででした。
(“いらすとや”のドロップ、“ウイキペディア“の鄭成功を主人公の歌舞伎です)
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