なおき者にふさわしい賛美を

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『私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。(詩篇34篇1~3節』

 「凝り性」と言われる人が時たまおいでです。飽きっぽい自分とは対極にいる人です。同級生に、映画オタクがいて、とくにアメリカ映画が大好きで、封切られると、上映館に飛んで行って観るのだと言っていました。そんなに小遣いを、親からもらうのかと思って驚いていました。英語の勉強にはなったのでしょうか、歳を重ねた今も、同じように、映画専門チャンネルにアクセスしてるのでしょうか。そんなに夢中になれる彼が羨ましかったのです。

 『犬を連れ、桜を愛(め)でて、寿司を食う!』、日本人の好きな物事を調査した、NHKの「放送文化研究所」の榊原一所長は、日本人を端的に、そう表現していました。2007年3月に行われた、その調査の結果は、現代の日本人の特徴を捉えているようです。動物では「犬」、木や花では「桜」、食べ物では「寿司」という答えは、男女差と年齢差のない、おしなべて日本人の総体的な好みなのだそうです。

 いつでしたか、モーツアルトの作曲した楽曲が聴きたくなって、まだCD全盛期の頃に、買ったことがありました。そのタイトルは、「音楽療法のモーツアルト」だったのです。きっとあくせく日を過ごしていた頃だったので、温泉にでも行って、ゴロッとして、聴きたくなったからだったでしょう。

 実はクラシック音楽は、“ジャジャジャ、ジャン!”をラジオで聴いていたからでしょうか、嫌いだったのです。朝、NHKのラジオ放送で、「名演奏家の時間」と言う番組がありました。肺炎になって入退院を繰り返していた就学前から、小学校の3年生ほどまでの間、微熱が出ては、けだるくて学校に行けなかった時に、聴いたのです。

 母に連れられて病院に行かない日は、布団の中で過ごしていました。その時、ラジオから聞こえてきて記憶がはっきりしているのが、クラシック音楽だったからです。目が回って、セキが出て、ウトウトしながら聴いていたのですから、子守唄の記憶ではないのです。学校に行けない惨めさの中で聴いたからでしょうか、クラシックを聴くと病んでいた日々が思い出されたのです。

 学校に行きたいのに行けないのです。給食もない時代でしたから、給食に誘われもしないのに、学校が好きでした。行けば、行ったで、『ちっとも落ち着いていないわ!』と、担任に言われるし、いたずらの度が過ぎて、廊下や校長室に立たされるのですけど、学校に行きたいのです。でも行けないのです。

 怠けているようですが、天井の節目を見ていると、グルグルと目が回ってしまい、浅い眠りに誘われ、またセキがでる、そう言った繰り返しでした。もしかしたら、モーツアルトを聞いて元気にされたかったのかも知れないかな、とも思って、自分としては珍しい行動でした。でも今、改めて、このアマデウス・モーツアルトを聴きますと、本当に元気になれそうなのです。

 私が一番好きなのは、JAZZなのです。これを聴いていると、心がうきうきしてくるし、明日に希望を持って生きていこうとする活力が湧き上がるようなのです。隠れジャズ・ファンだったのですが、教会に、自分の意志で行き始めた頃に、アメリカから伝道者が母教会に来られて、アメリカのカリスマ派の教会の礼拝で、賛美されている「コーラス」を紹介してくれたのです。それはJAZZ調、ハワイアン調のメロディーで、実に軽快でした。

 その後、多くのコーラスは、作ろうとして作って、技巧的なものが多くなってしまっているように感じられますが、彼が紹介して、教会のみなさんが翻訳したコーラスは、きわめて単調でした。聖霊なる神さまが、与えてくださったメロディーと歌詞なのです。

 そんな私の趣味を知った子どもが、Cuban JazzのCDを紹介してくれたのです。その中に、”Buena Vista Social Club chanchan“だったでしょうか。もう30年も前になってしまいました。どこかに紛れ込んでしまっている今、それでもYouTubeで聴くこくことができます。

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 教会の賛美で、初期のコーラスは、ジャズの影響を強く受けていたでしょうか。そのワーシップ・ソングスのCDも、買ってきてくれましたし、注文して買ったたこともあります。母教会に、平松実馬と言う伝道者がこられた時に、「人生劇場」の替え歌で賛美しているのを聞いたことがありました。驚かされましたが、素晴らしくインパクトがあったのです。

 でも短調よりも長調のメロディーに、主の臨在 があふれているように感じられます。難しくなく《単調!》がいいようです。「山路越えて」の讃美歌も好きです。母教会で、英語の歌詞を、翻訳していた光景が、時々思い出されてきます。瞬く間に、多くの教会で賛美されるようになっていきました。聖書のことばにメロディーが付けられて歌われていたのです。

『正しい者たち。主にあって、喜び歌え。賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい。(詩篇33:1)』

 まだ幼なかった子どもたちと一緒に、主を愛(め)でて、賛美を歌った日々がありました。それは素晴らしい日常だったのです。次男が来ると、ウクレレで、母親と一緒に主を賛美しています。賛美の凝り性はいいものです。

(“Christian clip arts”に賛美です)

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過去を知り、明日を拓く

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 中学生の頃だったでしょうか、父が一冊の写真集を買ってきたことがありました。広島に原爆投下された後に、撮影された生々しい写真が表表紙から裏表紙まで、今のように加工できない時代の、ありのままの被爆後の広島の街の様子が映し出されてありました。

 その悲惨でむごい様子に、目を逸らすほどで、息を呑んだのです。長崎の被害状況も同じだったのでしょう。それは、戦争末期に、アメリカ軍の空襲で、日本の多くに街に焼夷弾落とされて、焼け野原になっていった、最後の巨大爆弾の投下によるものでした。

 両親と二人の兄と私は、戦時下の父の任務が、中部山岳の地にあった、軍需工場の責任者を拝命し、防弾ガラスに原石である石英に採掘に従事していました。陸軍の連隊のあった麓の街も、米機による空襲にあって、市街地が焼けてしまったのですが、父の作業場は、空襲目標地ではなく、無傷でした。ふもとの街の空が真っ赤になっていた様子を、6歳だった上の兄は覚えていると言っていました。

 自分は生後7ヶ月でしt。その時の様子を、学校で学んだ覚えがありませんが、父は、歴史の事実を知るようにと、原爆投下後の広島の街の惨状を、写真集を買って、見るようにしてくれたのです。確かに、息を飲んで見たのです。

 今日、8月15日は、81回目の終戦記念日でした。戦没者のための行事が例年行われてきて、今年も日本武道館に行われたとニュースが伝えていました。暑く大雨に見舞われている今夏でも、あの写真の悲惨さは忘れることができないのですから、被曝された当事者のみなさんは、どれ程の鮮明な体験をお持ちなのかと思わされています。

 広島では56万もの人が被爆し、長崎でも20万人が被爆者であったのです。亡くなられた方は、今なお増え続けています。第二次世界戦での日本の戦没者は、310万人だと報告されています。毎年繰り返される式典ですが、被害状況は知らされるのですが、父が掘った鉱石を原料にした防弾ガラスを搭載した爆撃機で、私が、13年過ごした天津と華南の街には、日本軍支配の歴史や爆撃の記録が、大きな記念館のなかに、また、大きな河川の堤防に、石板に刻まれて 掲出されていたのです。

 

 

 30年ほど前、中国からの留学生と、住んでいた街で出会いました。国立大学の工学部の大学院で研究をしていた方です。当時、彼女が言った言葉が忘れられないで、今も思い出されます。この方は、広島の原爆記念館を見学して帰って来られた頃のことでした。

 『どうして日本は、被害者の記念館を作るだけで、加害者としての記念館を作らないのでしょうか。それは片手落ちではないんでしょうか!』と、厳しい口調でおっしゃっていました。軍靴で踏み荒された故国の歴史を思い返して、正直な応答でした。私は、『そうですね。』と、ただ認めるだけでした。加害者として、戦時下に、アジアや太平洋諸島で、軍人や民間人を含めて、な亡くなられた方の総数は、1000〜2000万人、それ以上に上ると言われています。

 この8月がくると、その女子留学生の言葉が、重く思い出されるのです。歴史学習が、歴史の中の事実の学びが、日本では足りないのではないでしょうか。歴史の中で起こった真実、その事実を学んでないと、事実が曖昧にされて、次の世代に、正しく継承されないままなのです。

 東京大学の一年生の庭田杏珠さん(広島女学院出身)が、「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦後(光文社新書)」を、東大大学院情報学環教授の渡邉英徳さんと共同で、6年ほど前に刊行されました。

 「記憶の解凍」の活動を通して、「平和教育の教育空間」について研究されてたのです。この本は、戦前戦後に撮られた白黒写真を、カラー化することによって、色彩を持った過去の事実を表現する努力をされています。付け加えているのは、感情ではなく、色彩だけです。写真を眺めていると、過去の現実が、いま蘇っているかの様に感じられらのです。

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 過去をありのままに、いえ、より現実化させて、わが生後7ヶ月の時の前後の事実を、思いっきり知らされる様で、素晴らしい写真集です。その中に、戦後の「青空教室」の写真があって、全てのものを失っても、教科書を喰い入る様に見ている、子どもたちの向学心の旺盛さに触れ、戦後復興の第一歩が、この小学生たちから始められたのを感じたのです。未来に自分たちの夢や理想や幻を解き放そうとしたのでしょう。

 でも過去の加害者としての歴史的な事実は、伝えられる必要があるのです。華南の街で出会った高齢のご婦人は、子どもの頃、上海の北の方の村で、日本軍が焼き討ちで放った火で、火傷を負われておいででした。懇願して、見せていただいた左腕に、ケロイド状の火傷がありました。彼女のお孫さんが、日本のアニメが大好きで、わが家に週一で訪ねて、それで知り合った方なのです。家内を歓迎して、その腕でハグしてくれるほど、過去の出来事を赦しておいででした。

 その華南の街には、日本軍の爆撃機が投下した爆弾で、四十人近い人が亡くなっていたと記録されていました。また、海から上陸した日本軍が、井戸に毒を投げ込んだりしたとも言っておいででした。

 もちろん過去は忘れてはなりません。ただ感情的に修飾された過去はいけません。事実と真実を学ぶのです。それは、輝ける明日、未来に向かって思いを向けて行くためにです。来週、一緒に礼拝を守って、今は上海の近くの大学で法律を教えている姉妹が、家内の見舞いに来てくださると言っておいでです。

(“いらすとや”のイラストです)

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老若、古今東西を

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ヤングはスタスタと、爺さんはヨボヨボと歩き

ヤングはスニーカーを、ジイさんは下駄を履き

ヤングは意地を、ジイさんは膏薬を張り

ヤングはスポーツカーに、ジイさんは車椅子に乗り

ヤングは渋谷を、ジイさんは谷根千を歩き

ヤングは上を 、爺さんは下を見て

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ヤングは心が、ジイさんは手が震え

ヤングは夢が、ジイさんはのどがつまり

ヤングは将来が、ジイさんは過去にあふれ

ヤングはアイミョンを、バアさんはひばりを聴く

ヤングはタコスを、爺さんは酢だこを食い

(“いらすとや”の若者、老人です)

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街のスポットと珈琲が

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 昨日は、テレビで有名な女優さんに『母さん!』と呼ばれているご婦人が、フラッと立ち寄ってくれました。季節の果物の梨と桃を持ってでした。しばらく昔ばなしや友人のことを話され、入院検査のことにも触れていました。

 近くの公園の近くのベンチに、お二人にご婦人が座って、日向ボッコ仲間と話をしてるところを、家内が通りかけた時に、挨拶しましたら、会話が始まって以来の交流なのだそうです。そう言えば、見知らぬ土地に住み始めて、出会って、コーヒーを一緒に飲む方が、よく訪ねて来られるのです。美味しいのだそうです。京都からコーヒー豆を送ってくださる、中国で出会った方がいて、その有機栽培のアフリカンコーヒーが美味しいのです。

 《過ぎたるは及ばざるが如し》で、一日一杯に決めて飲むのですが、来客にお淹れすると、つい、節を曲げて、一緒に飲んでしまうこともあって、それも、『まあいいか!』でのコーヒー通気取りです。

 お世話くださった宣教師さんが、“ Blue mountain“、コーヒーの愛飲家で、一緒に飲むことがあって、こだわりのコーヒーは自分にも、抜群に美味しかったのです。それに倣おうかなと思うのですが、いまだに手の出ないままでおります。何度か、その味を思い出しては、喫茶店に入った時に、“ Blue mountain“ を注文したりはしたのですが、まぼろしのコーヒーのままです。

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 昨日、木村拓哉が、銀座の珈琲店に入って、飲んでいたのが、美味しそうだったのです。”  Bacha coffee “ というお店で、勧められるまま飲んでいたのが、” Sweet Mexico Coffee“ だったのです。香り高いコーヒーを飲み進んで、三分目ほどになって添えられているCreamもSugarも、『好き!』とか、『よかった!』とか、『うれしい!』のだそうで、木村拓哉が言うほどですから、格別に美味しそうでした。

 今や、病院通いの自分には、銀座なんかに行く用がないのですが、学校の裏門から、都電で一本で行けたので、時々行った銀座ですが、演技達者な俳優が、演技だけでなく、実に美味しそうに飲むので、今の銀座に、今のコーヒーを飲みに行きたくなってしまいました。

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 市の運動公園のそばに、小さな喫茶店があって、散歩途中に何度か入ったことがあります。全国区のチェーン店も昔ながらの喫茶店も、この街には多いのです。時間帯にもよりますが、年配のご婦人が独り美味しそうに飲まれる街なのです。cheese cakeに、コスタリカ種のコーヒーを飲んでいるのは、実にこの街のstatus、絵なのでしょうか。

 《何々さんが足繁く通った!》、《何と言う映画に出てきた!》と言う名喫茶店が、世界中にあるようで、ついのせられて、浮き足立ってしまう自分です。『昔アラブの国の誰某(だれそれ)さん』、が飲んだ琥珀色の飲み物が、こんなに世界を席巻してしまうのは、歌のせいでも、映画のせいではなさそうです。

(“いらすとや”のコーヒー、Bacha Coffee、“ウイキペディア”のコーヒーの個人消費量の比較図です)

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My utmost for his highest

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 信仰が確信されて、それまで目向きもしなかったっみちを一途に歩み始めて間もない頃でした、「いのちのことば社」の月刊誌「百万人の福音」に、オズワルド・チェンバースの「マイ・アットモスト・フォー・ヒズ・ハイエスト(彼の没後に神学校で教えた講義の原稿から編集されたもの)」と言う通読日課の欄があって、1971年の9月号から翌年の8月号まで連載されていました。

 いのちのことば社の文書伝道を兼務されていた湖浜馨牧師が、翻訳されたものでした。残念なことに掲載されていた「百万人の福音」誌にスペースが限られていたので完訳ではなかったのです。それでも、その文章の格調の高さと忠実な翻訳とに、心動かされ教えられていた私は、それを切り抜いて合本にして、いつも手元において読んでいました。

 その後、英語版の原本 ”My utmost for his highest”を買い求めたのです。その英語は大変難しいもので、辞書と首っ引きで読むのですが、それでも大変手を焼かせるものでした。ところが、それから20年ほどたちました1990年に、「いと高き方のもとに」との題で、加筆の手を加えて、デヴォーション用に一冊の本として出版されたのです。

 早速買い求めました。それ以後、数冊買ったのですが、次男のために家内が買い求めて『1999年1月5日「母」』と書き込まれたものが手元にあります。次男が東京に行く際、置き忘れていったものです。それを家内と、朝食のテーブルで、毎朝読んでいるのです。もう二十数年、この本に集中してきています。

 この方は、レイモンド・エドマンという牧師が、『最高の生涯を送った聖徒です!』と紹介した人です。1874年にスコットランドで、バプテスト教会の牧師の子として生まれています。あのロンドンの教会で説教をし続けた、スポルジョンの説教を聴いて回心したと言われています。

 伝道者として生きた彼は、その生涯の最後の5年間、ロンドンの聖書学校で、多くの青年たちを教え、伝道者として養成しました。彼の講義は、青年たちの魂を感動させ、揺り動かしたのです。そして1917年、エジプトで病を得て、43才で天のホームに帰って行かれました。
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 その教えを、教室の傍に座って速記していたチェンバース夫人が、膨大なノートから編集をし、デボーションの本として出版したのです。その本は、多くの言語翻訳されていて、中国語訳も、華南の街の秘密の福音文書の書店にも置かれてありました。もちろんホノルルやシンガポールや銀座でも、福音文書店で見つけることが出来るものです。世界中で、いまだに読み継がれているのです。「霊性の高さ」とか「人格の高潔さ」とか言ったものが溢れているからであります。

 それは、聖書学校で、主に従って生きようとしていた青年たちに、真剣に語ろうとして語った事々だからでしょうか、聞き手の受けを狙おうとするところが見られません。聖書を忠実に解き明かしているのです。

 私たちを育ててくれた宣教師の説教CDや著書を、聞いたり読んだりすることが、今でもあります。語っている内容に感じ入ることが多いのですが、語っている彼らの人格や品性が、驚くほどに迫ってくるのです。彼らも、面白おかしく語ろうとしていませんでした。真剣に聞こうとする聞き手に、驚くほどの敬意を表しながら語っておられるのが感じられるのです。人の「霊的いのち」に対する責任と使命とが、彼らにあったからなのでしょう。実に感謝なことであります。

 そのデボーションの本の今朝の箇所は、主題が「危機に臨んでも」で、聖書箇所が「なぜこわがるのか、信仰薄いものたち(マタイ8:26)」で、次のように記されてあります。

 「私たちは恐れに取りつかれると、神に祈ること以外は何もできなくなる。しかし私たちの主は、神の御名を呼ぶ者たちが、どんな時でも彼に信頼することを望まれる。

 神は、ご自分を信頼している神の子どもたちが、どのような危機にあっても動じないでいることを望んでおられる。私たちはある一定のところまで、神に信頼し、その限度を超えると、まるで神を知らない者ように、恐れに取りつかれただけの幼稚な恐れへと戻っていく。その時私たちは、自分が神を少しも信頼しておらず、神がこの世界を支配しておられることも信じていなかったことを知る。そして、神をあたかも、眠っておられるかのように考え、目に映るものはすべて、白く砕ける波のようになる。

 『信頼の薄い者たちだ!』このようにイエスに指摘された弟子たちは、どんなに心が傷んだことだろうか。私たちにも同様なことが言える。私たちも、どのようなことがあったとしても、イエスに信頼し続け、心からイエスにある喜びを持つことができたはずだと考えて心を痛める。

 人生には波風の全く立たない時がある。しかし、危機が迫った時にこそ、私たちが何によりたのんでいるかがわかる。私たちが神に信頼することを習得しているなら、危機が臨んでも、私たちの神への信頼は崩さされることはない。」

 これこそが人生の機器管理の極意に違いなさそうです。崎谷は台風が直撃して、渦巻くように吹き荒れて、今朝は石川県方面に去って行きました。地震、洪水、山火事、世界中で、自然界が悲鳴を上げています。どんな危機に直面しても慌てず、怖がらず、創造者なる神に、日々に信頼して行きたいものです。

(“ウイキペディア“の英語版と、チェンバースの写真です)

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二人の青年に想いを寄せて

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準さんへ

 肩のけがの具合は、どうですか?お見舞いに行きたいのですけど、お忙しそうなので、手紙を書きます。準さんご夫妻が、ずっと僕のことを応援してくれたことを母から聞きました。ありがとうございました。まだ高校は確定していないけれど、9月からがんばります。またお会いできるのを楽しみにしています。お体お大事になさってください。    

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 これは、昼前に届いた、宅配のお見舞いの品々と一緒にあった、龍さんからのお便りです。しっかりした日本語が書けていて驚きました。日本人のお母様が、こちらの方と国際結婚をされて生まれた"中学3年生"で、こちらの教育を受けてこられています。今は、「高中(高校)」の受験を終えられて、その結果を待っておいでです

 返信のメールに、『・・・暑い夏です、お体に気をつけてください。夢を追いかけて、溌剌と生きる青年であってください。ありがとうございました。』と書き添えておきました。肩のための湿布薬、2種類の紅茶、そして《肝油ドロップ》を、『ボクの肝油、病後にも良いと書いてあるから、使ってもらって!』と、お母様に言われて、同封してくれました。思いやりのある、優しい子で、嬉しいこと仕切りです。私の《小朋友xiaopengyou》です!

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 上記したのは、10数年前のお見舞い品に添えられて送られてきた「手紙」の文面です。この方は、お父さまが中国の方で、お父様は日本の方で、国際結婚をしたご両親のお子さんでした。中国の大学に進学しないで、東京の大学に留学をし、その大学を出て、東京の会社に就職をなさっておいでです。

 左腕の鍵盤断裂で、札幌の整形外科病院に入院して手術をした私に、「湿布薬」、「紅茶」、それに「肝油ドロップ」のお見舞いに添えて、この文面の手紙を頂いたのです。そのお見舞いと激励が、綺麗な文字で書かれてありました。

 お母さまは、岡山県の出身で、東京の会社で働いていた時に、ご主人に出逢われたと言っておいででした。実に穏やかなご主人で、日本語もきれいにお話しになっておいででした。龍さんも、優しいお子さんでした。家内が、日本人のご婦人たちの集いに誘われて、その時に知り合い、わが家にも、龍さんをお連れくださっていました。

 子育ての頃に、わが家でも、子どもたちに滋養のある肝油ドロップを、よく食べさせていたのですが、龍くんも日本に来て、岡山のおばあちゃんを訪ねると、そのドロップを買っては帰り、飲み続けていた貴重品だったのです。それを、術後の回復のために分けてくれたのです。

 龍くんと会ってから、明代の大陸で活躍した人、鄭成功のことを思い出したのです。父は鄭芝龍、母は田川マツで、国際結婚で、長崎で誕生しています。成功は、中国大陸で明が衰退し、清が勃興した時代の変革の大混乱期に「抗清復明(清を倒し、明を復興する)」をかかげた反骨漢で、大活躍した人物でした。

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 福建省の厦門(アモイ)に、教え子がいて、何度か招かれて、家内と二人で訪ねたことがありました。お父さまが、アモイの街を案内してくださって、海辺の高台に、馬に跨った成功の巨大な像があって、彼が行き来した台湾に目を向けているのです。今でも篤く尊敬されています。

 病没するまで、成功は明王朝の復興を願い、大陸の清と戦ったのです。日本では、近松門左衛門の有名な人形浄瑠璃、「国姓爺合戦」のモデルとして。とても有名です。今でも上演されていて、歌舞伎のp演目の中にもあります。

 鄭成功記念館は、長崎県の平戸にもあります。平戸は、東アジアの英雄成功が7歳まで育った地でした。彼の生家を再現すると共に「鄭成功」の偉業を顕彰し、後世に伝えるため再現されているそうです。

 鄭成功は、戦乱に明け暮れた英雄ですが、龍くんも、二国の血を引いて、平和の時代に、肝油ドロップを食べて育った青年で、優しい心の青年でした。あの愛子さんの在学と同じ時期に、学習院大学に学んでおいででした。

(“いらすとや”のドロップ、“ウイキペディア“の鄭成功を主人公の歌舞伎です)

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音吉らによる聖書翻訳が

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 ずいぶん前に、三浦綾子原作の「海嶺」が映画化されて、映画館で観たことがありました。知多半島、小野浦の「宝順丸」が、大阪で米を積んで、江戸に運ぶ途中、遠州灘で、颯風(はやてかぜ)にあって遭難してしまいます。1832年(天保三年十月)のことでした。

 宝順丸の船長の決断で、帆柱を切り捨ててしまう場面があり、そう決断せざるをえない状況が、とてもリアルに描かられていたのです。なぜなら、帆柱を失えば、船は航行不能になってしまうからです。案の定、宝順丸は東風に任せて、太平洋を漂流するのです。その間、壊血病で水夫は次々と亡くなっていき、岩吉、音吉、久吉の若者3人が生き残ります。

  宝順丸は、1834年にアメリカ太平洋岸のワシントン州ケープ・アラバ付近にたどり着くのです。インディアンのマカ族に助けられた後、イギリス船がやって来て3人は救われます。コロンビア川をさかのぼった場所にある毛皮商人に助けられ、そこで3人は、英語とキリスト教に出会います。彼らは、ハワイを経てロンドンに至るのです。

  3人はロンドンを見物したりしますが、けっきょくイギリス政府は日本との交渉に熱心ではなかったため、中国ののマカオへ送り出されてしまいます。すでに知多半島の小野浦の港を出てから、3年の月日が経っていました。

  マカオは、外国人居留地だったのです。そこで、3人の世話をしてくれたのは、ドイツ人宣教師のカール・ギュツラフです。語学に自信のあるギュツラフは3人を相手にして聖書の翻訳に取りかかり、1年がかりで「ヨハネ伝福音書」や「ヨハネの手紙」の日本語訳、ギュツラフ訳聖書を完成し、出版したのです。

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 マカオで聖書翻訳に協力した3人は、日本に帰国するために、モリソン号で日本に着くのですが、外国船打払令で、江戸幕府も薩摩藩も大砲で脅して3人の帰国を許しませんでした。それで、音吉は、上海に行き、そこで、日本人の漂流民を助けるのです。

 長男の嫁は、この知多半島の出身で、結婚披露宴の折に、ここを訪ねた折に、「三吉顕彰碑」に行ってみました。幕末の変動期とは違って、穏やかな海風が吹いていたのです。

 そこでご馳走になった、伊勢湾の「海老」が、こんなに美味しいものかと驚かされるほどのもてなしをいただいたのです。音吉たちが、年配の船乗りたちが、次々と亡くなっていくのを見た若者たちは、何を感じたのでしょうか。雨水を集めては飲み、生魚をとっては食べて生き延びたのは、奇跡的だったのでしょう。

 漁師や商人の船に、遠洋航海をさせないように、船舶の重量や船艇の深さに制限を加えたことの結果、夥しい数の船が難船したわけです。まさに鎖国政策の大きな問題であったわけです。沼津の人、山田長政が、遠洋に漕ぎ出して、シャムに渡って、アユタヤに日本人街を形成し、東南アジアで大活躍した、江戸初期との違いを知らされて、三吉は、どんなに残念だったことでしょうか。

 三浦半島の出の父も、日本海軍の軍港で生まれ育って、海に出たかったのかも知れませんが、真反対の陸の奥、山に入って鉱脈を掘り起こした青年期を過ごしたようです。音吉は、望郷の思いを持ち続けて、1867(慶應3)年1月18日に、50歳で、シンガポールで亡くなっています。明治開化の前年のことでした。

(“ウイキペディア”による千石船、ギュツラフ訳聖書です)

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咲いた朝顔!

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 咲きました!

 2026年8月7日の朝です。今季は、種蒔きが6月に入ってからでしたので、7月には咲きませんでしたが、嬉しいですね!自然界は、忠実です。去年は、秋口になってやっと花開いたので、今年も遅いと思っていましたが、8月の声を聞いて、甲子園の高校野球選手権の大会が始まってすぐの開花は嬉しい限りです。遣唐使が大陸から持ち帰って、日本中で植えられ、愛でられてきた花なのです。華南の街の家のベランダでも咲いてくれました。

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世知辛い世の Fake News

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 「美談ビジネス」と言うのがあるのだそうです。つまり、善行や美談を物語にして、YouTubeなどでアップしているビジネスなのです。そして、その物語の多くが、“ Fake News ”だと言われています。現に、YouTubeに、金稼ぎを目的に記事やAIによってビデオ映像を作成し、それを観て共鳴した人たちに〈チャンネル登録〉の誘いが多くされています。

 世の中が、世知辛くなって、殺伐とした様相を見せてくると、美談に耳を傾けるお人好しが、それを読んだり聞いたりしては、涙するのです。高校生の頃に、フジテレビ系列局で、1959年12月6日から1961年12月30日まで放映された西部劇で、「拳銃無宿(スティーブ・マックィーン主演)」がありました。「賞金稼ぎ」の話です。それは、お尋ね犯罪者を捜して、退治する物語でした。でも善人を騙しての金稼ぎは頂けません。

  つい騙されやすい自分がいて、それを信じては、ブログにアップしてしまうのです。大谷翔平の美談を、Youtubeにあっても時々アップされていますが、そんなことをしそうな善意に溢れた人柄ですから、それは、まあいいかなと思うのです。でも彼自信はどう思うかを聞いてみたいし、真実を知りたいものです。

 人をハッピーにさせる話は、さもありなんでよいのですが、脚色をし過ぎて、面白おかしく泣かせたい人は、直木賞や文学賞でも狙って、筆を振う方がよいのではないでしょうか。

 2026年熊本地震の被害も多大で、余震も多く起こっているとニュースが知らせていますが、落ち着いて眠ることもできず、車中泊をされている方も多くおいでだそうです。親しい友人や知人の多い地で、心配しております。そこでも、偽情報が飛び交ってると聞きます。どんな心理が働いて、そんな情報を流すのでしょうか、人間の悪意というのは計り知れず、残酷さが溢れています。

 AIの時代になって、だれもが指先と口先で情報を発信できるようになってきてる時代に、溢れかえる情報に翻弄されている現実がありそうです。正しく” judge(判別)”できないと、その偽情報に、こころを踊らされてしまいそうです。

 「右往左往」と言う言葉がありますが、混乱している様子を表すようですが、まさに現代社会は、上下左右に、揺さぶられているように感じられてなりません。情報過多の中、どうしても必要とされるのは、選択能力ではないでしょうか。正しく判断、見極める冷静さと、真実を求める願いに違いなさそうです。

 朝のラジオニュースを聞いたり、配達された新聞を読んで、世に中で何が起こっているかを知っていた時代と、今とでは、情報量は比べ物にならないほどに膨大です。父から聞いて、世の中で何が起きているかを初めて知って、社会性を養われたのです。でも今や、ボタンを押すだけで、またチャンネルの選択一つで、真逆なニュースを聞かされる時代になっているようです。

 家内が、息子にスマホを買ってもらって、新聞もテレビも見ない中を生活してきて、爆発的に情報量が増えてきていて、どうも戸惑いを見せているようです。しかも疑うことをしないで信じやすい性格ですから。子どもの頃から聖書を読んで、生きてきていますし、教会の狭い善意の人の多い社会の中で育ったので、視野が狭いかも知れません。

 でもこの世は、海千山千、悪意や抗争や儲け話の坩堝(るつぼ)です。前世紀の遺物のように、娘たちに評されてしまっている家内ですが、世間ズレていないと言う意味では素晴らしいのですが、悪意と出会うと、善意さが邪魔をして、どうも戸惑ってしまっていそうです。

 戦後、アメリカからの援助物資を、宣教師さんから頂いて、それを着て学校に行ったたばかりに、ハナタレの悪童にいじめらたことがあったのだそうです。また高校生の頃に、根性曲がりの級友に、帰宅時にカバンを持たされ続けたり、ありもしない噂を立てられたりしていたこともあったそうです。

 ケンカをしてきた男と結婚して、反発心も身につけたようですが、彼女は根っからのお人好しなのです。いじめた相手を見つけ出して、『ブン殴ってやる!』と言っても、大笑いして、本気にしないままの今です。いじめた子は、残念なことに、教会の中にもいたのです。その同級生は、すでに亡くなっているのです。いじめた子は、何の罪責感もなく、全く覚えていないのが常です。ところが、いじめられた子には、心の深みに傷が残されているので、やっかいなのです。
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 私たちの救い主のイエスさまも、悪意の中で過ごされました。とくに当時のユダヤ教の指導者から、訴えられて、ピラトの法廷に、ユダヤ社会の律法を守らずに、神を冒涜したとの汚名を着せられて、法廷に立たされます。エルサレムの住民の支持を得ようとした、ローマ総督のピラトは、「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」と、手を洗って責任を逃れてしまいます。

 不実の罪を着せられて、カルバリーの丘に立てられる十字架に架けられて死なれたのです。宗教界の悪意によって殺されたのですが、それは、イエスを信じる者の罪の身代わりの死だったのです。信じる者を永遠の命に救うための死でした。イエスさまは、

『三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイ27:46)』

と、十字架上で言われました。人となられて今の今まで、父なる神の愛の視線を受けながら生きてこられたのに、十字架上で、その父に視線を逸されたのが判ったイエスさまが、そう叫ばれたのです。罪なきお方が、罪となられた姿を、御父は正視できなくなって、目を逸らされたからです。

 その死は、信じる者の身代わりであって、信じた者たちに永遠のいのちをくださるためだったのです。私は、子どもの頃から、母のてに引かれて兄弟四人で教会に連れて行かれました。17で信仰告白をし、22でバプテスマを受け、25才で、聖霊の満たしを受けて、その十字架の意味が明確に、電撃的に解ったのです。

 このことも、物語であって、fakeだと言う言う人が、教会の中、それも指導者と言われる人たちから言われているのです。天地創造も、奇跡的なエジプト脱出も、イエスさまのなさった奇跡も、眉唾物、単なる創作された物語にされてしまっています。科学的な目を持ってしまった説教者には、もう聖書を信じられなくなっているのです。

 幼いわが家の子が、長岡輝子さんの朗読する「聖書ものがたり」をテープで聞いて、『イエスさま、ごめんなさい。ボクのために重い十字架をかついで、痛かったんだね!』と、涙を流して泣いたことがありました。今や四十代になった、その彼が、わが家にやって来ると、決まってウクレレを持ち出してきて、この神を、この救い主イエスさまを、弾きながら賛美するのです。そう今も信じ続けているではありませんか。

(“いらすとや”の金塊、ウクレレです)

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はっきりもの言うパウロを

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『神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。 それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。 こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、 同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行うようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。(ローマ1章20~27)』

 聖書は、差別をしたり、不寛容な書なのでしょうか。そうではないのです。これほどはっきり言っているのは、明確に、「恥ずべき情欲」、「恥ずべきこと」、「してはならないこと」なのです。パウロが、これほど厳しい口調で、神さまが定められた、「結婚の契約」を破る者たちへの警告を発する意図を理解して、私たちは、神からの厳粛な言として聞かなければなりません。

 パウロの真実な告白は、「私は罪人の頭です。」と告白したほど、罪なきキリストなるイエスさまのみ前で、「認罪」を明確にした人でした。罪をよく知っていたと言うことでしょうか。そして、『一度信じた人は、永遠に救わている!』との「赦し」を確信した人でした。その赦しは、イエスさまの「十字架の贖罪」を、聖霊なる神さまの促しによって理解に至ったのです。あのエジプトのヘブル人の家の鴨居と門柱に印された、子羊の血の意味を信じられたのです。意思の人であっただけではなく、聖霊の満たしによって知り得たのです。赦しを確信し、不動の信仰の持ち主で、その信仰を貫徹した人でした。

 はっきり言うパウロを嫌うのは、自分の内に恥ずべき点、隠され罪を認めたくないからなのです。そう言う傾向が、福音を信じ続け、それを継承してきた世代の、この世代に表れているに違いありません。幼い日から聞き続けて来た聖書の真理を、受け入れたくなく思う、次世代、子の世代が、反旗を掲げて、パウロの言うことを否定していくのです。

 今日日、理解が足りないと言う様な、手心を加える様な、物分かりの良い様な、同情を示す様なことには、聖書、神さまの指針のことばを委ねられたパウロは、全く猶予しないのです。大上段から、いえ神の側に立って、はっきり言い切るのです。

 十字架抜き、贖罪抜きに、さらに罪の指摘なしに、教会が説教を語る傾向があるそうです。『罪、罪、などと言うから教会に人が来ないのです!』、『罪は、集会に来続ける間に、いつか分かればいいことなのだから、目くじら立てて、罪を語るのはやめたほうがいい!』と、ヒューマニズムに従い、聞き心地のよい、繁栄や成功の話にすり替えて語るのです。

 それは、〈仲良しクラブ〉であって、もう、罪を語らないのは、キリストの教会ではありません。パウロの主張は、厳し過ぎ、偏向していると、批判する、今日の流行りの説教に、顕著に表されているようです。男と女は、それぞれが役割が与えられて、創造され存在しているのです。それが「自然な用」なのです。それを守らないのは、「誤り」なのであり、いえ「罪」なのです。

 十字架を教会が高く掲げて、目に見える形でも見えない形でも、その所在を示し続けて来たのですが、内側で語られなくなっているのではないでしょうか、礼拝賛美にも、十字架や贖いが避けられて、歌わなくなって、罪を罪としない、そう言った傾向が見られるのです。

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 「十字架と飛び出しナイフ」を著した、ニューヨークの“Times Square Center” のウイルカーソン牧師が、やがて終わりの時代には、教会が二分されると言っていました。この方も、はっきりもの言う牧師さんでした。多くの教会が、エキメニカル派の教会、宗教合一運動の動きに帯同していっているようです。一方、聖霊の導きに従う教会と牧師さんたちは、もう政治活動や道徳運動や社会改善運動から身を引き、ただ十字架の福音を語るだけになり、政治的な発言などをしなくなる、そう言われたと思います。今の時代、これからの時代を言い当てていた様に感じてなりません。

 さあ、混迷の時代、価値観の転倒の時代に、信仰者はどうあるべきなのでしょうか。

(”Christian clip arts“による獄中で賛美するパウロ、“ウイキペディア”のNYのタイムズスクエアです)