“おお!キャロル”を思い出して

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 “ Memories of departed days ”は、「懐かし去りにし日々」と言ってよいのでしょうか。耳なのか心の奥なのか、日本中を折檻したかのような、アメリカンな音楽のこだまが聞こえてきて、歌い出しの部分が、鳴り響く時があります。あの頃の賑やかさは、昭和文化そのものなのでしょう。

 1950年台の終わりころからでしょう、コニー・フランシスが、「Pretty little girl(可愛いベイビー)」、「Vacation(ヴァケーション)」、ニール・セダカが、「oh !Carol(おお!キャロル)」、「Calendar girl(カレンダー・ガール)」、「Happy birth day sixteen(すてきな16才)」、「One way ticket(恋の片道切符)」、またポール・アンカが「oh!Diana」、「You are my Destiny(君は我が運命)」などを歌って、ラジオやテレビから、しっきりなしで聞きえてきたのです。

 ちょうど中学から高校時代でしたから、いっぺんに日本の若者を虜にしたのです。アメリカで大流行したポップ・ミュージックの波が、日本に上陸して、多くの若い歌手が翻訳版の和製のポップスを歌い、一時代を作り出しました。やがて名作曲家になる平尾昌晃が、女の子の名で、「ミヨちゃん」を歌ったのも、その流れだったのではないかなあと思っています。運動部の先輩が、当時、この替え歌を歌っていたのです。

 映画ばかりではなく、音楽の世界の流行の波は、日本ばかりではなく、アジアもヨーロッパもアフリカも、大かぶりした時代でした。家内は、そう言った流行に疎かったのだそうですが、お兄さんやお姉さんたちが夢中になっていたそうで、自分が歌っていたの聞いたら、聞き覚えがあると言っていました。

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 今年2月、そのニール・セダカが亡くなっていたのを、最近、知りました。金星のように、あの時輝いていたスターが、人生の一幕を下ろしたのです。音楽業界が、生き残るために、流行を作るのでしょう。日本中で電子ギターが鳴り響いた時期もありました。「Rockabilly(ロカビリー)」で、野球小僧のすぐ上の兄も、新宿のABCだかACBと言った喫茶店に出入りしていた時期があったようです。

 日劇(日本劇場)が、有楽町にあって、日本中から若者を集めて賑やかだったのを覚えています。スターもステージも劇場も消えてしまうのは、じつに寂しいものです。自分の子どもたちの時代は、グループ・サウンズで、少年たちが5、6人と、舞台の上で踊り走りまくっていた時代がありました。その後発で、女子組が何十と言うほど作られていました。

 ところが問題を起こしたり、解散したりで、その流行も終わっていったのです。何だか大人たちのお金儲けに利用されていたのではないでしょうか。いつの世も同じなのでしょう、マグマのような動きが世界中を占席巻し、沈静化していく、そのことの繰り返しなのです。

 スターたちが亡くなっていくニュースは、青春が霧のように消えていくように感じてしまうのですが、どの時代にもスターや、英雄が必要なのでしょう。自分が果たし得なかった夢を、目に見せ、耳に聞かせてくれて、その代替の活躍を、心で満足するのでしょう。きっと、夢中になって白球を追い、投げ、打った野球小僧たちが、今日日、Los Angeles Dodgersで、大谷翔平が夢を叶えてくれてると思うに違いありません。

(“ウイキペディア”のセダカ、セダカの出身のブルックリンの区の花のレンギョウです)

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柿を断わる石田三成

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 戦国の武将に、豊臣秀吉に仕えた石田三成がいました。その出自は、近江国(現在の滋賀県)の土豪の家に生まれた人でした。幼少期には、お寺の小姓として仕えていたそうです。ある時、そこに鷹狩りにやって来た豊臣秀吉との出会います。出会いは、人生を決めると言われますが、戦国の知将と呼ばれるのですが、秀吉に出会ったことが、三成の運命を大きく変えていきます。

 語り継がれる逸話に、「三献の茶」があります。喉の渇いた秀吉に対し、三成は、最初は大きな茶碗に「ぬるめのお茶」を差し出したのです。次に、「中程度の熱さのお茶」を、茶碗にれて秀吉のもとに持っていきます。

最後は、小さな茶碗に「熱いお茶」を少しだけ出したのです。主君の様子を見て、たかがお茶に、それほどの心配りをして淹れ、差し出した、心細やかな気配りのできる家来だったようです。そう言った三成に、感服した秀吉は、彼を重臣として召し抱えたのです。

 秀吉が天下統一を果たしていく上で、三成の最大の功績は戦場での武功以上に、平時に、驚くほどの心遣いができたことが、やがて、「五奉行』のの筆頭として、秀吉に仕えさせていきます。中心的存在として、秀吉の数十万人もの軍勢の食料を準備し、賄いに励んだのです。おだのぶながにw「猿」と呼ばれて、身そば近く仕えた、若い頃の藤吉郎時代に、主君のはく草履を、懐で温めで、足下に置いた秀吉の心を動かすに十分だったのです。小事に忠実な者には、大事が任されるのでしょう。

 私には2才違いの弟がいます。今でも、『準ちゃん、一呼吸、深呼吸をしてから、ね!』と、この歳になっても言ってくるのです。彼は、父のお客さんが家に来ると、玄関の三和土(たたき)にしゃがんで、父に言われてではなく、自ら客人の靴を磨くのです。その様子を何度か見たことがありました。一度や二度ではありません。そんなことの出来る弟に、意地の悪い兄だったことを思い返して、反省の今です。

 若き日の三成は、そんな人物だったのです。「山崎の戦い」と言う戦いが、あった時のことです。今の東海道線に「山崎駅」がありますが、そこが、戦国期の戦場でしたが、私を育ててくださった宣教師さんは、その駅の近くの教会で奉仕をされていた時期がありました。日本の古都の京都で、教会を形成したいと言って出掛けたのです。その教会に呼ばれて一度、出掛けたことがありました。まだ若かった三成は、織田信長を本能寺で撃った明智光秀を打ち返す豊臣の軍勢の指揮をとったと言われています。

 キリスト伝道は、霊的な戦いだと言われて、その宣教師さんは、京都を目指したのです。何だか私たちの国の戦国武将のように感じたのです。神に反逆する一大勢力は京都にあると、考えられて、まだ三十代で若く熱心だったこの方は、勇躍出掛けたのです。そうする宣教師さんに驚いたのを思い出します。

 そんなことを思い出しながら、日本の歴史に登場する人に、ちょっと関心があって、この石田三成を思い出したのです。まだ柿の出回る季節ではありませんが、その柿が好きだった父が何度か話してくれた、三成の逸話を思い出したのです。柿にまつわるエピソードです。

 まだ四十ほどだった三成は、秀吉の忠臣として、秀吉の亡き後も、徳川家康が天下取りをしていく時にも、豊臣勢に忠誠をし続けていきます。天下分け目の関ヶ原の合戦で、ついに捕えられてしまうです。関ヶ原の戦いのあと、逃げて再起を図るも捕まってしまった三成は敗軍の将として、京の六条河原で処刑されることになりました。

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 その処刑の前に、喉の渇きをおぼえた三成は、警護人に白湯を求めました。しかし白湯はもらえず、渡されたのは干し柿でした。すると三成は、『柿は痰の毒と言われていて、体に良くないのでいらない!』と断ってしまいます。これから死ぬというのに今更、体の毒になるからと、干し柿を断ったのに、徳川方の兵たちは笑ったそうです。

 それに対して三成は、『大志を志す者は、最期の時まで命を惜しむべきだ!』と言ったのです。死の間際でさえ三成の生き方は揺れ動くことはなかったのです。当時、柿は渋柿で、生では食べられなく、柿の皮を剥いて干した柿が食べられていたのだそうです。それに三成の大の好物だったのだそうです。それに心を動かすことなく、自分の体を労わろうとした心こそ、三成の人となり、生き方だったのです。

 命が果てようとし、今生の最後に、大好物を食べてもいいのに、そうしないと言うのは、私には信じられません。そうできた三成には、驚かされてしまうのです。そんな人だったからでしょうか、三成には多くの逸話が残されているようです。

 戦国の世を生きると言うのは、武家の家に生まれた者には、厳しい生を求められたわけです。戦争末期に生まれ、食糧をはじめ、あらゆる物の欠乏する戦後を、育ててくれた両親を思うと、感謝が尽きません。今も、国を思い、命をかけて、国を、国土を、父や母や子や兄弟姉妹を守ろうと、戦っている兵士がおいでです。

 人類は戦禍を越えて、今を生きるのですが、戦国の世とは、どれほど厳しい時代であったかを思わされてしまいます。石田三成だけではなく、人として立派に生きた人が多くあったことでしょう。柿の好きなことでは、父は三成と同じで、その血を引くのでしょうか、生柿の次郎柿とか御所柿に目のない私も、もっと自分の身体を大切にして、余生を送らねばと決心させられた、七月最初の日の朝です。

(“ウイキペディア”の石田三成にht旗印、ころ柿です)

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茜色の夕日を眺めて

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 フランス語で書かれた本に、“Le Petit Prince”があります。その翻訳は、「星の王子さま」です。有名な作品で、日本でも多くの読者を持っています。フランス人の飛行士・小説家である、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが書いて、1943年に出版された小説なのです。

 この小説の内容は、サハラ砂漠に不時着した飛行機の操縦士(ぼくのことです)に、自分が生まれた星のことや、色々な星を旅したときの話を、キツネにします。二人は8日間一緒に過ごして、絆を深めていくのです。

この本の中で、「一番大切なものは目に見えない(L’essentiel est invisible pour les yeux.)」で、多くの方が、この箇所を引用されていて、感想を書き残しています。王子さまが、星に帰る時に、主人公の「ぼく」に伝えた言葉です。多くの大人が、《子どもの心》を失ってしまっていることに、警告を与える意味で、語っているようです。

 その「星の王子さま」と「僕(狐)」やりとりは、次の様です。

「さようなら」王子さまは言った・・・
「さようなら」キツネが言った。
「じゃあ秘密を教えるよ。
とてもかんたんなことだ。
ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。
「いちばんたいせつなことは、目に見えない」
忘れないでいるために、王子さまは繰り返した。
「きみのバラをかけがいのないものにしたのは、きみが、バラにために費やしたじかんだったんだ。
「ぼくが、バラのために費やした時間・・・」
忘れないでいるために、王子さまはくり返した。
「人間たちは、こういう真理を忘れてしまった」キツネは言った。
「でも、きみは忘れちゃいけない。
きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには、永遠に責任を持つんだ。
きみは、きみのバラに、責任がある・・・」
「ぼくは、ぼくのバラに、責任がある・・・」
忘れないでいるために、王子さまはくり返した。

《子どもの心》を持ち続けることや、《真理を忘れないこと》などは、この時代に生きる私たちにとって、とても大切なことなのでしょう。このサン=テグジュペリによって書かれた物語が、多くの人に読まれ続けている魅力があります。人生の教訓だからです。その〈あらすじ〉です。

 『この本の語りはじめは、画家になることをあきらめて、飛行機のパイロットになった「ぼく」の語りから始まります。ある日、操縦していた飛行機が故障して、アフリカの北部にあるサハラ砂漠に不時着してします。翌朝眠りから起きると、見知らぬ少年から突然「ヒツジの絵を描いて」と起こされるのです。その少年は遠い星から地球にやってきたというのです。それが「星の王子さま」でした。

 王子さまが暮らしていた星にある日、王子さまを困らせるバラが一輪咲きました。王子さまはとても大切に育てたのですが、そのバラは見栄っ張りでプライドが高いため面倒をみることができなくなりました。そして王子さまは、自分の星を離れ、他の星に旅立つことを決心しました。

 王子さまが訪れた星には臣民に命令する王様、うぬぼれ男、酒飲みのよっぱらい、数字ばかり数えているビジネスマン、街灯に明りをつける点灯夫、実際に探検することなく記録を取るだけの地理学者がいました。いずれも奇妙で愚かな行動をする大人たちでした。そこで、あきれてしまった王子さまは、7番目の星、地球に向かうことにします。

 地球にやってきた王子さまは、バラの花が何千本も咲いていることを知ってショックを覚えました。なぜなら王子さまは自分の星のバラは唯一無二のものだと思っていたからです。

 そうしたときにキツネが現れました。キツネは友だちになりたいのなら自分を飼い慣らしてくれといいました。そして友だちとなったキツネは、相手のために費やした時間の大切さを教えてくれました。それを聞いた王子さまは、自分の星にいたバラの花は自分にとって一番大切なものだったということに気づきます。

 キツネとのお別れの日がやってきました。キツネは王子さまに秘密を教えてあげるといいました。それが「一番大切なものは、目に見えないんだよ」という言葉でした。

 夜通し歩き続けたパイロットと王子さまは、砂漠の中で井戸を見つけます。そして王子さまは地球に来て一年が経つことを告げます。星へ帰るため、王子さまはヘビに自らを噛ませます。パイロットは王子さまの体を探しましたが見つかりませんでした。その後パイロットは飛行機を修理し無事飛び立ちます。夜空を見るたび、王子の笑顔や悲しみを感じ取ることで、彼との絆を実感するのでした。(京都女子大学附属小学校)』

 この物語がは、80年もの間、世界中で子どもから大人まで幅広く読み継がれているのです。この話の内容が、大人になるということ、愛するということ、友情や仕事をすることなど、人生の意味について、学問的に、哲学的なむずかしい書き方ではないからです。

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 今回、ハワイ旅行に、長女に招待されて、闘病中の家内が、意を決して出かけるというので、次男の随行で、3人で出かけたのです。長女夫妻が飼っている犬の散歩が、日課のように行われていて、何ヶ所かの公園に出かけたのです。あまり賑やかでない公園の海に面して置かれたベンチに座って、黄昏時に、沈みゆく美しく茜色の夕陽を、何度も眺めていました。

 それで、60年も前に読んだのを思い出したのです。18、19才ほどの感受性の鋭い時でした。こんな生き方、こんな経験いいなと思っていたので、共感があったのです。哲学的に人生を考えようとしていたのでもない、ノンポリの学生だったのですが、二十歳(はたち)の節目を前に、母から聖書をもらい、母の感化でしょうか、信仰に目を向け始めた頃でした。

 『ぼくの秘密を教えてあげるよ。とっても簡単なことなんだ。ものごとは、心で見なくてははっきり見えないんだ。一番大切なものは、目にみえないんだよ。』、確かに、狐が言うように、人生には大切なことがあるし、目に見えない世界があるのだと思ったのです。少しずつ人生が見え始めて、子どもから大人になって行こうとしていた頃でした。

 みんな迷わさたり、惑わされていた青年期に、「大切なもの」があること、それが見え始めていたのかもし知れません。人生の私の再転換点は、25の時でした。アラブ人とギリシャ人の血を引くアメリカ人の説教者との出会いで、大きな転換を経験したのです。その延長を、今も生きているのだと思います。まさかの年齢になって、四人の子どもたちに心配される今、来し方に思いを向けている朝です。

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にも関わらず笑う

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『しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。 というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。 すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。 しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。 それから終わりが来ます。そのとき、キリストはあらゆる支配と、あらゆる権威、権力を滅ぼし、国を父なる神にお渡しになります。 キリストの支配は、すべての敵をその足の下に置くまで、と定められているからです。 最後の敵である死も滅ぼされます。(1コリント15章20~26節)』

 アルフォンス・デーケンと言われる信仰者がおいででした。もう召されておいでです。この方は、長く上智大学で「死の哲学」の講座を担当された方でした。私は、大変な興味を持って、この教授の公開講座を受講したのです。週に一度、特急電車に乗って、四ツ谷駅まで通ったのです。実に有意義な学びの時でした。重いテーマなのに、ユーモアにあふれたお話をされておいででした。

 『どう生きるか?』を、ずっと学んできた自分にとって、いつか迎える自分の死について、このデーケンさんは、「悲嘆の作業(グリーフワーク)」の重要性について教えてくださったのです。愛する人との死別というのは、どなたにも経験がありますし、将来においてもあり得ることですし、また自分の《死》も迎えねばならないわけです。それは避けることのできない《万人の体験》なのです。

 そこで、愛する人との決別を、十二分に悲しみ嘆くことが必要だと、デーケン師は言うのです。それを確りと果たした後は、正常な生活に戻り、悲嘆体験を超えて、自分の定められた《生》を責任をもって生きて行く、そう言った心の作業が必要なのだそう です。

 みんなに「デーケンさん」と親しみをこめて呼ばれておいででした。その講座で教えていただいた「悲嘆のプロセス」には、12段階があって、次の様です。以前にもアップしたものを再掲載してみます。

1段階 精神的打撃と麻痺状態 

 愛する人の死という衝撃によって、一時的に現実感覚が麻痺状態になる。頭が真空になったようで、思考力がグッと落ち込む。心身のショックを少しでも和らげようとする本能的な働き、 つまり、防衛規制。

2段階 否認 

 感情、理性ともに相手の死という事実を否定する。 「あの人が死ぬ訳がない、きっと何かの間違いだ」という心理状態。 

3段階 パニック 

 身近な死に直面した恐怖による極度のパニックを起こす。 悲嘆のプロセスの初期に顕著な現象 。なるべく早く抜け出すことが望ましく、またこれを未然に防ぐことは、悲嘆教育の大切な目標のひとつと言える。

4段階 怒りと不当感 

 不当な苦しみを負わされたという感情から、強い怒りを感じる。  「私だけがなぜ?」「神さまはなぜ、ひどい運命を科すの?」
※ショックがやや収まってくると「なぜ私だけが、こんな目に…」という、不当な仕打ちを受けたという感情が沸き上がる。 亡くなられた方が、長期間闘病を続けた場合など、ある程度心の準備ができる場合もあるが、急病や災害、事故、自死などのような突然死の後では、強い怒りが爆発的に吹き出す。 故人に対しても、また自分にひどい仕打ちを与えた運命や神、あるいは加害者、そして自分自身に対する強い怒りを感じることもある。

5段階 敵意とルサンチマン(憤り、怨恨、憎悪、非難、妬み) 

 周囲の人々や個人に対して、敵意という形で、やり場のない感情をぶつける。 遺された人のどうしようもない感情の対象として、犠牲者を必要としている場合が多く、また病死の場合は敵意の矛先を最後まで故人の側にいた医療関係者に向けられるケースが圧倒的。 日常的に患者の死を扱う病院側と、かけがえのない肉親の死に動転している遺族側との間に、感情の行き違いが起こる場合が多い。 

6段階 罪意識 

 悲嘆の行為を代表する反応で、過去の行いを悔やみ自分を責める。 「こんなことになるなら、生きているうちにもっとあれこれしてあげればよかった」という心境。 過去の行いを悔やんで自分を責めることになる。

7段階 空想形成・幻想   

 幻想ー空想の中で、故人がまだ生きているかのように思い込み、実生活でもそのように振る舞う。
例1:亡くなった子供の部屋をどうしても片付けられず何年もそのままにしている
例2:いつ子供が帰ってきてもいいよう、毎晩ベッドの上にパジャマまで揃えおく 

8段階 孤独感と抑うつ  

 健全な悲嘆のプロセスの一部分、早く乗り越えようとする努力と周囲の援助が重要。葬儀などが一段落し、周囲が落ち着いてくると、紛らわしようのない寂しさが襲ってくる。 

9段階 精神的混乱とアパシー(無関心)  

 日々の生活目標を見失った空虚さから、どうしていいかわからなくなり、あらゆることに関心を失う。 

10段階 あきらめ(明らかにする)・受容  

 自分の置かれた状況を「あきらか」に見つめて受け入れ、つらい現実に勇気をもって直面しようとする努力が始まる。
※「あきらめる」という言葉には「明らかにする」というニュアンスが含まれている。

11段階 新しい希望・ユーモアと笑いの再発見  

 ユーモアと笑いは健康的な生活に欠かせない要素で、その復活は悲嘆プロセスをうまく乗り切りつつあるしるし 。
※悲嘆のプロセスを彷徨っている間は、この苦しみが永遠に続くような思いに落ち込むものだが、いつかは必ず、希望の光が射し込んでくる。 こわばっていた顔にも少しずつ微笑みが戻り、ユーモアのセンスも蘇ってる。

 12段階 立ち直りの段階・新しいアイデンティティの誕生  

 愛する人を失う以前の自分に戻るのではなく、苦悩に満ちた悲嘆のプロセスを経て、新しいアイデンティティを獲得し、より成熟した人格者として生まれ変わることができる。 

 デーケンさんも、子どもの頃に、ごく親しい人との死別をされていて、悲嘆の体験があって、そう言った学びをされたのだそうです。悲しみの中で、もし《ユーモア》、《微笑み》があるなら、それを上手に超えて、正常な生活の戻れると、師は勧めています。デーケン流の《ユーモア》の定義は、「にも関わらず笑う」なのです。

 ここに、「最後の敵である死」を滅びされた方がおいでです。「死から甦られたキリスト」であるイエスさまが、十字架の死と、復活とによって、死を滅ぼされたのです。ここに、人の望みがあります。イエスさまは、

『イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネ11章25節)』

とおっしゃられておいでです。たとえ死の現実を認めて、死に怯え、恐れていてもです。ここに、死に勝利されたお方がいて、その方、イエスさまを信じた者には、「たとえ死んでも」、「永遠のいのち」をいただくことができるのです。これこそが「キリスト信仰」であります。

 これまで、何度、次のように賛美したことでしょうか、

♯ なが瞳のように守り

死ぬことのないように

御翼の影に

われをかくまいたまえ ♭

たとえ死んでも、「永遠のいのち」を頂くことができると、盤石の信仰をいただいたのですから、死を恐れずに、一日一日の「今日」を、望みをもって生きてまいりましょう。

(空と花と海にいのちがあふれています)

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何が起ころうとしているのだろう

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” Le Prophète Ézéchiel”, pierre noire et sanguine (H. 46 cm ; l. 38 cm) de Pierre Paul Rubens réalisée vers 1601-1602, appartenant au musée du Louvre département des Arts graphiques (INV 20231). Photographie réalisée lors de l’exposition temporaire l’Europe de Rubens au musée du Louvre-Lens.

 

 昨日、市指定のゴミ袋を買いに行きました。いつもある棚には見当たりませんでした。それで印刷のない無地のビニール袋を買ってきたのです。イラン戦争の影響で、原料が輸入できない事態での窮余の一策のビニール袋です。

 今年の2月28日に、アメリカとイスラエルによる攻撃で、イランとの戦争が開始されました。そのニュースを聞いて驚いた私は、聖書の「エゼキエル書」が記す、「ゴグとマゴグ」の記事を、強烈に思い出させられました。この「ゴグとマゴグ」についての預言が、エゼキエルによって語られ、そして記されていて、今、注目されているのです。

 エゼキエルは、主なる神さまの預言者で、主のことばを語るだけではなく、生活を通して預言者として生きた人でした。ケバル川のほとりで、その務めの召命を受けています。「エゼキエル書」の前半の24章までは、偶像崇拝や異教徒との姦淫などの不信仰や不貞の行いを警告し、裁きが下される旨を告げています。32章までは、エジプトなどの周辺諸国への預言が語られます。40章からは、神殿の再建や礼拝の規定、将来の国家への規則などが語られます。

 面白いのは、「エゼキエルパン」の規定です。今回のハワイ訪問で、長女がこのパンを買ってきてくれたのです。エゼキエルに食べるようにと、主が言われ預言者として食べたパンでした。

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『あなたは小麦、大麦、そら豆、レンズ豆、あわ、裸麦を取り、それらを一つの器に入れ、それでパンを作り、あなたがわきを下にして横たわっている日数、すなわち、三百九十日間それを食べよ。(エゼキエル4章9節)』

 神のことばを伝えると言うことは、そんなに厳粛で、過酷なことであるのです。人として容易なことではありません。神さまは、エゼキエルの、その務めを任じるために、預言者として召されたのです。間も無く、エルサレムは、バビロンによって包囲されてしまいます。その預言のために、地図を描くように、エゼキエルに言います。

 まず左脇を下にして、390日の間横たわるように言われました。それはイスラエルとユダの罪のために、その刑罰として、捕囚に引かれる刑罰を受ける年数を示してい ます。それで、右脇を下にして40日横たわるように言われます。1日を1年として計算した年数が捕囚の年数です。これはエルサレムの滅亡の預言を示しています。全期間が終わるまで、寝返りも打てないように命じるのです。

 その初めの390日間は、小麦、大麦、そら豆、レンズ豆、あわ、裸麦でパンと作るように。しかも1日1食、230gほどでした。そう食べるように言われたパンは、みんなの見ている前で、「人糞」で焼くように言われ ます。そうできないエゼキエルが、主に訴えると、「牛糞」で焼くことが許されます。それは、やがて、捕囚として引かれている国、バビロンで汚れたパンを食べることの預言でした。娘が『毎日、1リットル半飲んで!』と言うのですが、エゼキエルは、水を1日に、1リットルだけ飲むようにとも言われるのです。

 自称の預言者はたくさんいるそうです。主に任命された預言者も、この21世紀にも、牧師がいるように、預言者もいるはずです。預言者と言う職務を与えられたエゼキエルに、どのような務めに任じられてるかを知ったら、誰も自分が預言者などと自称したり、他称させて、大きな会場の講壇を、右左に走って、腕を大きく振るって、声高に預言したりはしないでしょう。真の預言者は生活で預言しなければならないのかも知れないのです。

 主は、エゼキエルの結婚生活についても預言しています。

『「人の子よ。見よ。わたしは一打ちで、あなたの愛する者を取り去る。嘆くな。泣くな。涙を流すな。 声をたてずに悲しめ。死んだ者のために喪に服するな。頭に布を巻きつけ、足にサンダルをはけ。口ひげをおおってはならない。人々からのパンを食べてはならない。」 その朝、私は民に語ったが、夕方、私の妻が死んだ。翌朝、私は命じられたとおりにした。 すると、民は私に尋ねた。「あなたがしていることは、私たちにとってどんな意味があるのか、説明してくれませんか。」 そこで、私は彼らに答えた。「次のような主のことばが私にあった。 『神である主がこう仰せられるとイスラエルの家に言え。見よ。わたしは、あなたがたの力の誇りであり、あなたがたが愛し、心に慕っているわたしの聖所を、汚す。あなたがたが見捨てた息子や娘たちは剣で倒される。 あなたがたは私がするとおりすることになる。あなたがたは自分の口ひげをおおわず、人々からのパンを食べなくなる。 頭に布を巻きつけ、足にサンダルをはき、嘆いたり泣いたりしないようになる。ただ、自分たちの咎のために朽ち果て、互いに嘆き合うようになる。 エゼキエルはあなたがたのためのしるしとなり、彼がしたとおりを、あなたがたもするようになる。このとき、あなたがたは、わたしが神、主であることを知ろう。(エゼキエル24章16~24節)』

 このように苛酷な任務が、預言者にはあります。もう一つ、驚くべき預言があります。「ゴグとマゴグ」の預言です。

『それゆえ、人の子よ、預言してゴグに言え。神である主はこう仰せられる。わたしの民イスラエルが安心して住んでいるとき、実に、その日、あなたは奮い立つのだ。 あなたは、北の果てのあなたの国から、多くの国々の民を率いて来る。彼らはみな馬に乗る者で、大集団、大軍勢だ。 あなたは、わたしの民イスラエルを攻めに上り、終わりの日に、あなたは地をおおう雲のようになる。ゴグよ。わたしはあなたに、わたしの地を攻めさせる。それは、わたしがあなたを使って諸国の民の目の前にわたしの聖なることを示し、彼らがわたしを知るためだ。 神である主はこう仰せられる。あなたは、わたしが昔、わたしのしもべ、イスラエルの預言者たちを通して語った当の者ではないか。この預言者たちは、わたしがあなたに彼らを攻めさせると、長年にわたり預言していたのだ。 ゴグがイスラエルの地を攻めるその日、--神である主の御告げ--わたしは怒りを燃え上がらせる。 わたしは、ねたみと激しい怒りの火を吹きつけて言う。その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる。 海の魚も、空の鳥も、野の獣も、地面をはうすべてのものも、地上のすべての人間も、わたしの前で震え上がり、山々はくつがえり、がけは落ち、すべての城壁は地に倒れる。 わたしは剣を呼び寄せて、わたしのすべての山々でゴグを攻めさせる。--神である主の御告げ--彼らは剣で同士打ちをするようになる。 わたしは疫病と流血で彼に罰を下し、彼と、彼の部隊と、彼の率いる多くの国々の民の上に、豪雨や雹や火や硫黄を降り注がせる。 わたしがわたしの大いなることを示し、わたしの聖なることを示して、多くの国々の見ている前で、わたしを知らせるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」(エゼキエル38章14~23節)👉「ヨハネの黙示録20章」』

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 イスラエルが、北からの大軍隊によって攻撃されたり、大きな地震が起ったり、疫病が蔓延したり、豪雨が起こったり、火や硫黄が降ったりすると言う預言です。どうも人類史上、最悪の事態の到来があると言うのです。

 2023年10月7日に、ハマスがイスラエルを攻撃した「イスラエル戦争」が始まった時、この預言の「ゴグとマゴグの戦い」の前哨戦が始まったと思いました。どう言う風になっていくのでしょうか。神の預言は、必ず起こります。そんな動きの中で、この事態の主役は、「わたし」と言われる主なる神さまなのです。

 だから、今後、何が起こっても、恐れないでいましょう。『恐るな。』とおっしゃる主に目を向け、この時代を見守っていきましょう。私に聖書を解き明かしてくださった宣教師さんの最後のレクチャーは、「エゼキエル書」の解き明かしでした。エゼキエル書には、『主のことばを聞け!』と10回あります。

(“ウイキペディア”による預言者エゼキエル、エゼキエルパン、イスラエル国花アネモネです)

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イカロス症候群か

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 作詞が片岡輝、作曲が越部信義で、 「勇気一つを友にして」 という歌があって,1979年版の「小学生の音楽6」(教育芸術社の発行)の音楽の教科書に掲載されていました。合唱の課題曲でもあったようです。

昔ギリシャのイカロスは
ロウでかためた鳥の羽根(はね)
両手に持って飛びたった
雲より高くまだ遠く
勇気一つを友にして

丘はぐんぐん遠ざかり
下に広がる青い海
両手の羽根をはばたかせ
太陽めざし飛んで行く
勇気一つを友にして、

赤く燃(も)えたつ太陽に
ロウでかためた鳥の羽根
みるみるとけて舞い散った
翼(つばさ)奪(うば)われイカロスは
墜(お)ちて生命(いのち)を失った

だけどぼくらはイカロスの
鉄の勇気をうけついで
明日(あした)へ向かい飛びたった
ぼくらは強く生きて行く
勇気一つを友にして

 この歌は、「ぼくら」が、「鉄の勇気」を持って、「明日」に向かって強く、「勇気を友として」生きて行くための応援歌なのでしょうか。ところが、イカロスは死んでしまうのです。七十年代の終わりに、学校で歌った小学6年生たちは、この課題曲に、何を感じたのでしょうか。本当に勇気なのでしょうか、または暴挙だったのでしょうか。

  これはギリシャ神話です。イカロスの父のダイダロスは、細工の名人で、ミノス王のためにラビュリンス(迷宮)を造っています。後になって、王によって、息子のイカロスと共に、塔の中に閉じ込められてしまうのです。その塔を抜け出すために次のような提案を考え出します。

 鳥の羽を集めて、大きな翼を作るのです。大きい羽は糸でとめ、小さい羽は蝋(ろう)で止めて、翼が完成します。二人は翼を背中につけて飛ぼうとするのです。お父さんは、息子のイカロスに言います。『イカロスよ、空の中くらいの高さを飛ぶのだよ。あまり低く飛ぶと霧が翼の邪魔をするし、あまり高く飛ぶと、太陽の熱で溶けてしまうから!』と。

 そしてこの親子は、塔から飛び出したのです。畑仕事をしている人々や羊飼いたちは、この二人の姿を見て、神々が空を飛んでいるのだと思います。ところが、天空を飛んだイカロスは調子に乗ってしまったのです。父の忠告を忘れ、高く、高く飛んでしまいます。太陽に近づくと、羽をとめた蝋(ろう)が溶けてしまったのです。イカロスは羽を失い、青海原に落ちてしまうのです。そのことがって、その海は「イカロス」と名づけられるのです。

 確かに、塔から脱出は成功したのです。でもそれを過信し過ぎて、有頂天になって,自分の能力の限界を超えて、ついには墜落死を遂げてしまいます。羽を作る時に、二つの注意が与えられていたのです。ロウの性質は,溶けやすいことでした。一つは、湿気を避けるために、海面に近づかないこと、もう一つは、太陽に近づかないことを父親に注意を受けていたのです。そのような警告が与えられていたのですが、飛べることに夢中になって、その警告に耳を傾けなかった結果の失敗でした。

『ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ9章6節)』

 「イカロス症候群(イカロスの翼症候群)」と言われます。心理学的、ビジネス的な比喩なのだそうです。ある人が、素晴らしいアイデアで、ビジネスを成功させます。その成功で得た名声や地位や財産は、素晴らしいものがありました。ところが自信過剰で、その成功に酔ってしまって、有頂天になってしまい、終わりには自分を失い、自壊してしまうことを言っています。

 人の人生は戦略の鋭さによって、成功するのでしょうか。それとも運によってでしょうか。正しい戦略とそれを実行する勇気があれば、何でもできるのでしょうか。小学校の頃に、片方の足が水に沈む前に、もう一方の足を上げれば、絶対に沈まないと言った級友がいました。消火用の水のタンクで、それを証明しようとして、漫画みたいなことをしました。彼は本当に,自信満々でやったのです。

 イカロスとはちょっと違いますが、彼は水に溺れてしまいました。助け上げられたのです。信じたことも、実験を実行したのはよかったのですが、身体全体のことを見落としていたのは滑稽でした。失敗した彼は、二度とやらなかったのです。

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『さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。 そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。 すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」 すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから。」 イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」 今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」 イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある。」 すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。(マタイ4章1~11節)』

 イエスさまを、サタンは荒野に連れ出して、誘惑を仕掛けました。石をパンに変えるように、神殿の頂きから飛び降りるように、自分にひれ伏して拝むならこの世の栄誉を上げよう、とサタンは三度、イエスさまに誘惑を仕掛けました。その誘惑を、イエスさまは「聖書のみことば」をもって退けられています。

 イカロスは自ら空を飛んだのですが、誘惑されたイエスさまは、飛び降りませんでした。聖書に記されている「ことば」を告白されて、その忠告を守られたのです。私たちも、様々な誘惑にさらされています。私たちの母は、どう生きるかを、神の御心を知ろうと、私たちに背を向けて、向こう側で聖書を読んでいたのです。そこに助言があり、14才で信じた救い主イエスさまこそが、真の「助言者」であると認めていたからです。

 『それでもね、準ちゃん、聖書にはこう書いてあるわよ。』と、理屈をこねている三男坊を納得させてくれていました。社会人になって、職場の上司の言葉で躓いた自分に、『人の語ることばにいちいち心を留めてはならない・・・(伝道者7章21節)』と、『書いてあるわよ。』と、母は言ってくれました。そして今があります。

(“ウイキペディア”のイカロス、“いらすとや”の高い山です)
です)

 

ゴールデンウイークのことなど

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 これまでゴールデンウイークに旅行などしたことがありませんでした。通常は、親しくしている教会が合同で行なってきた「五月聖会」に、家族で参加して過ごしていたからです。毎年ゲストスピーカーをお招きして、一緒に、主を礼拝し、聖書からお話をお聞ききしたのは、素晴らしく祝福された時でした。

 正月にも集いがあって、その会場に行く途上、よくあったのが、自動車の故障でした。ラジエーターの送水管の破れから水が出て、ラジエーターが効かなくなったのです。応急処置をし、水をもらって給水しては走って、坂道で大変だったのです。連休で休みの修理工場をしばらく行って見つけ、修理を打診すると、くつろいでいたご主人が、腕まくりして部品の交換をしてくださったことがありました。しかも安い修理代だったのに驚きました。

 また高速道を走行中に、シャフトの部品が壊れ、県警だかJAFの車で、料金所に運んでいただき、後で、弟に助けてもらって、彼の車で牽引してもらいました。八ヶ岳の麓から、わが家まで結構の距離があったのですが、ノロノロとした牽引には、後続のみなさんにずいぶん迷惑をかけたのです。快く弟が故障車を引いてしてくれたのは感謝でした。

 またブラジルから訪ねて来た家内の妹を、成田まで迎えに行っての帰り道、高速道で、前を走っていた砂利を運んでいたトラックからこぼれ落ちたか、タイヤに挟まっていたかの小石で、フロントガラスが一瞬にして真っ白になって、視界が効かない事故がありました。フロントガラスの穴から見て路側帯に避難し、ガラスを車内に全部落として、家内と義妹を、近くのJRの駅に連れて行き、電車で帰ってもらったのです。これもけっこう国道の長い距離を走って、家に帰り着いたでしょうか。

 また、次兄から譲り受けたトヨタカローラで、二人の子を乗せて、姫路、愛媛の土居、八幡浜からはヘリーで別府、熊本、門司からはフェリーで大阪、高速道での車の旅をしました。姫路の教会に寄り、土居の教会に師を表敬訪問し、熊本の友人牧師の教会の夏にキャンプに参加した旅でした。もうサビのきていた車での遠距離走行で、そこの教会の若い方たちに、『よく運転して来られましたね!』と呆れ返られたのですが、走行性能は抜群でした。

 一度くらい新車に乗ってもよかったのですが、免許証返納までの間、中古車で通し切りました。三菱、日産、TOYOTA、ダイハツなどに乗って、軽自動車やワゴン車もあった時期がありました。

 そう、事故や故障の話だけでなく、「五月聖会」のテーマのブログでした。正月も五月の連休も、おいでくださったゲストスピーカーのみなさんに、どんなに励まされたり、悔い改めさせられたり、力づけられたことでしょうか。彼らの労苦には報いがあります。なにか信仰上の大切な決心をして、帰路についた記憶が残っています。

 おいでのみなさんは、すでに『 肉体を離れて、主のみもとにい(2コリント5:8)』らっしゃり、やがて栄光のからだに復活し、永遠に、主と共に生き続けるのです。私たちの望みも、ここにあります。主を畏れて生きることを教えてくださったみなさんには、驚くべき感謝があるのです。

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 今回、四月末の黄金週間に、長女の招きで、次男の随行でハワイに出かけさせてもらいました。そのおり、子どもたちのお世話をしてくださった牧師さんの開拓された,ホノルルの教会を訪問したのです。もうすでに後進に牧会を譲って、アメリカ西海岸の他の街で伝道の働きを、ご子息と一緒に続けておいでです。長男がインターンから,ミニストリーまでさせていただいた教会であり、牧師さんなのです。この方も、「五月聖会」の講師でした。時は過ぎ、人は動くのですが、主の働きは、今も聖霊に励まされて継続されています。

 また日本人教会のマキキ聖城教会の日曜礼拝にも集わさせていただきました。ホノルルで、長く礼拝を守って来ている教会で、長く街のコミュニティーの中に溶け込んで、日本人の移民のみなさんの社会貢献で、高く評価されてきているそうです。高知藩の家老の子で,日本人伝道をされた奥村多喜衛牧師が、最初の牧師をされておいでだったそうです。それで,高知城を模した教会堂で,故国を感じさせられる風情がありました。

(オアフ島の空と海と椰子の木と花と、マキキ教会の天井です)

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友あり、遠方より来たる

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 「朋有り、遠方より来たる。亦た楽しからずや。(論語)」、この「友」は、学問を一緒に学ぼうとしている、学徒なのだそうです。孔子は、そう願う同学の人たちが、遠くから訪ねて来て、実に、意味深い学問の交わりを喜んだ人だったそうです。ですから気の置けない人たちとの楽しい交わりとい言うだけではなく、学び合うことの喜びを言っています。

 一昨日、長く共に礼拝を守ったご婦人が、お嬢さんとお二人で、わが家を訪ねてくれました。共に家を訪ね合ったり、「老家laojia」と言う、故郷にもお連れ下さったり、お仕事で、鮑(あわび)を育てている養殖場の見学に連れて行って下さったことがありました。ポンポン船に乗せていただいて、その漁場の筏の上から、養殖の鮑を海中から引き上げて、その成育ぶりを見せていただいたこともあったのです。

 ある時、漁に出られた親戚の方が、操業中に船が転覆して、亡くなられた事故がありました。その遺族のご夫人と息子さんの奥さんが憔悴しておいでなので、ぜひ訪ねて交わりをして欲しいと言われのです。それで車で出掛けて、お話をし、お祈りさせていただいたこともありました。息子さんには、二人の男のお子さんがおいででした。もう大きく成長されておいでだそうです。

 私たちの長女と同じ年齢で、娘のように交わりを持たせていただいてきている方で、家内が病気で入院した時には、医科大や省立の医院などに連れて行って下さって、助てくださったことが何度もありました。これまで二度、ここを訪ねてくださって、家の掃除をしてくださったり、食材をスーパーマーケットに行って買って、食事作りをしてくださったのです。お嬢さんは、家内が日本語を教えた生徒さんで、今は学校を卒業して、市内の会社で、会長秘書をしているそうで、休暇をとって、一緒に来てくれました。

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 今回も、鯛と空心菜とトマトなどで、中国風の料理をしてくださって、一緒にいただきました。この姉妹は、イギリスからの宣教師に宣教の実で、五代目のクリスチャン、お嬢さんは六代目なのです。故郷の漁村は、90%もの人たちがクリスチャンで、確かな信仰を受け継いでおいでです。今回は短期滞在で、お嬢さんの案内で来られ、一日だけ東京を見学され、明日は帰国されます。

 「信仰の友」との束の間に交わりでしたが、留守されているご主人と息子さん、お仕事に責任などがあって、帰って行かれました。善き隣人として、地域でも故郷でも、人々に仕える心を持っておいでです。また寂しくなってしまいます。喜びと楽しさを与えてくださった時に感謝して。

(“いらすとや”のアワビ、”ウイキペディア“の空心菜です)

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地震に突き上げられて

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『イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。(マタイ24章3~14節)』

 16日の夕刻、突然、突き上げるような響きが、建物にありました。茨城南部を震源地とする、震度5弱の地震でした。ここ栃木でも震度4で、すぐに東日本大震災が起きた、2011年3月1日14:46の時、長男の家の二階にいたのを思い出したのです。家内の胆嚢摘出手術で待機していた時でした。家を出て近くのスーパーの駐車場に出ました。まだ電柱の電線が左右に揺れていたのです。

 地震が起こると、『準、玄関を開けろ!」と、父に言われて、そうしたのです。関東大震災の経験者だった父は、退路を確保ししければならないとの教訓を学んでいたので、そう咄嗟に言ったのです。中国にいた時も、知人の七階の家で、招かれたテーブルについて食事をいただいている時に大きく揺れる地震を経験したのです。ここでも、茨城南部を震源とする地震に、たびたび揺すられ、突き上げられています。

 楽しく美味しい夕餉の食事を摂っている時、ホッとしていた時に、突如として平安を打ち破るような地震でした。何度揺すぶられてきたことでしょうか、「方々に・・・地震が起こ」るのだと、イエスさまはおっしゃいました。『平和だ、平和だ!』と言っている時に、戦争が起こり、飢饉も地震も起こるのです。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり」と、一連の出来事が起こると、警告されたのです。

 日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦が起こり、今もウクライナロシア戦争、イスラエル対イラン戦争があり、有史以来、因縁の民族紛争は現実として絶えません。そればかりではありません。人と人、家と家、集団と集団の紛争、抗争は枚挙に暇(いとま)がありません。不和や争いは避け難い現実でもあります。イスラエルの主は、「平和の神」でいらっしゃいます。

『ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ9章6節)』

 

 

ところが、「平和の君」でいらっしゃるイエスさまは、

『わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。(マタイ10章34節)』

 いやー、そんなことを、『地には平和、御心にかなう人にあれ(ルカ2:14)』と言われたイエスさまは、矛盾で、混乱させるために、そんなことを言ったのでしょうか。「剣をおさめさせた」のに、ペテロは剣を持っていましたし、それ自体がおかしいのに、それを鞘から抜いて、大祭司の僕の耳を切り落としてしまうのです(ヨハネ18:10)。それを見たイエスさまは、「剣をさやに収めなさい。」と言いました。

 それなのに、『「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。(ルカ22:36)』と仰られています。若い頃、剣ではなく、「拳」を、巻藁で鍛えたことがあります。喧嘩が強くなるためではなく、面白半分でしたが、それは、殺意に繋がりそうで、怖くなってやめました。まさに、これは、「剣をおさめること」であり、金属の剣ではなく、誘惑や攻撃を退ける心の防備のための武具を着けるように言っているのではないでしょうか。

 世の動きを見るに、「終末」の様相を呈している時代と言えるでしょうか。あらゆる「欺きや反逆」が起こっているではありませんか。『えっ、そんなことを説教するの?』、「偽預言者」、おかしな非正統な聖書解釈をする牧師や教師が、世界中で輩出しているそうです。一昨日の地震を経験したら、心を急に突き上げるような、そんな思いが強くされてしまったのです。主のおっしゃるような時の到来なのでしょう。心して、慌てず、「聖書」に記されている主のみ声に、耳を傾けていかなければならなさそうです。

 ところが、ある説教者が、やがて世界中の宗教が、エキュメニカル運動によって一つにされる、と言っていました。聖書を誤りなき神のことばと信じる人たちは、もう政治的な発言や社会改革の主張をしなくなる。そして聖書を固く信じ、聖霊なる神さまに導かれ、聖霊に満たされていく。世界の宗教は、そんな風に、二分されていくかも知れない、とです。

昨晩、こんな讃美歌が口を突いて出てきました。

1.
千歳の岩よわが身を囲め
さかれし脇の血しおと水に
罪も汚れも洗い清めよ
2.
か弱きわれは律法にたえず
燃ゆる心もたぎつ涙も
罪を贖う力はあらず
3.
十字架の外に頼むかげなき
わびしきわれを憐れみたまえ
み救いなくば生くる術なし
4.
世にある中も世を去る時も
知らぬ陰府にも審きの日にも
千歳の岩よわが身を囲め

 はるか昔の聖徒たちが口ずさんだ讃歌です。年経た盤石の信仰を生きたみなさんに倣って、この時代を生きていきたいな、と思う今宵です。主に栄光あれ!

(”いらすとや“の苔むす巌、日本刀です)

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あじさい祭り in Tochigi

 

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市の開催で、太平山のあじさい坂で、「あじさい祭」に、若き友人にお連れいただいて観てきました。多種多様に咲いていて、実に綺麗でした。市長さんもおいでで、挨拶をして言葉も交わせました。初夏の催しで盛況でした。最後の写真は、我が家にベランダに咲く、数年前の次男のプレゼントの鉢植えです。

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