.
.
「スポ少」、四人の子育て中に盛んだったのが、この「スポーツ少年団」でした。その理念は、「子どもはスポーツを楽しむだけでなく、学習活動、野外活動、レクリエーション活動、社会活動、文化活動などを通じて協調性や創造性を養い、社会のルールや思いやりのこころを学びます。」と言うことで、現在ではどうか知りませんが、あの頃の子ども文化だったのでしょう。
今では、有料クラブに参加して、高度のスポーツ技術を、大人顔負けで、厳しい練習や指導で、叩き込まれて、プロを目指している少年少女がいて、様変わりしています。生ぬるい楽しい練習では、しのぎを削る様な戦いに勝てないのです。例えば、高校野球の選手たちのほとんどが、中学校の部活ではなく、リトルシニアリーグのクラブに所属していたのです。サッカーも同じで、欧州リーグに名を連ねている選手も、プロリーグのチームの株組織とか、チームの教室の出身者がほとんどの様です。
大都市で、大学や成功的なスポーツや芸術、その他の分野での名指導者に教えを請わないと、バレー、ピアノ、バイオリン、絵画などなど、一流にはなれません。趣味ではダメで、猛訓練をしてくれる様 な先生やお師匠さんの教えや指導が必要なのです。かつては地方では、そんな指導者がいませんでしたが、今では地方にも逸材がおいでで、また強力な指導体制が、事業としてできていて、東京や大阪に行かなくとも、良いお師匠さんに出会えるのです。
.
.
高校生だった長女が、月に一度、ピアノを教えてくださる、牧師さんのお嬢さまのおられる東京に、電車で数時間をかけて出掛けていた時期がありました。お陰さまで、ピアノが上達したのです。本当はピアノ学科に進学したかったのですが、何も言わずに諦めて、東京の夜間の短期大学に入学し、昼間、お蕎麦屋さんのお運びをしたり、喫茶店チェーンの店でアルバイトをして卒業し、私の兄に資金を借りて、アメリカに留学してしまいました。シンガポールに長くいた時期には、教会の礼拝で、ピアノの賛美奉仕をしていました。
一流のピアニストにはなりませんでしたが、教会で奉仕し、活ける神への賛美礼拝できるのは特権で、穏やかに謙虚にピアノを弾けるのも賜物で、今でも牧師さんのお嬢さんの指導には感謝しています。Gift(賜物)を何のために、誰のために用いるかは、とても大切だなあと思うのです。もし自分に与えられた賜物が、早い時期に分かったら、それをどう活かすか、活かすためにどう環境が働いてくれるか、環境を司るのも創造の神のみ業に違いありません。
私が好きな野球選手は、子どもの頃に、お父さんが漁師で、その手伝いを、伝馬船に乗って、櫓を漕いでいたそうです。そういった生活環境の中で、足腰肩が鍛えられて、後に日本プロ野球の名ピッチャーとなりました。これはご両親から受け継いだ体を、鍛錬した結果であって、ご自分の生活環境の中で作り上げた、タラントを用いられた事例だったのでしょうか。
子どもの頃の手伝いが、強固な意思と壮健な体を作り上げられたことを、稲尾投手は、お父さんとお母さんに感謝したことでしょう。この方は、驕らず、誇らず、謙虚だったそうです。そう大分県別府の出身の稲尾和久投手でした。すでに亡くなられておいでですが、同チームの中西という名野手が推薦して、ピッチャとなる一歩を踏んだのだそうです。そして、今日日、MLBで大活躍の山本由伸にも勝る成績を収めています。MLBに行くことはありませんでしたが、伝説の名ピッチャーでした。
誰にも、大小、高低、上手下手の差があったり、見付けられたり、埋もれたまま見過ごされたりすることはありますが、きっと、どなたにも与えられたタラントがあるに違いありません。それが、人や国家や人類の益のために用いられるなら、感謝ですし、埋もれたままであるなら、それも認めて、精一杯生きるなら、それでいいのでしょう。
文化勲章やノーベル賞、街の文化祭の賞状やメダルは与えられなくても、他者に益 する生き方は誰にでもおできになります。それでよいのでしょう。
( “いらすとや”のピアニスト、お運びさんです)
.

























