私の住んでいた街に、小さいのですが、伝統のある「動物園」がありました。近隣の町々村々の子供たちに長く親しまれて来たものです。私が小学校時代を過ごした町には、当時、日本最大の「動物公園」がありましたし、上野にも、遠足やそのほかで1~2度行ったことがあります。
この動物園には、園内を回る電車や空中を飛ぶ飛行機の乗り物もありました。茶店と売店もあって、おでんやポップコーンやラムネが売られていました。入園料が安かったので、格好の遊び場でした。隣には、図書館があり、大きな公園もありました。
ですから、私の子どもたちを連れて幾度となく行ったことがあるのです。街中にあるのですが、動物の鳴き声なども半端ではないのですが、よく周りの住民からクレームがつかないものだと、感心したものです。それだけ、子どもたちの明日のことや夢のために、耐えてくれていたのかと思わされ、感謝したも
のでした。
長女を初めて連れて行ったときに、絵本でしか見たことのなかった象を見せたことがあります。入り口の正面が、象の檻だったのです。その鼻を上下左右に振っている実物の象を、彼女が見て、腰を抜かして座り込んでしまいました。そのあまりもの大きさの違いに、びっくりさせられたからだったのです。その様子は、いまだに忘れられません。
動物園と言えば、ハワイにある動物園に、《世界で一番怖い動物》と記された檻があるのだそうです。それを観たくて、行ってみたことがありましたが、その檻を見つけることが出来ませんでした。その折に、鏡がついていて、それに自分を映しますと、自分の顔が映るのです。その映った私たちが、『一番怖いのだ!』というジョークなのだそうです。
そういえば、人間って、何でも食べてしまうし、人をむやみに殺してしまうし、原子爆弾を作ったり、殺人ゲームを作るのは人間ですよね。動物たちに恐れられても仕方がないことになります。町の動物園にも、サルの檻があり、ニホンザルとか、そのほかのサルがいたのです。でも、そこには、「ニホンザル」と掲出されていて、決して、「われわれ人間の祖先」とは書いてありませんでした。
見ている人間と、見られているサルとは、別世界に生きているからに違いありません。私の机の隣が、生物の先生でした。一回り上の年令の先生でしたが、生意気な私は、「創造論」を掲げて、彼の教える「進化論」に挑戦したのです。
生物学に素人の私でしたが、進化論にはプロの彼は、的確に「進化論」を論証できなかったのです。動物園では、異種の動物としているのに、子どもたちに学習させている教育の現場では、『このサル(類人猿と言うようですが)は私たち人間たちの祖先なのです!』と、仮定の理論から、まるで真実でもあるかのように教えているのです。
「進化論」を最初に、公に主張したダーウインは、聖書の「創造論」を学んだ神学生でもあったのだそうです。ところが、マダカスカルに棲息する原始動物を見た時から、「進化論」を主張して、「種の起源」を著わします。しかし晩年、彼は自分の考え方は間違っていたと言ったのだそうです(私は直接に調べていませんが、その話を聞いたことがあります・・念のため)。
ですから私は、サルの前に、子どもたちを立たせて、『おじちゃん!』とか『オバちゃん!』なんて呼ばせませんでした。私は、兄たちにからかわれて、申年生まれでもありますし、行動がおっちょこちょいで落ち着きがないので、『サル!』とからかわれていました。
だからと言って、サルの仲間内に、人間になりかけているのを捜したりはしませんでした。アフリカで原始的な生活をしている方々を、その教育程度や文化程度の低さから、『類人猿にもっとも近い人たちだ!』と言っている人がいました。が、5年も、私たちと同じ教育をお受けになられるなら、まったく違わない能力が啓発されて、われわれ以上の学識を得て、人類の向上のために貢献されるに違いありません。
だって、サルの脳は、人間の脳の質量とは雲泥の差があるからです。わが国のクリスチャンの科学者が、「クリエーション・リサーチ(http://sozoron.org/home/modules/contact/)」を立ち上げておられます。専門的なことはお問い合わせください。
私は、行動も顔も、たとえサルには似ていても、創造者によって、独特にお造り頂いた「人」であることを疑っていません。神の愛を、震えるほどに感知し、感謝することができ、神を賛美することが出来るからであります。よかった!
(“いらすとや”の動物園と猿です)
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