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次男が小学生の低学年の頃に、山梨県都留市にある都留文科大学の先生が引率してくれて、「ホタル見学会」に出かけたことがありました。食事も用意されていて、夕闇のとばりが降り始める頃から、桂川の支流だったでしょうか、そこを列をなして歩き始めたのです。
そこは、源氏ボタルの生息地で、お尻の部分で幻想的な光を点滅させて放つ様子を眺めたのです。発光が強く弱く、点いたり消えかけたりを繰り返していたでしょうか。彼は、目をマンマルくしながら、嬉々としてホタルを追っていた姿が昨日のようです。
それは、初夏の風物詩であって、自分の幼い日に、家の前の小川の上を飛び交う、ホタルを眺めたり、捕まえて、蚊帳(かや)の中に放ったりしながら、過ごした記憶があります。
🎶 ほ ほ ほたるこい
あっちのみずは にがいぞ
こっちのみずは あまいぞ
ほ ほ ほたるこい ♫
ふるさとは、父や母や兄や弟がいた懐かしい空間で、過ぎた時の出会いや別れや、喜びや悲しみなどが思い出されて、胸がキュンとさせられてしまう世界です。どなたにもおありでしょうね。二度と帰ってくることのない出来事だからこそ、強烈な印象が残されているのかも知れません。
五月の節句には、父が鯉幟(こいにぼり)を、庭に立てた棒の先に上げてくれたことがありました。健やかに育つように、日本の親がし続けて来た風習を、父もしてくれたのです。母の故郷から、おばあちゃんが米粉で作って、笹の棒を刺し、笹の葉でくるんだ、粽(ちまき)を、毎年送ってくれました。その荷を解いて、母が蒸してくれて、笹の葉の匂いのする粽に、砂糖醤油をつけて頬張ったのです。
秋になると、兄たちに後を追いかけて、山の中をかき分けて入って行って、アケビを採ったのです。家に帰って、米櫃(こめびつ)に入れて、追熟をして食べたことがありました。かすかに甘い味がして、あの味も匂いも思い出されてきます。
家の前に小川があり、大きな岩陰のヤマメでしょうか、ハヤでしょうか、魚を追いかけている兄たちの後を、真似して、ついて行ったこともありました。ホタルが飛んでいたに違いがありませんが、その時の記憶は残っていません。
都留の桂川の支流で、次男が採ったホタルを、『中野先生に見せてあげたい!』と言って、二人で見せに行ったのです。先生がことのほか喜んでいた顔も思い出されます。次女を担任した先生でもあったのです。
♫ あゝだれにも ふるさとがある ふるさとがある 🎶
今朝、このひとつのフレーズが、唇をついて出てきてしまいます。「原風景」は、記憶の中にあるのです。術後の母親の世話をと、やって来てくれた次女と、昔話をしていて、いろいろなことを思い出させられているところです。
「箴言」の子への戒めのみことばに従って、ピンピン(spank)されたこと、葦簀(よしず)を姉と二人で買って担いで帰って来たことなどなど、兄や弟とのことなど、思い出話に花が咲くと言った時だったでしょうか。子どもたちとの時間が懐かしく思い出されます。
そして家庭主婦となって二十数年、夫と二人の子を残して、次女が時間をさいて来てくれたのです。カナダに車で友人と出掛けている娘、二学年を終えて寮から家に帰って来ている長男が、父親と留守をしている今なのです。chatやface timeで、残してきた家族とのやりとりが頻繁になり始めています。一昨晩は、叔母と叔父に電話をしていました。明日には、帰っていきます。
今日は、彼女の知人が3人で遊びに来るそうで、カレーを作って歓迎のランチにするようです。茜空が綺麗な今日も酷暑の朝です。でも早朝は、窓を開けると、涼しい風が入り込んできます。そろそろ街が動き出す頃でしょうか。
(ウイキペディアの舞い飛ぶ「ホタル」、撮り立ての「茜空」です)
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