街のスポットと珈琲が

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 昨日は、テレビで有名な女優さんに『母さん!』と呼ばれているご婦人が、フラッと立ち寄ってくれました。季節の果物の梨と桃を持ってでした。しばらく昔ばなしや友人のことを話され、入院検査のことにも触れていました。

 近くの公園の近くのベンチに、お二人にご婦人が座って、日向ボッコ仲間と話をしてるところを、家内が通りかけた時に、挨拶しましたら、会話が始まって以来の交流なのだそうです。そう言えば、見知らぬ土地に住み始めて、出会って、コーヒーを一緒に飲む方が、よく訪ねて来られるのです。美味しいのだそうです。京都からコーヒー豆を送ってくださる、中国で出会った方がいて、その有機栽培のアフリカンコーヒーが美味しいのです。

 《過ぎたるは及ばざるが如し》で、一日一杯に決めて飲むのですが、来客にお淹れすると、つい、節を曲げて、一緒に飲んでしまうこともあって、それも、『まあいいか!』でのコーヒー通気取りです。

 お世話くださった宣教師さんが、“ Blue mountain“、こーひーだけは愛飲家で、一緒に飲むことがあって、こだわりのに自分でも、抜群に美味しかったのです。それに倣おうかなと思うのですが、いまだに手の出ないままでおります。何度か、その味を思い出しては、喫茶店に入った時に、“ Blue mountain“ を注文したりはしたのですが、まぼろしのこヒーのままです。

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 昨日、木村拓哉が、銀座の珈琲店に入って、飲んでいたのが、美味しそうだったのです。”  Bacha coffee “ というお店で、勧められるまま飲んでいたのが、” Sweet Mexico Coffee“ だったのです。香り高いコーヒーを飲み進んで、三分目ほどになって添えられているCreamもSugarも、『好き!』とか、『よかった!』とか、『うれしい!』のだそうで、木村拓哉が言うほどですから、格別に美味しそうでした。

 今や、病院通いの自分には、銀座なんかに行く用がないのですが、学校の裏門から、都電で一本で行けたので、時々行った銀座ですが、演技達者な俳優が、演技だけでなく、実に美味しそうに飲むので、今の銀座に、今のコーヒーを飲みに行きたくなってしまいました。

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 市の運動公園のそばに、小さな喫茶店があって、散歩途中に何度か入ったことがあります。全国区のチェーン店も昔ながらの喫茶店も、この街には多いのです。時間帯にもよりますが、年配のご婦人が独り美味しそうに飲まれる街なのです。cheese cakeに、コスタリカ種のコーヒーを飲んでいるのは、実にこの街のstatus、絵なのでしょうか。

 《何々さんが足繁く通った!》、《何と言う映画に出てきた!》と言う名喫茶店が、世界中にあるようで、ついのせられて、浮き足立ってしまう自分です。『昔アラブの国の誰某(だれそれ)さん』、が飲んだ琥珀色の飲み物が、こんなに世界を席巻してしまうのは、歌のせいでも、映画のせいではなさそうです。

(春の訪問客、Bacha Coffee、“ウイキペディア”のコーヒーの個人消費量の比較図です)

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My utmost for his highest

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 信仰が確信されて、それまで目向きもしなかったっみちを一途に歩み始めて間もない頃でした、「いのちのことば社」の月刊誌「百万人の福音」に、オズワルド・チェンバースの「マイ・アットモスト・フォー・ヒズ・ハイエスト(彼の没後に神学校で教えた講義の原稿から編集されたもの)」と言う通読日課の欄があって、1971年の9月号から翌年の8月号まで連載されていました。

 いのちのことば社の文書伝道を兼務されていた湖浜馨牧師が、翻訳されたものでした。残念なことに掲載されていた「百万人の福音」誌にスペースが限られていたので完訳ではなかったのです。それでも、その文章の格調の高さと忠実な翻訳とに、心動かされ教えられていた私は、それを切り抜いて合本にして、いつも手元において読んでいました。

 その後、英語版の原本 ”My utmost for his highest”を買い求めたのです。その英語は大変難しいもので、辞書と首っ引きで読むのですが、それでも大変手を焼かせるものでした。ところが、それから20年ほどたちました1990年に、「いと高き方のもとに」との題で、加筆の手を加えて、デヴォーション用に一冊の本として出版されたのです。

 早速買い求めました。それ以後、数冊買ったのですが、次男のために家内が買い求めて『1999年1月5日「母」』と書き込まれたものが手元にあります。次男が東京に行く際、置き忘れていったものです。それを家内と、朝食のテーブルで、毎朝読んでいるのです。もう二十数年、この本に集中してきています。

 この方は、レイモンド・エドマンという牧師が、『最高の生涯を送った聖徒です!』と紹介した人です。1874年にスコットランドで、バプテスト教会の牧師の子として生まれています。あのロンドンの教会で説教をし続けた、スポルジョンの説教を聴いて回心したと言われています。

 伝道者として生きた彼は、その生涯の最後の5年間、ロンドンの聖書学校で、多くの青年たちを教え、伝道者として養成しました。彼の講義は、青年たちの魂を感動させ、揺り動かしたのです。そして1917年、エジプトで病を得て、43才で天のホームに帰って行かれました。
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 その教えを、教室の傍に座って速記していたチェンバース夫人が、膨大なノートから編集をし、デボーションの本として出版したのです。その本は、多くの言語翻訳されていて、中国語訳も、華南の街の秘密の福音文書の書店にも置かれてありました。もちろんホノルルやシンガポールや銀座でも、福音文書店で見つけることが出来るものです。世界中で、いまだに読み継がれているのです。「霊性の高さ」とか「人格の高潔さ」とか言ったものが溢れているからであります。

 それは、聖書学校で、主に従って生きようとしていた青年たちに、真剣に語ろうとして語った事々だからでしょうか、聞き手の受けを狙おうとするところが見られません。聖書を忠実に解き明かしているのです。

 私たちを育ててくれた宣教師の説教CDや著書を、聞いたり読んだりすることが、今でもあります。語っている内容に感じ入ることが多いのですが、語っている彼らの人格や品性が、驚くほどに迫ってくるのです。彼らも、面白おかしく語ろうとしていませんでした。真剣に聞こうとする聞き手に、驚くほどの敬意を表しながら語っておられるのが感じられるのです。人の「霊的いのち」に対する責任と使命とが、彼らにあったからなのでしょう。実に感謝なことであります。

 そのデボーションの本の今朝の箇所は、主題が「危機に臨んでも」で、聖書箇所が「なぜこわがるのか、信仰薄いものたち(マタイ8:26)」で、次のように記されてあります。

 「私たちは恐れに取りつかれると、神に祈ること以外は何もできなくなる。しかし私たちの主は、神の御名を呼ぶ者たちが、どんな時でも彼に信頼することを望まれる。

 神は、ご自分を信頼している神の子どもたちが、どのような危機にあっても動じないでいることを望んでおられる。私たちはある一定のところまで、神に信頼し、その限度を超えると、まるで神を知らない者ように、恐れに取りつかれただけの幼稚な恐れへと戻っていく。その時私たちは、自分が神を少しも信頼しておらず、神がこの世界を支配しておられることも信じていなかったことを知る。そして、神をあたかも、眠っておられるかのように考え、目に映るものはすべて、白く砕ける波のようになる。

 『信頼の薄い者たちだ!』このようにイエスに指摘された弟子たちは、どんなに心が傷んだことだろうか。私たちにも同様なことが言える。私たちも、どのようなことがあったとしても、イエスに信頼し続け、心からイエスにある喜びを持つことができたはずだと考えて心を痛める。

 人生には波風の全く立たない時がある。しかし、危機が迫った時にこそ、私たちが何によりたのんでいるかがわかる。私たちが神に信頼することを習得しているなら、危機が臨んでも、私たちの神への信頼は崩さされることはない。」

 これこそが人生の機器管理の極意に違いなさそうです。崎谷は台風が直撃して、渦巻くように吹き荒れて、今朝は石川県方面に去って行きました。地震、洪水、山火事、世界中で、自然界が悲鳴を上げています。どんな危機に直面しても慌てず、怖がらず、創造者なる神に、日々に信頼して行きたいものです。

(“ウイキペディア“の英語版と、チェンバースの写真です)

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二人の青年に想いを寄せて

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準さんへ

 肩のけがの具合は、どうですか?お見舞いに行きたいのですけど、お忙しそうなので、手紙を書きます。準さんご夫妻が、ずっと僕のことを応援してくれたことを母から聞きました。ありがとうございました。まだ高校は確定していないけれど、9月からがんばります。またお会いできるのを楽しみにしています。お体お大事になさってください。    

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 これは、昼前に届いた、宅配のお見舞いの品々と一緒にあった、龍さんからのお便りです。しっかりした日本語が書けていて驚きました。日本人のお母様が、こちらの方と国際結婚をされて生まれた"中学3年生"で、こちらの教育を受けてこられています。今は、「高中(高校)」の受験を終えられて、その結果を待っておいでです

 返信のメールに、『・・・暑い夏です、お体に気をつけてください。夢を追いかけて、溌剌と生きる青年であってください。ありがとうございました。』と書き添えておきました。肩のための湿布薬、2種類の紅茶、そして《肝油ドロップ》を、『ボクの肝油、病後にも良いと書いてあるから、使ってもらって!』と、お母様に言われて、同封してくれました。思いやりのある、優しい子で、嬉しいこと仕切りです。私の《小朋友xiaopengyou》です!

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 上記したのは、10数年前のお見舞い品に添えられて送られてきた「手紙」の文面です。この方は、お父さまが中国の方で、お父様は日本の方で、国際結婚をしたご両親のお子さんでした。中国の大学に進学しないで、東京の大学に留学をし、その大学を出て、東京の会社に就職をなさっておいでです。

 左腕の鍵盤断裂で、札幌の整形外科病院に入院して手術をした私に、「湿布薬」、「紅茶」、それに「肝油ドロップ」のお見舞いに添えて、この文面の手紙を頂いたのです。そのお見舞いと激励が、綺麗な文字で書かれてありました。

 お母さまは、岡山県の出身で、東京の会社で働いていた時に、ご主人に出逢われたと言っておいででした。実に穏やかなご主人で、日本語もきれいにお話しになっておいででした。龍さんも、優しいお子さんでした。家内が、日本人のご婦人たちの集いに誘われて、その時に知り合い、わが家にも、龍さんをお連れくださっていました。

 子育ての頃に、わが家でも、子どもたちに滋養のある肝油ドロップを、よく食べさせていたのですが、龍くんも日本に来て、岡山のおばあちゃんを訪ねると、そのドロップを買っては帰り、飲み続けていた貴重品だったのです。それを、術後の回復のために分けてくれたのです。

 龍くんと会ってから、明代の大陸で活躍した人、鄭成功のことを思い出したのです。父は鄭芝龍、母は田川マツで、国際結婚で、長崎で誕生しています。成功は、中国大陸で明が衰退し、清が勃興した時代の変革の大混乱期に「抗清復明(清を倒し、明を復興する)」をかかげた反骨漢で、大活躍した人物でした。

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 福建省の厦門(アモイ)に、教え子がいて、何度か招かれて、家内と二人で訪ねたことがありました。お父さまが、アモイの街を案内してくださって、海辺の高台に、馬に跨った成功の巨大な像があって、彼が行き来した台湾に目を向けているのです。今でも篤く尊敬されています。

 病没するまで、成功は明王朝の復興を願い、大陸の清と戦ったのです。日本では、近松門左衛門の有名な人形浄瑠璃、「国姓爺合戦」のモデルとして。とても有名です。今でも上演されていて、歌舞伎のp演目の中にもあります。

 鄭成功記念館は、長崎県の平戸にもあります。平戸は、東アジアの英雄成功が7歳まで育った地でした。彼の生家を再現すると共に「鄭成功」の偉業を顕彰し、後世に伝えるため再現されているそうです。

 鄭成功は、戦乱に明け暮れた英雄ですが、龍くんも、二国の血を引いて、平和の時代に、肝油ドロップを食べて育った青年で、優しい心の青年でした。あの愛子さんの在学と同じ時期に、学習院大学に学んでおいででした。

(“いらすとや”のドロップ、“ウイキペディア“の鄭成功を主人公の歌舞伎です)

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音吉らによる聖書翻訳が

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 ずいぶん前に、三浦綾子原作の「海嶺」が映画化されて、映画館で観たことがありました。知多半島、小野浦の「宝順丸」が、大阪で米を積んで、江戸に運ぶ途中、遠州灘で、颯風(はやてかぜ)にあって遭難してしまいます。1832年(天保三年十月)のことでした。

 宝順丸の船長の決断で、帆柱を切り捨ててしまう場面があり、そう決断せざるをえない状況が、とてもリアルに描かられていたのです。なぜなら、帆柱を失えば、船は航行不能になってしまうからです。案の定、宝順丸は東風に任せて、太平洋を漂流するのです。その間、壊血病で水夫は次々と亡くなっていき、岩吉、音吉、久吉の若者3人が生き残ります。

  宝順丸は、1834年にアメリカ太平洋岸のワシントン州ケープ・アラバ付近にたどり着くのです。インディアンのマカ族に助けられた後、イギリス船がやって来て3人は救われます。コロンビア川をさかのぼった場所にある毛皮商人に助けられ、そこで3人は、英語とキリスト教に出会います。彼らは、ハワイを経てロンドンに至るのです。

  3人はロンドンを見物したりしますが、けっきょくイギリス政府は日本との交渉に熱心ではなかったため、中国ののマカオへ送り出されてしまいます。すでに知多半島の小野浦の港を出てから、3年の月日が経っていました。

  マカオは、外国人居留地だったのです。そこで、3人の世話をしてくれたのは、ドイツ人宣教師のカール・ギュツラフです。語学に自信のあるギュツラフは3人を相手にして聖書の翻訳に取りかかり、1年がかりで「ヨハネ伝福音書」や「ヨハネの手紙」の日本語訳、ギュツラフ訳聖書を完成し、出版したのです。

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 マカオで聖書翻訳に協力した3人は、日本に帰国するために、モリソン号で日本に着くのですが、外国船打払令で、江戸幕府も薩摩藩も大砲で脅して3人の帰国を許しませんでした。それで、音吉は、上海に行き、そこで、日本人の漂流民を助けるのです。

 長男の嫁は、この知多半島の出身で、結婚披露宴の折に、ここを訪ねた折に、「三吉顕彰碑」に行ってみました。幕末の変動期とは違って、穏やかな海風が吹いていたのです。

 そこでご馳走になった、伊勢湾の「海老」が、こんなに美味しいものかと驚かされるほどのもてなしをいただいたのです。音吉たちが、年配の船乗りたちが、次々と亡くなっていくのを見た若者たちは、何を感じたのでしょうか。雨水を集めては飲み、生魚をとっては食べて生き延びたのは、奇跡的だったのでしょう。

 漁師や商人の船に、遠洋航海をさせないように、船舶の重量や船艇の深さに制限を加えたことの結果、夥しい数の船が難船したわけです。まさに鎖国政策の大きな問題であったわけです。沼津の人、山田長政が、遠洋に漕ぎ出して、シャムに渡って、アユタヤに日本人街を形成し、東南アジアで大活躍した、江戸初期との違いを知らされて、三吉は、どんなに残念だったことでしょうか。

 三浦半島の出の父も、日本海軍の軍港で生まれ育って、海に出たかったのかも知れませんが、真反対の陸の奥、山に入って鉱脈を掘り起こした青年期を過ごしたようです。音吉は、望郷の思いを持ち続けて、1867(慶應3)年1月18日に、50歳で、シンガポールで亡くなっています。明治開化の前年のことでした。

(“ウイキペディア”による千石船、ギュツラフ訳聖書です)

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咲いた朝顔!

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 咲きました!

 2026年8月7日の朝です。今季は、種蒔きが6月に入ってからでしたので、7月には咲きませんでしたが、嬉しいですね!自然界は、忠実です。去年は、秋口になってやっと花開いたので、今年も遅いと思っていましたが、8月の声を聞いて、甲子園の高校野球選手権の大会が始まってすぐの開花は嬉しい限りです。遣唐使が大陸から持ち帰って、日本中で植えられ、愛でられてきた花なのです。華南の街の家のベランダでも咲いてくれました。

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世知辛い世の Fake News

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 「美談ビジネス」と言うのがあるのだそうです。つまり、善行や美談を物語にして、YouTubeなどでアップしているビジネスなのです。そして、その物語の多くが、“ Fake News ”だと言われています。現に、YouTubeに、金稼ぎを目的に記事やAIによってビデオ映像を作成し、それを観て共鳴した人たちに〈チャンネル登録〉の誘いが多くされています。

 世の中が、世知辛くなって、殺伐とした様相を見せてくると、美談に耳を傾けるお人好しが、それを読んだり聞いたりしては、涙するのです。高校生の頃に、フジテレビ系列局で、1959年12月6日から1961年12月30日まで放映された西部劇で、「拳銃無宿(スティーブ・マックィーン主演)」がありました。「賞金稼ぎ」の話です。それは、お尋ね犯罪者を捜して、退治する物語でした。でも善人を騙しての金稼ぎは頂けません。

  つい騙されやすい自分がいて、それを信じては、ブログにアップしてしまうのです。大谷翔平の美談を、Youtubeにあっても時々アップされていますが、そんなことをしそうな善意に溢れた人柄ですから、それは、まあいいかなと思うのです。でも彼自信はどう思うかを聞いてみたいし、真実を知りたいものです。

 人をハッピーにさせる話は、さもありなんでよいのですが、脚色をし過ぎて、面白おかしく泣かせたい人は、直木賞や文学賞でも狙って、筆を振う方がよいのではないでしょうか。

 2026年熊本地震の被害も多大で、余震も多く起こっているとニュースが知らせていますが、落ち着いて眠ることもできず、車中泊をされている方も多くおいでだそうです。親しい友人や知人の多い地で、心配しております。そこでも、偽情報が飛び交ってると聞きます。どんな心理が働いて、そんな情報を流すのでしょうか、人間の悪意というのは計り知れず、残酷さが溢れています。

 AIの時代になって、だれもが指先と口先で情報を発信できるようになってきてる時代に、溢れかえる情報に翻弄されている現実がありそうです。正しく” judge(判別)”できないと、その偽情報に、こころを踊らされてしまいそうです。

 「右往左往」と言う言葉がありますが、混乱している様子を表すようですが、まさに現代社会は、上下左右に、揺さぶられているように感じられてなりません。情報過多の中、どうしても必要とされるのは、選択能力ではないでしょうか。正しく判断、見極める冷静さと、真実を求める願いに違いなさそうです。

 朝のラジオニュースを聞いたり、配達された新聞を読んで、世に中で何が起こっているかを知っていた時代と、今とでは、情報量は比べ物にならないほどに膨大です。父から聞いて、世の中で何が起きているかを初めて知って、社会性を養われたのです。でも今や、ボタンを押すだけで、またチャンネルの選択一つで、真逆なニュースを聞かされる時代になっているようです。

 家内が、息子にスマホを買ってもらって、新聞もテレビも見ない中を生活してきて、爆発的に情報量が増えてきていて、どうも戸惑いを見せているようです。しかも疑うことをしないで信じやすい性格ですから。子どもの頃から聖書を読んで、生きてきていますし、教会の狭い善意の人の多い社会の中で育ったので、視野が狭いかも知れません。

 でもこの世は、海千山千、悪意や抗争や儲け話の坩堝(るつぼ)です。前世紀の遺物のように、娘たちに評されてしまっている家内ですが、世間ズレていないと言う意味では素晴らしいのですが、悪意と出会うと、善意さが邪魔をして、どうも戸惑ってしまっていそうです。

 戦後、アメリカからの援助物資を、宣教師さんから頂いて、それを着て学校に行ったたばかりに、ハナタレの悪童にいじめらたことがあったのだそうです。また高校生の頃に、根性曲がりの級友に、帰宅時にカバンを持たされ続けたり、ありもしない噂を立てられたりしていたこともあったそうです。

 ケンカをしてきた男と結婚して、反発心も身につけたようですが、彼女は根っからのお人好しなのです。いじめた相手を見つけ出して、『ブン殴ってやる!』と言っても、大笑いして、本気にしないままの今です。いじめた子は、残念なことに、教会の中にもいたのです。その同級生は、すでに亡くなっているのです。いじめた子は、何の罪責感もなく、全く覚えていないのが常です。ところが、いじめられた子には、心の深みに傷が残されているので、やっかいなのです。
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 私たちの救い主のイエスさまも、悪意の中で過ごされました。とくに当時のユダヤ教の指導者から、訴えられて、ピラトの法廷に、ユダヤ社会の律法を守らずに、神を冒涜したとの汚名を着せられて、法廷に立たされます。エルサレムの住民の支持を得ようとした、ローマ総督のピラトは、「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」と、手を洗って責任を逃れてしまいます。

 不実の罪を着せられて、カルバリーの丘に立てられる十字架に架けられて死なれたのです。宗教界の悪意によって殺されたのですが、それは、イエスを信じる者の罪の身代わりの死だったのです。信じる者を永遠の命に救うための死でした。イエスさまは、

『三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイ27:46)』

と、十字架上で言われました。人となられて今の今まで、父なる神の愛の視線を受けながら生きてこられたのに、十字架上で、その父に視線を逸されたのが判ったイエスさまが、そう叫ばれたのです。罪なきお方が、罪となられた姿を、御父は正視できなくなって、目を逸らされたからです。

 その死は、信じる者の身代わりであって、信じた者たちに永遠のいのちをくださるためだったのです。私は、子どもの頃から、母のてに引かれて兄弟四人で教会に連れて行かれました。17で信仰告白をし、22でバプテスマを受け、25才で、聖霊の満たしを受けて、その十字架の意味が明確に、電撃的に解ったのです。

 このことも、物語であって、fakeだと言う言う人が、教会の中、それも指導者と言われる人たちから言われているのです。天地創造も、奇跡的なエジプト脱出も、イエスさまのなさった奇跡も、眉唾物、単なる創作された物語にされてしまっています。科学的な目を持ってしまった説教者には、もう聖書を信じられなくなっているのです。

 幼いわが家の子が、長岡輝子さんの朗読する「聖書ものがたり」をテープで聞いて、『イエスさま、ごめんなさい。ボクのために重い十字架をかついで、痛かったんだね!』と、涙を流して泣いたことがありました。今や四十代になった、その彼が、わが家にやって来ると、決まってウクレレを持ち出してきて、この神を、この救い主イエスさまを、弾きながら賛美するのです。そう今も信じ続けているではありませんか。

(“いらすとや”の金塊、ウクレレです)

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はっきりもの言うパウロを

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『神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。 それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。 それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。 こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、 同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行うようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。(ローマ1章20~27)』

 聖書は、差別をしたり、不寛容な書なのでしょうか。そうではないのです。これほどはっきり言っているのは、明確に、「恥ずべき情欲」、「恥ずべきこと」、「してはならないこと」なのです。パウロが、これほど厳しい口調で、神さまが定められた、「結婚の契約」を破る者たちへの警告を発する意図を理解して、私たちは、神からの厳粛な言として聞かなければなりません。

 パウロの真実な告白は、「私は罪人の頭です。」と告白したほど、罪なきキリストなるイエスさまのみ前で、「認罪」を明確にした人でした。罪をよく知っていたと言うことでしょうか。そして、『一度信じた人は、永遠に救わている!』との「赦し」を確信した人でした。その赦しは、イエスさまの「十字架の贖罪」を、聖霊なる神さまの促しによって理解に至ったのです。あのエジプトのヘブル人の家の鴨居と門柱に印された、子羊の血の意味を信じられたのです。意思の人であっただけではなく、聖霊の満たしによって知り得たのです。赦しを確信し、不動の信仰の持ち主で、その信仰を貫徹した人でした。

 はっきり言うパウロを嫌うのは、自分の内に恥ずべき点、隠され罪を認めたくないからなのです。そう言う傾向が、福音を信じ続け、それを継承してきた世代の、この世代に表れているに違いありません。幼い日から聞き続けて来た聖書の真理を、受け入れたくなく思う、次世代、子の世代が、反旗を掲げて、パウロの言うことを否定していくのです。

 今日日、理解が足りないと言う様な、手心を加える様な、物分かりの良い様な、同情を示す様なことには、聖書、神さまの指針のことばを委ねられたパウロは、全く猶予しないのです。大上段から、いえ神の側に立って、はっきり言い切るのです。

 十字架抜き、贖罪抜きに、さらに罪の指摘なしに、教会が説教を語る傾向があるそうです。『罪、罪、などと言うから教会に人が来ないのです!』、『罪は、集会に来続ける間に、いつか分かればいいことなのだから、目くじら立てて、罪を語るのはやめたほうがいい!』と、ヒューマニズムに従い、聞き心地のよい、繁栄や成功の話にすり替えて語るのです。

 それは、〈仲良しクラブ〉であって、もう、罪を語らないのは、キリストの教会ではありません。パウロの主張は、厳し過ぎ、偏向していると、批判する、今日の流行りの説教に、顕著に表されているようです。男と女は、それぞれが役割が与えられて、創造され存在しているのです。それが「自然な用」なのです。それを守らないのは、「誤り」なのであり、いえ「罪」なのです。

 十字架を教会が高く掲げて、目に見える形でも見えない形でも、その所在を示し続けて来たのですが、内側で語られなくなっているのではないでしょうか、礼拝賛美にも、十字架や贖いが避けられて、歌わなくなって、罪を罪としない、そう言った傾向が見られるのです。

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 「十字架と飛び出しナイフ」を著した、ニューヨークの“Times Square Center” のウイルカーソン牧師が、やがて終わりの時代には、教会が二分されると言っていました。この方も、はっきりもの言う牧師さんでした。多くの教会が、エキメニカル派の教会、宗教合一運動の動きに帯同していっているようです。一方、聖霊の導きに従う教会と牧師さんたちは、もう政治活動や道徳運動や社会改善運動から身を引き、ただ十字架の福音を語るだけになり、政治的な発言などをしなくなる、そう言われたと思います。今の時代、これからの時代を言い当てていた様に感じてなりません。

 さあ、混迷の時代、価値観の転倒の時代に、信仰者はどうあるべきなのでしょうか。

(”Christian clip arts“による獄中で賛美するパウロ、“ウイキペディア”のNYのタイムズスクエアです)

この麗しき天然の美を

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 作詞が武島羽衣、作曲が田中穂積の「美しき天然」、哀調のメロディーで、ちょっと悲しくなる哀調のメロディー、ワルツ調の歌ですが、美しい日本の自然を謳い上げていて素晴らしい詩です。

1 空にさえずる 鳥の声
峯より落つる 滝の音
大波小波 鞺鞳(とうとう)と
響き絶えせぬ 海の音
聞けや人々 面白き
此(こ)の天然の 音楽を
調べ自在に 弾き給(たも)う
神の御手(おんて)の 尊しや

2 春は桜の あや衣(ごろも)
秋は紅葉の 唐錦(からにしき)
夏は涼しき 月の絹
冬は真白き 雪の布 b
見よや人々 美しき
この天然の 織物を
手際(てぎわ)見事(みごと)に 織りたもう
神のたくみの 尊しや

3 うす墨ひける 四方(よも)の山
くれない匂う 横がすみ
海辺はるかに うち続く
青松白砂(せいしょうはくさ)の 美しさ
見よや人々 たぐいなき
この天然の うつしえを
筆も及ばず かきたもう
神の力の 尊しや

4 朝(あした)に起る 雲の殿
夕べにかかる 虹の橋
晴れたる空を 見渡せば
青天井に 似たるかな
仰げ人々 珍らしき
此の天然の 建築を
かく広大に たてたもう
神の御業(みわざ)の 尊しや

 一昨日は、ちょっと疲れたかなと、『エイッ!』 と決心して、小さなリュックに、タオル、石鹸、シャンプー、髭剃り、シェービングゲルを入れて、散歩に出ました。途中、同世代の自転車屋の主人と、その店頭で近況を語り合いました。家内の近況を聞いてこられたので、健康談義をしばらくしたのです。

 真夏の太陽が、雲間に隠れて、灼熱の道を歩かないですんだのです。道々、季節季節の花を庭園の咲かせて、いつも目を和ませてくれたのですが、この8年ほど歩き続けているコースに、もう手の行き届かなくなっている庭が所々にあります。寄る年並みで、お年寄りが庭に出られなくなってきているのかも知れません。荒れてはいませんが、季節季節に、ていねいに咲かせていた、綺麗な花々が見られなくなっているのが物足りなくなってきています。

 散歩する自分も、膝が痛くなってきて、前のようには速歩できなくなっての漫(そぞ)ろ歩きですが、まだ歩けることに感謝しての一歩一歩なのです。小学校の門のそばに菜園もありますが、春になると、そのお世話してこられたお爺さん世代もみられなくなって、ナスやピーマン、草花も見つけられません。

 2019年の秋の13号台風が、巴波川を氾濫させて、洪水になった年に、知人の家で、床上浸水に被災した年に、この街に住み始めての、初めての洪水の体験でした。度々の洪水に見舞われて、その川の流れを、地下に逃げ水の隧道を作る工事が行われてきて、ほぼ終わったようです。トンネル掘削の新鋭機器を導入しての工事は、工事の起点の横道が、散歩コースでしたので、その工事を見続けてきたのです。

 土木をしたいと思っていた中学生の頃を思い出し、散歩の足を止めて、何度も工事の様子を眺めてきました。もちろん隧道の中は見られませんが、工事車両の出入りが頻繁でした。使われた掘削機の大きな円形のシールドマシン、「円筒形の鋼殻(シールド)の内部で前方のかッターヘッドを回転させて土砂を削り、後方で壁面(セグメント)を組み立てながら軟弱地盤や都市部を掘進する機械。 」が、任務を果たし終えて、工事の終点近くに置かれていて、今更ながらの新鋭機に驚かされました。

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 さて、その温泉ですが、2005年の春に、地下1000mから湧き出した、「炭酸水素塩温泉(重曹泉)」なのだそうです。日本では「美人の湯」、「冷の湯」、またヨーロッパでは「肝臓の湯」などと呼ばれている泉質で、けっこう人気で、戦後のbaby boomer世代が7、80%でしょうか。一仕事終えた世代のみなさんが、各黙して往時を思い返している、自分がそうだからですが、そんな温泉浴に風景です。

 様々に工夫を凝らした浴槽があるのですが、源泉の下のぬるい湯の大きめの湯壺が好きなのです。そこで、温泉が流れ落ちていく水音を聴くのが好きなのです。まさにボーッとして聞き入っていると、眠気に誘われるのです。その心地よさは、母親の胎にいたころの「安心感」を呼び起こすのかも知れません。

 天然の音楽、織物、建築、映し絵と言ってもよいのでしょうか、水の流れや落ちていく音は、滝から落ちて来るのも雨音も、温泉の注ぎ口からから落ちてくる音も同じで、何か安心を与えられるように思えるのです。また轟々と降る雷雨も同じなのです。天然の営みの音は、創造の音楽に違いなさそうです。

 

です。

(真夏の散歩道に咲いていた花々、湯西川です)

父の世代から子の世代へ

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 「今もあるのでしょうか、新宿駅の線路下に、西口と東口を結ぶ地下通路がありました。「きれいな日本」とは恐れながらも言えなかった当時、まだ公衆トイレもわずかしかありませんでした。そこには、オシッコ臭が立ち込めていたのです。両親と死に別れた「戦災孤児」が何人もいたのです。われわれ兄弟には、二親がいても、彼らには、戦争が父親と母親を奪い取っていたのです。

 そればかりではなく、米兵の子を産み落とし占領地ニッポンに、母親にも捨てられた子どもたたちを街中で見たりしました。あの戦争の落とし子たちを、沢田美喜という方が、大磯で「エリザベス・サンダース・ホーム」で、お世話しておいででした。

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 お父さんの遺品の軍帽をかぶって、九州の町で、チャンバラごっこをして少年期を過ごしたことを、話してくれた級友がいました。彼のお父さんは、中国の各地を転戦した職業軍人でした。敗戦と同時に、蒋介石率いる「国民軍」に参加して、中国大陸で戦死するのです。彼には、高名な軍人の叔父さんがいて、何よりも、お国のために戦い、死んでいった父親への誇りがありました。

 また父性の見えなかった級友がいました。いつも担任に怒られていました。父性をタップリ味わっていた自分と、この二人がいつも担任の怒叱られ役でした。終礼をスッポかしてきょうしつにもどると、『準、オジイが、すごい勢いでおこっていたぞ!』と言うので、職員室に謝りに行くと、『おお、準来たか!』と笑って迎えてくれ、なんだか世間話をして終わるのが常でした。要領の悪い彼だけが怒られていたのです。

 こうこの頃は、よく遊びに行ったこの悪友の家に、40過ぎだったでしょうか、泊めてもらったことがありました。もう家は、彼が立派に建て直していました。その泊まった室の壁に、軍帽軍服の凛々しい青年将校の写真が掲げてあったのです。彼もお父さんを、戦争で亡くして、母親の手で大きくなっていました。

 それでも、写真に写った父親の面影しか知らないで、母や親族に父を聞かされただけで、父親に抱かれた実感を持たない、二人の同級生だったのを記憶しています。戦争は、彼らから父親を奪い去ったことになりますし、彼らの子どもたちからお爺ちゃんを取り去ったことになります。二人とも、重役職についていました。

 私の父は、戦争中に、軍需工場の工場長をしていました。零戦の戦闘機の部品の生産にかかわる仕事をしていたのです。父のアルバムに、日の丸で鉢巻し、従業員と一緒に、報国、戦勝祈願をした記念集合写真を見付けえて見たことがありました。ですから、私は、陸軍が父に支払った俸給で買った食料で生きていた母の母乳や、購入したミルクや離乳食や衣服で育てられていたことになります。

 それででしょうか、私は戦後に育った子であるのに、軍国少年魂を、亡霊のように内に宿して、予科練に憧れていたのです。『若い血潮の予科練は・・・』と、七つボタンで身を包んでいるような錯覚に陥った私は、お酒を飲んでは、そう高吟するのが好きでした。

 そんな私を見て、『予科練ではなく海軍予備学生に憧れなさい!』と母に言われたことがありました。母には、広島・江田島にあった海軍兵学校に通い、戦死した幼馴染がいたのです。その彼の海軍予備学生の写真を、母の写真帳に見付けたこともありました。母は山陰で、伝道していたカナダ人宣教師の教会学校で、クリスチャンとなっています。そんな母が結婚したのも、横須賀の海軍一家の青年だったのです。父のことですが。

 そんな背景の私は、戦後の無条件降伏で、占領下に平和を与えられ、救援物資で養ってくれたアメリカなのに、まだ敵国だと思っていました。でも宣教師のみなさんは、、『こんな非道なことをする日本人が変えられるのは、福音以外にはない!』、そう一念発起して、アメリカの教会から遣わされて、日本のあちらこちらで伝道し、幾つもの教会を生み出していきました。母は、その教会に導かれたのです。

 結局、私たち4人の兄弟は、その教会で信仰を持ち、バプテスマを受けました。そして上の兄と私は、その教会で献身させていただきました。そして私は、アメリカ人宣教師から聖書の読み方や学び方を学び、さらには家庭の建設や、子供の育て方まで教わるはめになるのです。軍国少年が、アメリカ空軍の元パイロットと至近の距離にいて、8年間共に働き、聖書を学んだのですから、彼の忍耐がどれほどだったか想像に難くありません。

 イエスさまは、「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣によって滅びます(マタイ26・52)」とおっしゃいました。私は、自分の腰にではなく、心の中に吊り下げていた剣を捨てる必要があったのです。生まれながらに受け継ぎ、自ら好んで求めた「軍国主義の霊」とか「軍国少年魂」と言うものがあるのでしょうね。

 そういった亡霊や精神を取り扱い除くのは、一筋なわでは行かないなことだったようです。今は、平和を希求する者に変えられ、すでに天のふるさとにお帰りになられた宣教師さんに心からの感謝を覚える、真夏です。

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 真珠湾攻撃の攻撃隊長であった、淵田美津雄さんという方が、戦後、クリスチャンになられて、伝道者の道を歩まれておいででした。アメリカに行かれて、いくつもの教会で福音を語られたのです。東京の中野にあった「天門教会」で、この方のお話を聞いたことがあります。父よりも上の世代の方でした。軍人が、柔和な表情の伝道者になっておられたのですから、喧嘩に明け暮れ、心のすさんでいた軍国少年だって、「天国の使いっぱしり」にはなれるんだ、と思はされた出会いでありました。

 隣国の街の学校で、日本語を担当していた時期に、新幹線の車輌の設計に携わった、三木忠直氏のことを話ししたことがありました。戦時下で、多くの若者の操縦で米軍の戦艦に突撃をした「桜花」を設計した方でした。戦後、平和に役立つことのために生きようと、旧国鉄で、「東海道新幹線」の車輌の設計をした方です。旧軍人が、平和を願って生き直したことを、中国の学生さんに伝えたかったからでした。

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 三木忠直氏は、戦後クリスチャンになり、晩年になっても、鎌倉の教会で礼拝を守り、讃美歌を歌い、聖書の話に耳を向けたのです。同世代の私の父も、「主われを愛す」を口ずさみ、子どもの頃に、軍港の街、横須賀の教会で、歌った讃美歌を歌う人になりました。軍需工場で軍属として働き、召される少し前に、上の兄に導かれて、信仰告白をしています。それぞれの戦前戦後を、「戦争」を「平和」に変えて、昭和の後半を生きたのです。彼らの人生に、大きな祝福への転機があったのです。

 先週、その新幹線に、久し振りに乗車しました。ずいぶん乗らないまま過ごして、これらのことを思い出したのです。父と同世代、父は、戦時下で重い鉱石を掘りましたが、戦後は、旧国鉄の車両に、新幹線にもだったのでしょうか、車体に装着する制動機の部品を扱ったのです。一生懸命働いて、私たちを養い育っててくれました。

 父は、上の兄に満州の「満」を名前につけましたが、戦後は「円満」に生きるように願い、下の兄には大和健児の「健」を、戦後は「健康」に変えて生きるように願いました。戦後に生まれた弟には、黒鉄(くろがね)の「鉄」で、平和の時代を強く生きるように願って命名したのです。

(“ウイキペディア”の新宿御苑、エリザベス・サンダース・ホーム、Pearl Harbor、新幹線です)

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今の世への痛烈なメッセージか

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『イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。 また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。 しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。 そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。 また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。 また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。 不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。 0wこの御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあ、それから、終わりの日が来ます。(マタイ24章3~14節)』

 熊本日日新聞は、「2026年熊本地震 ビジュアルニュース」として、次のように書き出して、その様子を伝えています。

「7月28日夕、熊本県の宇城市と氷川町で最大震度7を観測する地震がありました。揺れは東海から九州の広範囲に及び、有明・八代海に一時、津波注意報が出ました。嘉島町の「イオンモール熊本」では爆発が発生。人的被害が相次ぎ、住宅倒壊など生活への影響も出ています。最新情報をまとめました。」

 これより先、6月16日の夕刻、突然、突き上げるような響きが、建物にありました。埼玉県加須(かぞ)市を震源地とする、震度5弱の地震でした。ここ栃木でも震度4で、すぐに東日本大震災が起きた、2011年3月1日14:46の時、長男の家の二階にいたのを思い出したのです。家内の胆嚢摘出手術で待機していた時でした。家を出て近くのスーパーの駐車場に出ました。まだ電柱の電線が左右に揺れていたのです。

 地震が頻発しています。地震が起こると、『準、玄関を開けろ!」と、父に言われて、そうしたのです。関東大震災の経験者だった父は、退路を確保ししければならないとの教訓を学んでいたので、そう咄嗟に言ったのです。中国にいた時も、知人の七階の家で、招かれたテーブルについて食事をいただいている時に、大きく揺れる地震を経験したのです。ここでも、茨城南部を震源とする地震に、たびたび揺すられ、突き上げられています。

 楽しく美味しい夕餉の食事を摂っている時、ホッとしていた時に、突如として平安を打ち破るような地震でした。何度揺すぶられてきたことでしょうか、「方々に・・・地震が起こ」るのだと、イエスさまはおっしゃいました。『平和だ、平和だ!』と言っている時に、戦争が起こり、飢饉も地震も起こるのです。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり」と、一連の出来事が起こると、警告されたのです。

 日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、第二次世界大戦が起こり、今もウクライナロシア戦争、イスラエル対イラン戦争があり、有史以来、因縁の民族紛争は現実として絶えません。そればかりではありません。人と人、家と家、集団と集団の紛争、抗争は枚挙に暇(いとま)がありません。不和や争いは避け難い現実でもあります。イスラエルの主は、「平和の神」でいらっしゃいます。

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『ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。(イザヤ9章6節)』

ところが、「平和の君」でいらっしゃるイエスさまは、

『わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。(マタイ10章34節)』

 いやー、そんなことを、『地には平和、御心にかなう人にあれ(ルカ2:14)』と言われたイエスさまは、矛盾で、混乱させるために、そんなことを言ったのでしょうか。「剣をおさめさせた」のに、ペテロは剣を持っていましたし、それ自体がおかしいのに、それを鞘から抜いて、大祭司の僕の耳を切り落としてしまうのです(ヨハネ18:10)。それを見たイエスさまは、「剣をさやに収めなさい。」と言いました。

 それなのに、『「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。(ルカ22:36)』と仰られています。若い頃、剣ではなく、「拳」を、巻藁で鍛えたことがあります。喧嘩が強くなるためではなく、面白半分でしたが、それは、殺意に繋がりそうで、怖くなってやめました。まさに、これは、「剣をおさめること」であり、金属の剣ではなく、誘惑や攻撃を退ける心の防備のための武具を着けるように言っているのではないでしょうか。

 世の動きを見るに、「終末」の様相を呈している時代と言えるでしょうか。あらゆる「欺きや反逆」が起こっているではありませんか。また、「偽預言者」、おかしな非正統な聖書解釈をする牧師や教師が、世界中で輩出しているそうです。地震のニュースを聞きましたら、心を急に突き上げるような、そんな思いが強くされてしまったのです。主のおっしゃるような時の到来なのでしょう。心して、慌てず、「聖書」に記されている主のみ声に、耳を傾けていかなければならなさそうです。

 ある説教者が、やがて世界中の宗教が、エキュメニカル運動によって一つにされる、と言っていました。聖書を誤りなき神の言葉と信じる人たちは、もう政治的な発言や社会改革の主張をしなくなる。そして聖書を固く信じ、聖霊なる神さまに導かれ、聖霊に満たされていく。世界の宗教は、そんな風に、二分されていくかも知れない、とです。

昨晩、こんな讃美歌が口を突いて出てきました。

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1)千歳の岩よ わが身を囲め
裂かれし脇の 血潮と水に
罪もけがれも 洗いきよめよ

2)かよわき我は おきてに耐えず
燃ゆる心も たぎつ涙も
罪をあがなう 力はあらず

3)十字架のほかに 頼むかげなき
わびしき我を 憐れみたまえ
み救い無くば 生くるすべなし

4)世にあるうちも 世を去る時も
知らぬ陰府(よみ)にも さばきの日にも
千歳の岩よ わが身を囲め

 はるか昔の聖徒たちが口ずさんだ讃歌です。年経た盤石の信仰を生きたみなさんに倣って、この時代を生きていきたいな、と思う今宵です。「地震」、今の世への痛烈なメッセージの一つなのでしょうか。被災されたみなさんの上に、主の平安をお祈り致します。熊本の友人たちに。

(“ウイキペディア”による美しい阿蘇山、“Christian clip arts“の語らうイエスさま、ハワイの岩島です)

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