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『おとっつぁん!』、江戸期に、子どもたちは、自分の父親に、この呼びかけをしていたようです。江戸に始まる「落語」に、この呼び名が出てきますので、庶民の間で使われていたのであほうか。武士階級は、「父上」だったでしょうか、藤沢周平や葉室麟の作品に、そうありました。
私は、父親と関係のよい時には、『おとうさん!』と呼んでいたのです。コッピどく叱られ、叩かれたりしたら、腹の中でか離れてかで、『××オヤジ!』、『××ジジイ!』と捨てゼリフをしていたのです。きっと、父も、そんな風に父親に接していたのでしょうか。私には、二親の二系に、おじいちゃんとの交流がありません。父からは、『準が、髭を生やしたらオヤジそっくりだよ!』と聞いただけで、写真で見たことがありましたが、母からは、自分の生みの親は、下関の人だと聞いたことがあったのです。
時代劇では、『ちゃん!』と、幼子が呼んでいる場面が、よく見られました。「父」を省いて、下の部分だけで、そう呼ぶのですが、親愛の情のこもった呼び方で、『いいなあ!』と思っていただけで、そう呼んだことはありませんでした。父子関係が良好の場合に使われているに違いありません。一度呼んでみたかったのですが、もう、父が亡くなって五十数年も経ってしまいました。え
きっと、ちょっと上級国民の間では、『父様(ととさま)』とか、『お父さま』と言うのでしょうか、皇室では、伝統的な言い方がありそうですが、堅苦しくて、われわれ市井(しせい)の民には、真似られないほどの壁を感じてしまいます。
サンパウロの空港の長椅子に座っていた時に、『ジュンチャンあ!』と呼ぶ声がしたのです。異国のほとんど知った人のいない、国際都市の大空港で、自分の名を呼ぶ声に、瞬間戸惑っていたら、それは上の兄だったのです。自分は、義兄と義妹を訪ねて、義妹の車で、サンパウロ空港にやって来て帰国しようとして、搭乗待ちで、椅子に座っていました。
あの時は、天国からの呼びかけかと思ったほどに感じたのですが、聞き覚えがあったのです。先日の兄からメールに、「驚いたこと」として、この一件が取り上げられていました。兄も、その偶然性にとても驚き、再会を喜んでいたのです。同じ二親の子なのに、似ていたり、そうでなかったり、真似たり、兄の学ランを着たりした日がありました。
今も兄弟四人が健在でいて、子どもの頃から、「ちゃん」付けで呼んでいて、この年齢になっても、まだ、そう呼び合っているのです。喧嘩相手、殴られたり、殴り返したり、呼び捨てしたことが多くありましたが、年老いて、穏やかになり、会う機会が少なくなった今では、メールやチャットや電話で、そう呼んでは言葉を交わしたり、近況を問い合っています。
聖書の箴言に、
『友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。(17章17節)』
子どもの頃は、激しく大声で、拳や足を振るって、大喧嘩をして、近所でも評判の兄弟でしたが、みなさんの過去の心配をよそに、今では、人が羨むほどに仲が良いのです。嫁さんたちは、入り込む余地がなさそうにしてきたのです。
中国で13年過ごした間、何度も何度も精神的にも物質的にも助けてくれたのを思い出して、感謝しているのです。いまだに助け合って、励まし合っています。病弱で、それでわがままで、内弁慶な三男坊の私は、ずいぶん〈やな奴〉だったに違いありません。
秋になって、木製の寝台の中に座った私が、好物のブドウ手に食べては、皮をポイと捨てると、父は、兄たちに拾わせていたのだそうです。一人だけ、純毛の毛布を使わせてもらったり、栄養補給に山羊の乳や輸入品のバターを、一人飲んだり食べさせてもらい、若殿様のようにしている弟は、兄たちには、じつに鼻持ちならなかったに違いありません。
それだからと言って、父の目を盗んで、小突いたり、蹴飛ばしたり、罵詈を飛ばされたりしたことは、全くなかったのです。そんなことすると、私の訴えを聞いて、父がゲンコツを兄たちに見舞ったことでしょう。〈しょうがねえ弟〉だったのでしょう。上の兄が、子どもの頃を思い出してでしょうか、私を、父の寵愛を受けた「ベニヤミン」だと言ったことがありました。
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イエスさまは、神さまを、『アバ!』と呼んでおいででした。どうも、聖書時代、パレスチナの庶民の話し言葉のアラム語で、「お父ちゃん」、まさに、『おとっつぁん!』、『ちゃん』と呼んでおいででした。万物の創造者で支配者、絶対的な主権者、慈愛の父でありながら、厳父で罪を裁かれる神を、そう呼べるのは、実に感謝なことであります。
私の信じた神さまは、『おとっつぁん!』なのです。ご自分の御子を、信ずる者の身代わりに十字架で処罰され、死なせ、墓に葬らせる以外に、救いの道はありませんでした。それほど人の罪は重かったのです。「義」を成就させるためには、十字架で血を流す以外に、人の救いはなかったのです。それに従われたのがイエスさまです。ここに、『おとっつぁん!』の愛があります。愛が義を全うするために、この方法以外にないからです。
( “ Christian clip arts ” のイラスト、漢字の「義」の旧体字です)
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