ひと夏の思い出(5)

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かつて名の知れない小さな漁村だった「横浜村」が、ペリーの黒船来航以来、近代日本の窓口として、外交や商業の主要都市となっていきました。それ以来、貿易港としての使命を果たし続けてきているのです。この夏、所用があって、代官山から東横線の電車に乗って、みなとみらい線の「馬車道駅」まで出掛けました。横浜には友人がいて、彼の家に泊まりに行ったり、一緒に町歩きをしたりしたことがありました。当時は、横浜には地下鉄も「みなとみらい線」もなかったのですが、今では、多くのビルが建ち並んで、さながら「未来都市」のようになっていました。

日曜日の朝、訪ねた所は、四十年ほど前に、友人の結婚式があって、一度行ったことがありました。その建物は、明治の初期に建てられたのですが、関東大震災の被災で壊滅してしまい、その後再建されています。その建物も戦争中には空襲で焼かれてしまったのです。戦後、改修されて今日に至っており、周りの近代的なビル群の間で、「デン!」と構えて歴史を誇るかのようでした。それは、学校で学んだ「ヘボン式ローマ字」を作ったヘボンと関わりがある由緒ある建造物なのです。

用を済ませた私は、駅前にある「神奈川県歴史博物館」に入ってみました。父の出身の横須賀に関わる展示物などもあり、「横浜開港」前後の様子を描いた絵が展示されているのが興味深かったのです。一時間半ばかり館内を見学して駅に向かいました。息子に、「中華街で中華饅頭を買ってきて!」と、出がけに頼まれましたので、二駅向こうの「横浜中華街駅」に向かいました。日曜日の昼過ぎ、駅からはき出される人の波で、街は溢れていました。中国情緒の好きな人ばかりなのでしょうか、かくいう私も「中日友好の士」ですから、けっこう人の波に押されながら、碁盤の目のような中華街を徘徊してしまったのです。道筋に八百屋があって、自分の好きなトマトときゅうりを買い、それに頼まれた「饅頭」も買って、帰宅したのです。

久しぶりの「横浜」でしたが、様変わりが激しくて戸惑ってしまいました。その印象は、「日本って平和で豊かな国だなあ!」というのが本音でしょうか。着ている服、履いている靴、持っているバッグ、手にしている携帯、彼らを呼び込む店の物量の多さ、何を見ても、そう感じた今年の日本、とくに横浜の夏でした。

(写真は、横浜の「中華街」です)

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