脇役


『きっと大人になったらこんな顔になるんだろうか?』と思わされた芸能人がいました。中学3年の時でした。まだ子どもと大人の境界線にいて、体も心も、どちらでもないようなあやふやな時期だったでしょうか。ニヒルな雰囲気を漂わせている男に憧れていた私は、テレビに登場し、ブラウン管の中に映し出されて歌う、水原弘と自分をダブらせていたのです。あの時、彼が歌っていたのは、確か「黒い花びら」だったでしょうか。悲しくて寂しい内容の歌詞でした。誰にも、『似てる!』と言われたことがなかったのですが、坊主頭の自分が、『髪の毛を生やして、お酒を浴びるほどに飲んで、一人前のおとなになって、夜の新宿でもぶらぶらしていたら・・・・』と思ったのです。『旨い!』と思ったことのないタバコをくゆらせ、飲むと頭が痛くなる酒を飲んだのですが、なかなか似てこなかったのです。男っ気のある親分肌で、若者をぐっと引きつけるようなものを持っていた彼の、そんな不良っぽさに憧れたのです。としますと、思春期というのは、あやふやで、危なっかしくって、さだまらない時期なのでしょうか。

そんな私は、一生懸命に彼に真似て歌うのですが、声が変わったばかりで、オトナの声など出ようはずがありません。疲れて熟睡してしまいますから、万年寝不足で目の周りにクマができてるような表情にはなれなかったのです。水原弘が42歳で亡くなったときには、彼と同い年のアメリカ人の事業家と一緒に、もう6~7年ほど働いていました。この方から、さまざまなことを学んでいたのですが。この方は、マイナスイメージのない方で、水原弘の対局に生きていた人でした。酒もタバコもやりませんで、実に清廉潔白な人格者だったのです。ちょっと近寄り難い雰囲気を持っていますが、笑顔が素敵でした。日本人からでは受けられないような感化を、この方から受けたことは、二十代に蓄えた貴重な宝物だと、今でも思っています。

文壇にも、芸能界にも「無頼派」という枠組みがあるようです。「無頼漢(ならず者)」ではなく、熟成して穏当で日和見的な在り方に添いきれないで、それを逸脱した作風をよしとした、戦後の若手作家を言うようです。太宰治、檀一雄、坂口安吾、織田作之助などがいました。たしかに生き方も、常軌を逸していて、アルコールや薬物中毒だったり、自殺したりの破天荒な生き方もあったようです。水原弘も、破天荒に生きた人でした。『人は憧れたものに似る!』と言われていますが、水原弘に似ていたなら、私も40代の初めに召されていたのかも知れません。しかし20代の中ほどで、お酒もタバコもやめましたし、体が悲鳴をあげたら睡眠をとることにしていたのです。健全な生き方を、その頃、出会ったアメリカ人の方に真似て始めたことは、よい選択だったのだと思うのです。

いったい、どんな男、どんな人間になって今、私は有るのでしょうか。思春期に憧れたイメージとはまったく違った自分が出来上がってしまいました。このような「憧れ」とか「英雄像」は、やはり虚像なわけです。ジェームス・デーン、水原弘、鶴田浩二にと、イメージを求めた心の遍歴は、思い出すと、むず痒さを覚えてしまいます。芸能界のスターたちは、意図されて作られた商業主義の1つの商品なのでしょうね。「龍馬」に、現代の若者の注目が集まっているのは、史実の龍馬ではなく、理想化された虚像であって、この時代に変化を願う人たちのモデルとして登場させられているわけでしょうか。テレビの自分を、龍馬が観たら苦笑いではすまないかも知れませんね。人の外貌から、「心」や「生き方」や「価値観」に、イメージを変えていくのが、大人への道なのかも知れません。脇役から主役を演じて、今再び人生の脇役に戻った自分を思って、『これが人の道なのだ!』と、2010年の大晦日に思わされております。

(写真上は、「水原弘」、下は「坂口安吾」です)

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