一陽来復

今日は二十四節気の一つ「冬至」です。故郷では、柚子湯に入ってかぼちゃを食べる風俗が残っていて、銭湯や入浴施設の大風呂には、柚子が浮かんで、芳香を放っていることでしょうか。小学校の時、内風呂があるのに、わざわざ街の銭湯に行って入ったのですが、風呂場に立ち込めていた芳しい香りが、東シナ海を渡って漂ってくるかのようです。ここ中国では、かぼちゃを食べたり、柚子湯に入ったりはしないようです。

我が家は、4階建てのアパートの一階にあって、小さな庭の突き当たりは高台になっていて、そこに三階建ての家がある、そういった住宅環境に住んでおります。夏場は涼しくていいのですが、冬場の陽光の少なさには、毎年、この時期に、『引越そうか?』と考えさせられております。それでも今日は、暖かくて燦々と太陽の光が、開け放った裏扉から差し込んできています。そうですね、今日を境いに、昼間の長さが増して行くわけで、この日が起点であるのは、まさに《一陽来復(冬が去り春が来ること。新年が来ること)》の願いが込められていることになります。

華南の福建省、広東省、江西省などは、「土楼」で有名な《客家》の里です。ここに住む客家人は、16001700年 ほど前、「中原の戦乱」を避けるために南方へ移住した漢族の末裔なのです。客家では今でも、冬至に天の神を祭るならわしが残っているそうです。各家は、門の外に卓を設けて、「冬至圓(汤圆(tang yuan)」と呼ばれる団子や各種のお供え物を並べて、香を焚いてろうそくを点すのだそうです。こうして敬虔に天の神を祭り、長寿や豊作、家族の幸せを祈るのです。 今夏、訪ねました広東省にほど近い永定では、そんな長い風習が守られ、「冬至節」を今日も祝っていることでしょう。なにかキリスト教徒が、「クリスマス(冬至祭の影響といわれていますが)」を祝うのと似ているように感じるのですが。

ところで、中国生活で、ただ一つ残念なことあります。それは我が家に「風呂」がないことなのです。それで一年中、シャワーなのですが、冬場のシャワーは億劫になってしまい、あまり好きではありません。それでも、シャワー室には、「取暖」と記された、高熱ライトが4つ備えてありますから、暖を取ることができて、寒くはないのですが。こういった中で、5年も過ごしますと、食べ物は問題はなくなったのですが、疲れたり、ほっとしたい時には、『ゆっくりお湯に浸かりたいなあ!』と、しきりに思ってしまうのです。これが、ただ一つの中国生活の不満なのであります。ことのほか冬至の柚子湯、こどもの日の「菖蒲湯」を思い出しますと、懐かしさと相まって『入りたい!』との思いが湧き上がって、居ても立ってもいられないのです。

それで、バスの中から、『風呂桶になりそうな物がないかな?』とうかがっていますが、時々、『あっ、あれなら・・・!』と思い当たることがあるのです。降りて買おうと思いますが、『さてどう運ぶの?』と考えてしまうと、自転車も車もない身ですから、我慢してしまうのです。庭に面した三和土の上に小さな小屋を作って、ガス湯沸かし器を設置し、桶を入手すれば、風呂場が出来るのですが。『来年こそは!』と思っておりますが。

さあ、今晩の夕食に、中国のみなさんが「冬至節」を祝って、食べる、米の粉アンを包んだ素朴な団子の「汤圆(冬至圓」を食べることにしましょう。天津にいた頃から毎年、食べておりますからこちらのみなさんと同じ気持ちにさせられて、春到来の願いを込めた《一陽来復》の喜びの輪に加えてもらおうと思っております。

(写真は、兵庫県の城崎温泉の「柚子湯」です)

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