『日本人って凄いんだ!』と、幼い日に感じたのが、水泳選手の「古橋広之進」が、1949年6月に、ロスアンゼルスで行われた「全米選手権大会」に招待されて、優勝したことでした。日本の社会全体が、沸き立っていたのを、幼い私も感じたのだろうと思うのです。400m自由形、800m自由形、1500m自由形で世界新記録の成績を残したのです。「フジヤマのトビウオ(The Flying Fish of Fujiyama)」と、新聞が書き立てて、アメリカ人を驚ろかせたのみならず、すべてを戦争で失ってしまった日本人を歓喜させたのです。左手の中指(第一関節より先)を怪我で失ったハンディーを抱えながらの優勝は、絶賛されました。
次いで、ノーベル賞を、「湯川秀樹」が受賞したのも1949年のことでした。物理学の世界で、世界的な学者がいることに、日本が喜び、驚かされたのです。敗戦で全く打ちのめされ、自信喪失していた日本人が、学問の世界でも一流であるとの評価を受けたのです。私には、わからない事だらけですが、『日本人って凄いんだ!』ということが伝わってきたのです。
プロボクシングに、「白井義男」という選手がいました。1952年に、アメリカ人のチャンピオンを倒して、全世界フライ級チャンピョンの栄冠を手にしたのです。日本人が世界のタイトルを初めて取ったことは、若者たちのボクシング熱を煽ったと言われています。白井は、ボクシングを、スポーツとして高く評価し、そのために大きく貢献したのだと思われます。
もう一人、相撲の世界から転身して、プロレスリングの世界で活躍したレスラーに、「力道山」がいました。1958年に、アメリカ人レスラーのルー・テーズを破って、世界チャンピオンになったのです。テレビが出始めたこともあり、驚くほどに日本中を沸騰させたのです。見世物といった色彩の強いものであったのですが、当時の力道山の人気というのは、前代未聞、あれほどの人気者は、その後は出なかったのではないでしょうか。国籍の問題もありましたが、本名の百田光浩は一世を風靡したスポーツマン、エンタテイナーだったといえるのです。
あれから半世紀が過ぎ、今年ノーベル医学賞に輝いたのが、「山中伸弥」です。京都大学の教授で、様々な種類の細胞に変化できる〈iPS細胞(新型万能細胞)〉を作製した功績が評価されての受賞でした。爽やかな、気取らない、庶民的で、妻子をこよなく愛する好感の持てる人です。多くの優秀な学者たちが、研究環境の整ったアメリカなどに流出していく中で、日本に留まって、偉業を達成したことは、夢を持たなくなったと言われる子どもたちに、『日本人って凄いんだ!ぼくもやってみたい!』という自信と、気概と、挑戦の意欲をもたせたことは、実に大きいのではないでしょうか。
人間は、『ダメなんだ!』と言われ続けると、ついには駄目になってしまうのだそうです。だったら、『できる!』と言い続けるなら、できるようになるのです。小学生、中学生、高校生が、『日本人って凄いんだ!』と思い続けるなら、凄い日本人になれるのです。そうなって、祖国に貢献し、やがて、世界、人類に貢献するような「人」になって欲しいものです!
(写真は、受賞会見にのぞむ山中伸弥京大教授夫妻です)