灯火親しむ候

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 今日の午後、私が読んだ「家庭」について本の中に、次のようなことが書いてありました。

 『家庭は・・・賜物であり、生命に満ちあふれたものである。家庭における養育は、実に特別な性格を持っている。家庭の代わりを務めたり、埋め合わせることができる学校も教育機関もありえない・・・父の握手、母の声、兄と妹、揺りかごの中の赤ん坊、愛する人の病、成功と逆境、お祝いの日と嘆きの日、日曜と平日、食卓での願いと感謝、本の朗読、朝と夕の願い、こうした家庭内でのあらゆる事柄が、子どもを養育するのである。家庭内でのあらゆる事柄が、毎日、毎時間、意図しない形で、事前に練られた計画や方法、教育システムによらず、相互に子どもの養育に関わっているのである。分析したり計量したりはできないが、あらゆることが教育的効果を発揮するのである。何千ものちっぽけで些細なことすべてが、その具体的な場面で、子どもを養育するのに効果がある。偉大で、豊かで、尽きることのない、普遍的な人生。子どもを養育するのは、この人生そのものである。家庭は人生の学校である。なぜなら、そこには潤いを与えてくれる泉と暖めてくれる暖炉があるからである(ハーマン・バヴィング)』

 お父さんやお母さんが、初めて子育てを始める時、新米の二人が、計画したのではなく、生活上の些細なことごとを忠実にしていくときに、子どもは健全に成長していくというのが、ここで言っていることなのではないでしょうか。握手が子どもに体に触れ、優しい声が心に響き、食事を感謝して共に食し、本を読んだりしていく時、子どもが養われていくのです。喜びの日ばかりではなく、悲嘆を経験する日にも、一緒にそれを迎えて過ごし、平日と祝祭日を明確に位置づけ、病んでいる家族や隣人を見舞ったりする時、子どもが養われていくのです。これらが忠実になされていく平凡な日々の積み重ねの中で、子どもたちは肉体的に成長するばかりではなく、精神的にも心情的にも大きくされていくわけです。

 家庭って、すごい使命を持っているのですね。『これの代替物はない!』、これが作者の確信です。つまり、親の代わりができるものは、どこにもないのだということになります。健全な家庭が幾つもある街、国、民族は、どんな武器で武装した街や国や民族よりも、比べられないほど堅固なものとなっていくわけです。としますと親が高学歴である必要があるのではありません。『家庭が何か?』と『親とは何か?』と『子どもとは何か?』の答えを見付け出した人が、この家庭建設を忠実に果たすことができるのです。そして幾多の有為な人を送り出すことができるわけです。

 この本を読んでから、もう一度子育てをしてみたくなりました。心は燃えているのですが、肉体は弱く、再び、親業を果たすことはできそうにありません。どうか若いご両親が、こんな規準の上に立たれて、お子たちを育てて欲しいと、心から祝服したい思いでいっぱいです。灯火親しむ候、「読書の秋」の宵、本を読んで、そんなことを思っております。

(絵は、黒田清輝作の「読書」です)

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