高校3年間の担任が、KOボーイの先生で、卒業して行った3学年違いの兄たちの時の担任もしていて、「オジイ」と渾名されていました。自分ともう一人のI君が、このオジイの怒られ役でした。それで終礼に出たくなくて、グランドに出て遊んでいて、教室に戻ると、みんなが『廣田はどこ行った?』と、オジイが怒っていたと言うのです。『戻ってきたら、職員室に来る様に!』と伝言があったのです。
これがいつものことで、仕方がなく、職員室に行くのです。すると、オジイは、『おっ、廣田来たか!』と、もう怒っていないで、『頑張れよ!』と、背中を叩くのです。この担任の先生が、朝礼の時に、新聞の記事からの話をされ、よく「天声人語(朝日新聞の名物コラムです)」から引用しておられ、『荒垣(秀雄)さんが!(1946年5月 – 1963年4月の17年間書かれた方です)』と、当時の名執筆者を贔屓(ひいき)にしていて、あんなこんなこと、こんなことを言ってたと言うのです。
父は、東京ジャイアンツのフアンでしたから、「読売新聞」をとっていて、スポーツ欄や三面記事は読みますが、コラムなどには興味がありませんでした。でも、朝日新聞のコラム、「天声人語」は、長く新聞業界一でした。その中に、稀代の執筆者がいたのです。広島の江田島にあった海軍兵学校の七十八期、最後の入学生で、戦後、大学に進んで、朝日新聞に入社した深代淳郎氏でした。
この方も論説委員になり、この「天声人語」を三年近く担当されて、46歳の若さで、ご病気で召されるまで、書き続けられたのです。その当時の「天声人語」は、本になって刊行されていて、今でも図書館からお借りして読むことがあります。今は、2冊借り出して手元にあります。
父の会社に連れて行かれた時、お会いした方のお一人が、その江田島の兵学校の校長をされた方のご子息でした。また母の初恋の人も、そこの学生でした。凛々しい制服姿に憧れたのでしょう。もし海軍があり続け、この兵学校があったら、自分も行ってみたかったし、母は勧めたのでしょう。それで、深代淳郎氏のコラムに関心を向けたのです。
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そのコラムに動機づけられたのと、次男が熱心に勧めたこともあって、「ブログ」を始めたわけです。「ガジュマルの樹の下で」とか、「恩寵」とかの題で、発行をしていたのです。ところが、お隣の国で続けていましたら、ブロックされてしまったのです。それで、記事の内容を注意深くして、再開したのが、このブログなのです。
イラストや写真の引用の原則を知らずにしていて、次男に著作権侵害になるので、抹消する様に、十分気をつけてアップする様に言われての今なのです。数年前、以前の分の無許可使用の写真やイラストを、次男が消してくれたようです。で今は、ウイキペディアや著作権フリーからの写真やイラストを使っています。
さて、恩師が紹介してくださった「天声人語」ですが、今は、会員限定の有料記事になってしまってネットで、自由に読めなくなってしまいました。人気の全国紙のほとんどのコラムが、そう言った傾向にあります。ちほうしの下野新聞、上毛新聞などは読めますが、一人の記者の担当ではなく、当番制になっている新聞が多くなっています。
毎日、あれだけの文章を書き続けた深代淳郎氏のスゴさが偲ばれます。『新聞紙上最高の知性、コラムニストです!』と言われた方なのです。そのためには奥様の助けが、たくさんあったのだろうと、言われています。時代時代、日々の話題を拾いながらの作業だったのでしょう。
それに引き換え、勝手なことを、気ままに書いてきている自分は、人の書かれた記事にヒントを得たりしても、ちょっと大変な時があるのに、文学作品にでもなりそうな美しい文体、内容のあふれる記事は、新聞記者の矜持(きょうじ)だったのでしょう。
そこに美しくも、重い文章が溢れています。長く教会の週報の巻頭に、週一でコラムを書き続けました。前の週の説教、連絡事項と共に、思うこと、感じることを書かせていただいたのです。そして、もう長く、「悠然自得」と言う名をつけて、このブログを書き続けています。一般公開をしていて、時々、コメントをしてくださる方もおいでです。記事の内容の誤りを指摘してくださる友人もおいでで、下の娘は、チャットで、読後の思いを書き送ってくれ、内容訂正を進言してくれています。
もう記事をアップして3400回になりました。残念ながら2年分ほど消失してしまってもいますが、もう少し続けようかと思っています。対象は、自分たちの4人の子どもたちで始めましたが、日記をつける代わりに、書いているつもりもあるのです。次男が管理してくれていて、辞めようとすると、『続けてね!』と言われて、思い返しての続行です。そう、コメントに、海外からのものもあったことがあって驚かされました。
今朝は、20年も着続けているセーターを引っ張り出して着ました。家内が英語教室をしていて、そのバイト料で買ってくれた誕生祝いのギフトなのです。ありがたいことに、今冬も暖かく過ごせそうです。
(ウイキペディアの慶應大学のシンボルマーク、江田島です)
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