蜜蜂がいなくなっている危機に

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 「足長蜂」に、子どもの頃に、3、4度刺されたことがありました。ものすごく痛くて、刺した針を、兄に抜いてもらった覚えがあります。時々やって来ては、二親の様子を見に、次男が来てくれます。親の好物をデパ地下で買って、それを手にしてです。2、3時間の短時間の滞在ですが、ウクレレを弾いて賛美したり、いろいろと話を聞かせてくれるのです。ある時、『世界中で、蜂がいなくなっているそう!』と言っていました。

 この蜂は、集団生活をしていて、その集団には階級や役割が分担されているそうです。子を耳育てていく大家族の中で、それぞれに役割をこなしながら、蜂社会の営みがなされていて、長く人類に貢献しながら生きてきています。

 その集団を支配するのは、「女王蜂」で、生殖の役割をはたしています。配下に、働き蜂がいて、巣を作り、餌となる蜜を収集して、巣の中に持ち帰る任務をし、育児もこなします。女王蜂も働きバチも一年で、その役割を終えて死んでいきます。ただ、その年に生まれた一匹が、女雄蜂になって生き延びて、次世代を産み出していきます。

『神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」そのようになった。  地は植物、すなわち種を生じる草を、種類にしたがって、またその中に種がある実を結ぶ木を、種類にしたがって生じさせた。神はそれを見て良しとされた。(新改訳聖書 創世記1章11〜12節)』

 しかし役割は、それだけではなく、花に飛んでいって吸蜜する時に、雌しべと雄しべの交配の役割をになっています。風による自然交配もありますが、蜂も、その重要な役割を果たして、果物の結実に寄与するのです。自然界の役割分担とは、実に知恵深いものがあり、神の創造と維持は、その様に神の采配による以外に考えられません。

 私たちは、14ヶ月ほどをかけて、新会堂の建設をしたことがありました。母教会の信者さんのお父さんが、大きめのトラックを持っていて、その車に、家屋を上手に解体した材木や鉄剤を乗せて、運んでくださり、それを利用して会堂を建てたのです。

 そのトラックは、普段は学校の教師をされていたお父さまが、季節季節に、蜂の巣箱を乗せて、あちらこちらと採蜜をしながら、養蜂業もされていて、使っていたものでした。気の多い私は、いつか養蜂業もやってみたい、と思ったほどでした。

 美味しい蜂蜜は、花に応じて名が付けられていて、春先に咲く花に始まり、秋に咲き終わるまで、花を追い求めて、南に北にと出かけるのです。この方は、「移動養蜂家」だったわけです。

 アインシュタインも、こんなことを言っていました。『もしも、地球上からミツバチが消えたなら、人類は4年で滅亡するだろう!』と、警告的にです。今まさに、その危機的な時を迎えているのだと騒がれています。

 『この暑さは異常だ!』と、昨年も、今年も、大騒ぎでしたが、蜜蜂の社会もそう感じたに違いありません。異常な暑さが、どうして問題かと言いますと、ミツバチの大敵の〈ダニ〉が大繁殖していて、蜂について、それが原因で死滅させているのだと、養蜂家が嘆いておいでです。トマト、ナス、メロン、スモモ、りんご、豆類などなど、野菜も果物も、ミツバチの吸蜜時になされる交配ができなくなったら、実ができないのです。

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 自然界の中には、驚くべき大法則が定まっています。その法則は人間が編み出したものではなく、創造主のなさっておられる業なのです。自然や偶然と言い得ない、創造の世界の維持と繁栄を、この神さまが定めておいでなのです。蜂による受粉なしには、今日の農業は成り立たないのです。

 昼ごはんで、家内と一杯ずつのコーヒーを飲むのですが、そのコーヒー豆だって、ミツバチが飛んできて採蜜時の受粉によって、実が実って、ハワイでもウガンダでも沖縄でも豆🫘がつくのです。嗜好品から主要な食料に至るまで、その恩恵に浴さないものはないほどです。

 ところが近年、ダニが大発生して、ミツバチにつき、絶滅に危機にあるのです。吸蜜の量が減り、蜜不足で蜂の幼虫が育たなく、次世代が誕生しなくなる、そう言った危機の中に、はまり込んでいるのです。それは、直に食糧危機につながります。また強い種族のイナゴは、逆に大繁殖し、かろうじて身をつけた作物を、根こそぎに食い荒らしてしまうのです。

 戦争や核危機だけが大問題なのではなく、性愛問題の危機、結婚の危機以上に、いえ同様に、重大危機なのです。同じ様に多くの危機が一並びに、同時進行で現れているのが、現在なのです。自類は生き延びられるのでしょうか。創造主に目を背け、反逆する時代が到来しています。

『神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に、悔い改めを命じておられます。(新改訳聖書 使徒17章30節)』

 自然の営みの中に、深い神の計画と配慮と維持があるのは、神さまが、愛だからです。愛は、〈甘やかし〉とは違います。実に厳しいものなのを、自分も学ばされてきたのです。二十五歳で、その愛がわかり、同時に、その厳しさと厳粛さも知りました。主の憐れみによったのです。自然の再生はできるのでしょうか。

(ウイキペディアのコスモスの花で吸蜜する蜜蜂、採蜜の様子を描いた洞窟壁画です)

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