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地形的にも、気象上でも、多くの困難を経験してきた太古から、この日本列島に住み続けてきた私たちは、独特な民族の気質を養い育ててきたと言われています。大地を揺らす地震、夏から秋の台風襲来、日照りや寒冷、疫病の発生、飢饉など、さまざまな災害を経験してきたからでしょうか、そんな困難な中で、「笑う」ことを身につけてきたのです。
もちろん悲嘆にくれてしまうこともありますし、絶望することもありました。一昨日も、能登半島に大きな地震が見舞い、甚大な被害をもたらしています。そんな経験の中で、パニックに襲われて暴動が起こるわけでも、食料品スーパーが襲われることもなく、みなさんが、その事態に冷静に立ち向かっておいでなのです。
そんな地震と津波とに被災して、家が壊れても、諦め悔やむだけでなく、事実を容易に理解して、立ち直る次の一歩に目を向けていかれています。『大好きな街の復興のために助けとなりたい!』と、ある被災した高校生が言っていました。これこそ神が与えられた、日本人の賜物に違いありません。
神を呪うのでも、為政者を責めるのでもなく、現実を認められるから、笑えるのでしょうか。泣く以上に、笑うことこそが、逆境を跳ね返していける原動力になってきたのが、日本人の独特な「笑い」なのでしょう。
もうアップできませんが、明治期に外国人が撮影した写真の中で、小さな子どもから大人までが、その笑いをしている写真を見たことがありました。みなさんが同じような笑い顔なのです。ヘラヘラ笑い、お愛想笑い、追随笑い、はにかみ、どう表現したらいいのか、「あの笑い」なのです。一人が、そう笑うと、連鎖して、一人一人が笑いの輪を作って、広げていくののです。
その笑いが、次の瞬間を、次の時を、次の日を生かす力となって、この国を動かして、人々が生きてきたのです。厳粛な事態でも、この種の笑いを忘れなかった人たちの国、これが日本なのでしょう。
欧米人には見られない、環境の厳しい仕打ちを跳ね除けてしまう「笑い」なのです。なかなか理解されない日本人の笑いこそ、まさに文化遺産に違いありません。被災した後、すぐに立ち上がって、シャベルや土起こしを持って、復興作業に取り掛かる力を、彼らは残してるのです。
隣の村や国に、故郷を捨てて移り住むことをしないで、神に定められた地に、しがみついて生き続けて来た過去があります。今朝の能登の地を、創造主の神さまが顧みてくださるように祈るのみです。
(ウイキペディアによる「無邪気な子供の笑い顔」、今回震度7の地震に見舞われた「志賀町」の風景です)
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